Dear my lovely pain

最近この曲の歌詞がすご~く沁みる。


OCEANの3rd beatで、聴こうと思ってCDを開いてみたけど案の定中身は無し。

モノを失くすことには慣れてるのでさほど落胆しないけど。


painにDearとlovelyまでも付けちゃうあたり、稲葉さんらしいな~って思う。



根も葉もないウワサが野放しで 君のもとにゆく

じわじわ頭にしみこんで それはほんとになる


僕らが何かを 信じる心

いったいどのくらい 強いものだろう?



信じることって、簡単なことじゃない。

自分に都合のいいことだけを受け入れたり、自分の期待に応えてもらうことが信じることじゃない。



なにが起きても信じよう それはひとつのもの



なんて歌詞もあったっけ。


なにが起きても信じる。

例え裏切られようとも、期待に添わなくても。

それごとその人を受け入れてあげる。


それはもう、生半可な気持ちじゃできないことだと思う。

他人ならなおさら。



アボらしいウソに 手玉に取られ

ぐらつく絆なら そんなのいらない



ここの歌詞にはもう、震えるくらい感銘を受けたわ。

HOMEにも通じる考えだけど、ちょっとやそっとの誤解やすれ違いで壊れてしまうものばかりじゃない。


自分とは違う価値観を持った人を、自分のものさしではかるなんて傲慢なこと。

でも自分の中の基準はどうしても主観になってしまう、このジレンマ。


こうしてほしい、と思うことは自分の価値観の押しつけなのか。

相手の価値観を否定することなのか。

なんて最近考えちゃってた。


自分の知らないところで相手が自分を思いやってくれてても、それが自分のもつ表現方法と違えば、うまく判断できないもので。


きっと、言葉にしても100%は伝わらない。

伝わってないんだと思う。


それが悲しいわけじゃない。

でも、人と向き合うってやっぱり簡単じゃない。

もちろんそこが醍醐味であるわけなんだけれど。


衝突が怖くて、拒絶が怖くて、自分の気持ちを表に出せなかった。

自分、こんなに憶病だったっけなって思うくらいヘタレ。


でもそうやって打ち明けた思いを疎ましく思われたことがあるってことがもうトラウマになっちゃってるのかも。

「きっと言っても分かってもらえない、何も変わらないどころか悪化するかもしれない」

そう思って自分の中でどうにかこうにか消化しようとしてみたけど。

全然駄目でした・・・。


今回はちゃんと相手に伝えられて、幸運にも解決に向けて話し合えたからよかったけど。

目に見える変化が無いものだから、正直不安は払拭されていない・・・かも。


「目に見える変化」を求めちゃってる時点で、考えものなんだろうけど。



のたうちまわって 結んだ想いは

雨の中も 槍の中でも

そんなに軽く ほどいちゃいけない



でも、ここまで来れたのも一朝一夕じゃない。

一足飛びには来れなかった。


のたうちわまって後退したり前進したりしながら、なんとかここまで来れた。

それらはみんな、愛しい痛みなんだと思う。

それらなしじゃ、今は有り得ない。


ちゃんと感謝しなきゃな。

1人でここまで来れたわけじゃないんだから。