キャロルのブログ

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先日、ある方から<特攻>の絵本を貸して貰い読ましていただいた。

あまりにも切なく、やりきれなくて。

僕よりも若い人たちが、そんなに大して遠い時間じゃない数十年間前に飛び出して逝ったという。

頭の中では知っていたんですけど、本を読むとそれを更に、こう…どうだっていうくらい裏付けられるものがいっぱいあって、今回また違った意味でショックでした。


その貸していただいた本を読み終えて、早速僕が集めた特攻書籍音源VTR等を持ち出して改めて見つめ直そうとしている。

いま手元にある、ある「遺稿」や「所管」がある。

それは<特攻隊>というと僕はどうしても、ある人を思い出す。

きっとそれは僕らに今の世代に投げかけている言葉なのかもしれないからだ。


その特攻隊員は第56振武隊所属「上原良司」である。

彼は軍隊教育の時代から日本は負けると思って学徒出陣を出て、特別操縦見習土官を終え、

知覧特攻基地へ行ったのである。


敗戦後の日本国民に向けた痛切なメッセージが記されていました。

僕もこの「遺書」、「所感」を読んで心を震わされた一人です。


何のために死ぬのか、何のために命を犠牲にするのか、その代償は何なのか、

という問いに対する彼の問いに、僕はどうも感じるところがある。

死ぬことが国の約に立たないとあれば、その死は犬死に、無駄死にということになってしまう。

自分の死をそんな無駄な死だとは思いたくない。

そういう状況なのに「日本は負けるよ」と大きな声で上原さんは鳥浜トメさんに言ったという。


今から六十余年前の<太平洋戦争>において、多数の国民が戦争に駆り出され、

祖国・故郷・家族のためと信じつつ平和な時代の到来を願いながら戦い、無言で逝った

その多くの戦没者の思い出を代弁したとも言うべき存在、それが「上原良司」さんだったのです。

そして、ここに上原さんの「遺書」の他に「所感」という長文を書き残している。

「遺書」は特攻間際の頃、一度田舎の信州(長野)へ立ち寄った時に書いて閉まって置いたという手紙を、ここで引用させて頂きたい。


《悠久の大儀に生きるとか、そんなことはどうでも良い。あくまで日本を愛する。

祖国のため独立自由のために戦うのだ。

天国における再会、死はその道程に過ぎない。

愛する日本、そして愛するきょうこちゃん

私は死を通じて天国における再会を信じているが故に、死を怖れないのです。

死を、天国に上がる過程なりと考える時、何ともありません。 》


遺本となった<クロオチェ>には、ところどころに〇印が付されていた。

それをたどると、愛する女性へ送られた言葉が浮かびあがってくる。


《きょうこちゃん、さようなら。僕は きみが すきだった

 しかし そのときすでに きみは こんやくの人であった わたしは くるしんだ。

 そして きみの こうフクを かんがえたとき あいのことばをささやくことを だンネンした。

 しかし わたしは いつもきみを あいしている》


*「きょうこちゃん」こと石川きょうこは昭和18年に他の男性と婚約したが翌年6月に結核病死した。



いよいよその日(昭和19年5月11日)出撃命令が上原に下った。

前の晩、寝床でしたためた彼の最後の言葉が奇跡的に検閲に逃れ、後に上原家に届いている。


<所感>(報道部員に託した初期から

《思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、

これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。

自由の勝利は明白な事だと思います。

自己の信念の正しかった事、このことはあるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが、

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言った事は確かです。

操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなく、もちろん理性もなく。

ただ敵の航空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。

理性を持って考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考えうれば自殺者とでも言いましょうか。

一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです。(略)

明日は自由主義者が一人この世から去って行きます

彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。》


これが僕が熱く胸打たれた文面です。

そして最後に、この詩(うた)を引用させてもらい本日は終わりにしたいと思います。


残していった走り書きに上原さんのこんな詩が読まれて飛びだって行きました。


人の世は別れるとも

           知りながら別れは

                などて かくも 悲しき


先日、ある方から借りた絵本を読ませていただき、本当に改めて尊い命がどういうものなのか、

痛感させていただきました。

そんな気持ちから、今回このような内容を取り上げたまでで、内容に間違いがありましたら申し訳ありません。

出来るだけの資料を手元に置きながら作成したまででのことで。

では、また改めてお話させていただきたいと思います。