私の生涯で一番の喜びは戦後 男女同権になった事です 

男尊女卑の社会の時 女は軽く扱われました

我が家でも例外ではありませんでした

 

例え夫婦であっても並んで歩かず女は三歩下がって歩いたものです

食卓を囲むときでも男は上段に坐りました

 

お風呂でも男が先に入り 女は後

 

何かにつけ男優先でした

 

男女同権になった事は本当に嬉しかった出来事です

95歳になります

昔なら生き字引として珍重されたことでしょうが 

今ではパソコンが何でも教えてくれますから出番はありません

 

解らないことが有ればすぐパソコンを開きます

 

会いたい人に会うことも一部可能です

先日は亡くなった兄に会いました

社会に貢献したことで名を残したからこそ 会うことが出来ます

近頃 耳が聞こえにくくなったので耳鼻科へ行った 

先生曰く お年です つける薬はありません

 

私は昭和2年生まれ95歳 全昭和を生きてきた

大正15年12月25日に大正天皇が崩御され昭和になった  

昭和元年はわずか1週間だった

 

今でも耳に残る言葉がある 

 

大東亜戦争を告げるアナウンサーの声 

終戦を告げる天皇陛下のお言葉 

 

補聴器があるらしいが 一人暮らしではあまり必要を感じない

 

必要なことはメモに書いてもらうことにしている

子供の頃 大雪が降ると嬉しかった

 

雪だるまを作った

 

初め小さい球を作りそれを芯にして雪の上を転がし だんだん大きくしてゆく

 

大きな玉の上に子玉をのせる これで身体は完成 

 

小玉に 目鼻を付ける 材料は豆炭と炭  

 

近頃は雪を見ない 温かい神戸に住んでいる

私は絵を描く才能に恵まれた  

 

小学校一年生の時大賞をもらった  

 

朝礼の時校長先生から直接 賞状を貰ったが何かわからず四年生の姉が付き添ってくれた  

 

私一人きりだった

どんな絵かは知らない  

 

校長室や校門には私の描いた絵が飾られていた 

小学校の時描いた絵一枚も手元に残っていない

 

母の影響で高畠華宵の人物画が好きだつた 

兄 健二は異能の持ち主で常日頃言っていた言葉がある 

 

普通ではだめ 人と同じことを考えたり 行ってはだめ  

 

彼は世界中旅をし 多く学んでいました

 

ダム建設現場に立ち寄った時 流しいれるコンクリートを冷やして入れることを提案しました 

冷やして流しいれると早く固まり効率が良いと伝えました  

 

社会にも貢献しています 

 

わたしも何か一つでも社会に貢献できるとよいが・・・・・と思っています

 

 

 

苦労するとかみの毛が 楽をすると爪が伸びるということわざです 

 私 最近は楽をしているので 遠慮なく爪が伸びます  

 

ひどい悲しみに襲われ一夜にして黒髪が白髪に変わったという話が以前ありました

今でもそんなことあるのでしょうか?

私の子供の時は明らかに人種差別があった  

学校に提出する書類にも身分を書き入れる項目があり私は平民と書いた

平民の下に部落民があり貧しい生活をしているのを見知っている

 

議会は衆議院と貴族院があり貴族院は選挙で選ぶのでは無かったと思う 

 

今は人種差別はない

 

戦後 男女同権となり選挙権を得た 私の人生一番の喜びといってよい

 

戦前 我が家でも 何事にも男が優先した

例えば風呂も男が先に入り女は後湯をつかつた

食卓でも女が先に席につき あとから上席に着いた男が一口先に食べる迄待った

日経新聞の土曜日の記事に紅葉のトンネルと紹介された香嵐渓は足助町にある

足助町は名古屋からバスで行けると思うけど しばらく行っていないから確かではない

 

此処のもみじのトンネルは有名 本当に素晴らしい

 

昔 足助次郎重範という弓の名手がいた 

おんなの子の頭の上にリンゴをのせ離れた場所から弓を弾き見事に命中させたことが教科書に載っていた  

 

 

足助町は私の父親の出生地 私の子供時代の本籍地であった

紅葉で有名な香嵐渓のある足助は私の本籍地です

一度だけ訪れたことが有ります 秋たけなわの時期でした

名古屋からバスに乗ってゆきました  

 

紅葉のトンネルの中を散策しまし 先祖代々のお墓に花を供えました

 

足助次郎茂範 今では知る人も少なくなりましたが弓の名手でした 

彼の逸話として知られているのは 少女の頭の上にリンゴをのせ 弓で射抜いたとのこと

 

あちこち旅をしましたが 足助町を訪れたことは強く印象に残っています