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目指せ生活保護脱出20代女

20代にして生活保護の世話になってしまった女「ちび」の記録です。
2014年8月~より「先天性の心臓病悪化」で生活保護開始、はやく抜け出すために必死なブログです。

こんにちは、ちびです


盆あけちゃいました


よかったのか悪かったのか・・・



そんな事よりも3年前から飼っているジャンガリアンが老衰直前でそっちに気がいっちゃってます



2匹飼っていたのですが

1匹は先日亡くなってしまいました


もうその頃でも人間でいえば金さん銀さん状態の年齢なので

しょうがないですがアホかと思われるぐらい泣いてしまいました



最後の一匹も・・・もうだめそうです



けどなぜか私はうつ病にならない

たぶんそんじょそこらの同年代よりも

はるかに波乱万丈な人生を送ってきましたし

この3年間では精神的に耐えられない事ばかり起きていますが

それでもうつ病にならない、むしろ心療内科とか行ってみたいのに何も出ない


パワフルな奴だなと自分でも思います



きっとそれは生まれた時からの身体障害があったから

これ以上の苦労なんて屁と一緒だわ。なんて思ってるからかもです。


ナイスプラス思考。マイナス思考になってみたい。


うわーーーーんとか泣いてみんなにヨチヨチされてみたい。



うん、柄にもない事言ってみましたが想像しただけで鳥肌たったのでやめておきます(笑)



「プラス思考教室」とかあれば私きっと先生になれる気がする・・・ググッ・・・



こんな生活保護者もいるんだということをご理解ください。

変態ではありません。普通の女です。




さて今日は「私の母」をお話しようと思います



私は長年・・・といっても10年ちょっとですが一人暮らししてきました



その前は父に育てられました(ちょっとだけ)



ほぼ一人で生きてきたと言っても過言ではありません。



小学校2年まではそれなりに「母親」と言う人もいましたが

まぁ家にいることはほぼ無かったわけです。

仕事?してません

遊びにお出かけになってるようでした。



小さい頃から保育園に入って幼稚園にも入って

国立の難関小学校にも入りました


それでも一度として母親の手作りお弁当だ、食事だなんて食べたことありません。



参観日も運動会も一度として来てもらった覚えなんてありません。


むしろ何度も殺されかけました(笑)

今となれば笑い話です。はい。



普通の母親っちゅーのは

幼稚園のお迎えバスの時は

バスがくる停留所まで送って、帰りも迎えにくるもんですよね



私の母は一度もそれをしてくれたことはありません。



幼稚園のバスにのるところまで歩いて5分ぐらいのところです。


私は一人で行ってました。3歳からずっと。


迎えの時はもちろん母は迎えにこないわけですから

その停留所まで乗るのですが母親不在ということで

私一人だけ幼稚園に戻るわけです。


すると2時間ほどして

いとこのおばちゃんが原付で迎えにくるわけですね

このいとこのおばちゃんというのは母の妹です。


当時は原付に子供が足元に座るのは普通でした。今じゃ無理ですが。


そんな毎日なわけで。


その幼稚園はお弁当なんですけど一度たりとも作ってもらったことがないので

みんながお弁当を食べる中

私は先生と一緒に近くのパン屋にいって買ってもらうわけですよ。



本当にデキた母です。いろんな意味で。



でも文句なんて言えません。殺されますから。



毎日暴力のフルコースです。


物心ついた頃からベルトで何百回と叩かれ

腹をおもいきり蹴られ殴られ


体も小さいのにガリガリなわけですね、私。



真冬に全裸で外に放り投げられ凍死寸前になったこともあります。当時5歳。




父が帰ってくるのがいつも遅かったので

父が帰るまでは母の遊び道具に過ぎなかったわけです。



そういえばもの心がついた3歳頃から母と父が離婚するまでの2.3年で

たしか私12個ぐらい習い事させられてたなー

バレエ・体操・英語・そろばん・習字・お茶・民謡・塾3個かけもち・ピアノ・ダンス他

今考えたらアホですね、そりゃ金もなくなるわ

きちんと考えてみたらたぶん母は子供の世話するのめんどくさいから

習い事させてたようにも思えてきましたよ




今でも思い出す事が2点


1点目は母が何かで入院した時

見舞いにいった当時私小1


母の開口一言目「お前なんて死ね」

もう毎日暴力と暴言のフルコースでしたがこれはキマしたね


2点目は小2の時

母の知り合いの軽井沢別荘に行った時です。

その時なぜか父親はいなかったのですが

母と私、そして母の友達だという男性4人がいました。

今だにその友達はどういう関係だったか知りませんが。


別荘の近くにあるプールで遊んでたわけです。

たぶん水深150cmぐらい。

当時の私は1mちょっとぐらいなわけですから泳げないかぎり溺れます


母と母の友達が目の前で喋ってる時に私はプールへダイブ


当時水深なんてわかるわけないですからね。


そしたら案の定溺れるわけです



母の友達4人はこちらにお尻を向けて喋ってるわけですから気づきません

しかし母はこちらを見てるわけです、しかも笑ってる


「そのまま溺れて死ねよ」みたいな顔で。

それを小さいながらも感じとったわけです


あーこりゃ私死ぬなーなんて幼いながら落ち着いて脳みそで考えていたので

声を出すこともなく沈んでいく私


そしたら気づいた母の友達に助けられました

その時の母の態度よwwww


「私子ーーー!よかったーーーー!」



うそつけ!見て笑ってただろ!w



てな事がありました。これも笑い話。



そこから私はプールや海恐怖症です。水が怖くなりました。

というより潜るのが怖い。

顔に水かけるのは余裕です。



それから数日後に母と父が離婚。

家を出る当日

目の前には父と父の車。

当然私は父のところに走っていきました。

がっ!!


母親に手をひかれここで父とバイバイになってしまいました。



そのまま手をひかれた私は母の母、つまりおばあちゃんのところへ。


そこから母はいなくなりました。

彼氏と一緒に住んでました。



2年程おばあちゃんと住んでましたが

母に開放されたわけですから好きなことができるわけです。


いっぱいご飯食べました。案の定いっきに太りましたw


毎日が楽しくて、毎日ウキウキ

おばあちゃんに甘えて

はじめて誰かにお風呂で頭を洗ってもらうということをされました。

何度も泣きました、嬉しくて。



おばあちゃんが好きなカラオケ喫茶にいって一緒に演歌歌ったりもしました

そのおかげで今でも歌うのが好き。

小学生ながらにこぶしとか出来てましたからね。今じゃ出来ませんw



でもそんな楽しい日々も2年で終わりました



母が男をつれて戻ってきました。一緒に住もうだと。

そりゃー母は嫌でしょうね、きっと男が言い出したんだと思います。



あ!そういえば言うの忘れてましたが私には妹がいます。

6歳年下の妹。


離婚したときには妹は1歳とかだったと思います。

ミルクやったのもオムツしてたのも離婚するまでは私がしてましたけどね。




3歳になった妹はそりゃーもうガン泣きするわけです。

いきたくない!と。

まだ物心ついてるかついてないかぐらいの時でしたから

母親は「怖い」イメージしかないわけです。

泣き喚くし、暴れるしで大変でした。


当時の私は母の事を嫌でもわかっていましたので冷静です

小学校3年か4年かそれぐらいでしたが

ものすごい大人びた子供だったと思います。


そういう考え方や性格は

きっとあの母親のおかげかもしれません。


母親がご飯作らないから自分で作る→結果料理好き


母親が掃除を一切しない→結果ちょっと潔癖の掃除好き


母親がネグレクト&虐待→結果人の気持ちがわかる子に成長、基本怒らないしプラス思考、子供大好き




何か少しでも嫌な気持ちになったりしても

あの頃の自分を思い出すと

ミジンコ以下なわけですからなんとも思わないんですよね



むしろ「そんな事程度で悩むとか時間の無駄」と考えるので

その時には「次何食べよかな」ぐらいにしか考えてません。ナイス自分。



さて母の話をすると

えげつない話がとめどなく出てくるので今日はこのへんで。

次は母の血を絶賛引き継いだ妹の話と

私と性格まったく一緒な父の話でもしようと思います





バナーの張り方などアナログな私にはよくわからないので

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