本日は古谷先生のお葬式でした。
あの場に一緒にいさせてくださった美華さんをはじめ
ご家族ご親族の皆様、本当にありがとうございます。
古谷先生とは約10年前、入学した大阪音大で初めてお会いしました。古谷門下生となり、
「おう!よろしくなぁ!まぁ楽しくやろや!」と初めて声をかけていただいたことを鮮明に覚えています。
レッスンで初めて音を聞いた時、これはとんでもない方の生徒になってしまったと思いました。
恥ずかしながら私は音大入学時、アドリブはもちろんのこと最低音から最高音のメジャースケールを吹くだけでも途中で間違えたり、自分に合っていないマウスピースをわからず平気で使っていたりと
ほんまに何もできない生徒でした。そんな私に
「でかい音でバッコーン吹いてたらええねん!」と音の出し方を1から教えてくださりました。
レッスンが終わると食堂でいつも一緒にお昼ごはんを食べてくださりました、私のうどんの上に乗ってるネギを食べるのは先生の役目でいつも先生のお皿に投げ入れてました
音大在学時は自分が楽器でやっていくなんて到底無理と思っていて、誰よりも長く残って練習していましたがみんな上手くて周りと比べてしまい授業もついていけなくて、しんどくて、そんな話も全部優しく聞いてくださり励ましてくださいました。
そんな中「風林火山ってバンドやってるねんけど観にくるか?」と誘ってくださいました。
音楽のこと無知だったので海外のプレイヤーも全然知らなくて、当時は先生がライブでやってるのは
知らない難しそうな曲という印象でした(殴ってください)
先生のライブについて行かせてもらう中でだんだんフュージョンに興味を持ち自分もやりたい!と思うようになりました。
そのうちに風林火山のライブにシットインさせていただけることになり初めてお客さんの前で先生と演奏させていただきました。
終演後、駐車場でとんでもないボリュームで怒鳴られたこと今でも忘れません
ですが叱った後は必ず解決方法を教えてくださいます
ここはこういうスケール使って、こんな感じで吹くねんとか丁寧に丁寧に教えてくださいました
本当に優しい先生です。
卒業後は音楽の仕事も何もないしバイトばかりしていてどうしていったらいいかわからず、就職しようかなと思って先生に相談に乗っていただきました。
そこで頂いたお言葉のおかげさまで今私はサックスを続けられています。
そして上京するまで先生のジャズ講座のアシスタントを毎月2回させていただき、本当にたくさんのお話をしました。いろんなところに遊びにも連れて行ってくださいました。先生に話せない事なかったです。
卒業後先生って呼ぶと
もう俺お前の先生ちゃうから先生って呼ばんといてくれ、先生って呼ばれるの俺嫌いやねん
俺とお前は師匠と弟子でもあるけど友達でもファミリーでもあるねんと言ってくださりました。
先生と美華さんの結婚10周年のとき
指輪をプレゼントしたいけどどこに行けばいいか、
俺1人がそんな店に行ったら店員に笑われそうでこわいから一緒に行ってほしいと頼まれて、なんてかわいい人なんだとも思いました
常にご家族想いで素晴らしい先生です
先生との思い出はほんまにたくさんあって
とても濃い10年でした、かけて頂いたお言葉どれも鮮明に覚えています。
つい3週間前にお会いしたばかりでした。
今日は絶対泣かないと決めていましたが
四井さんに祭壇に飾っていた先生の楽器、最後一緒に片付けへん?と言っていただいて早速泣いてしまいました。
お前泣きすぎや、なにをそんなに泣いてんねん!って言われてると思います。
でも泣きたい時は泣けって昔言ってましたよね
本当に大好きです、先生の意思を引き継ぐ弟子の1人として頑張ります。見ててくださいね!!
ありがとうございました!!
ゆっくり休んで、すぐまた向こうでも暴れてください!!
榎本有希