これは最近の神保町での収穫。でもほぼ読んでないの。
だって、いかにほんとうのことに触れないか、だから。作品がよければ、いいって言うだけでほんとうのことになるのだから、リスペクトしてくださる人たちに恥ずかしい仕事をさせないためにも、いいものを作らなきゃね、清志さん。作れなかったときは自分で作れてないですって言っちゃわないとね。私みたいに言っちゃう人ばかりじゃないのだから。美しい組版で文章もちゃんと書ける人でもね。
私がおかしいの?とも一瞬思ったけれど、〈鳥の歌はラブラブ〉をすてきな曲と書いちゃってるから、やっぱりおかしいのはプロの音楽業界の人たちで、私でいいんだわ。ちょっとまずいでしょうという寂しい、これ言っていいの?という歌じゃないの。
別に悪い人じゃないまともな人たちって、自殺したお友だちには気遣いするけれど、自分の世界の住人じゃないと思ってる女の人は搾取して死なせちゃっていいとナチュラルに悪気なく無意識に思い込んでるものよ。私、恵まれない生まれでよかったと初めて思ったわ。恵まれた人ってなぜか恵まれた人を選んで結婚してなんとなくうまくいってしまうのはなぜ?って思ってたけど、それは搾取してもいいと思ってる人のことは最初から恋愛対象に入れないからなんだろうな。
今まで書いたことと重複するかもしれないけれど、最近考えてること、覚え書き。
ひとつ。私にとってRCといったら5人編成のバンドだったけれど、ちょっと年上ほとんど同世代といっていい13歳ぐらいでRCをみつけた、感度がいい人だと3人編成時代からのファンなのね。片岡たまきさんや竹中直人さんなど。上の本に破廉ケンチさんと清志さんの対談も入ってて、ちゃんとお付き合いが続いてて安心したのはよかったの。破廉さんの音のファンもいらっしゃるわけで、5人の再結成を夢見てたけど、それ以外も形態もあるんだなあと。
ひとつ。ちゃんと清志さんにインタビューして聞いた人もいらっしゃるのだろうか? 例えば、〈サイクリングブルース〉なら、家あけて奥様は怒りませんか?ちゃんと奥様孝行もしてますか?とかを。〈石井さん〉に入っているもうひとつの苗字は誰ですかということを。清志さんがぼろっと言っちゃう突いちゃう人なのだから、ほんとに彼とちゃんと話をするのなら、彼に対してもぼろっと聞いちゃわないといけない。実は石井というのが仇名でーーだれかが呼び間違ったのが仇名として定着したとかよくある――、もうひとつのほうが旧姓本名とかかもしれないでしょう。石井さんが自分の個人情報だけは知られたくない人だからわざと入れたとかさ。彼に質問した人がちゃんといて、それが書かれていいる本も存在するのだろうか。
ひとつ。古井戸の〈デートソング〉聞いてから、清志さんの作詞は思っていたーー実際の恋愛体験をそのまま詞にしてると思ってたーーより少ない恋愛体験ーー少しはあるーーをふくらませて書いてたのかもしれないという気がしてきたの。
考えすぎ、一人で考えてるのがいけない、早く誰かに話を聞きに行けばいいのに自分、とは思うが。エロい詞『Beat Pops』あたりについて、昨年読書会で読んでもらったら、退廃も感じられるって感想を言うかたがあったの。80年代に聞いたときは、きゃーエロいー♡(エロいという言い回しはまだ存在してなかったけど、ちょうどいい言葉なので使う)とだけ思ったので気にしてなかった。もしかして、彼女のことを好きなときではなく、僕を嫌ってくださって構いません、あきれてください、という気分のときにエロい詞を書いてしまったりしてなかったろうか? 女性が親や親戚に見せたり、仕事での関りの人なら仕事実績にしたかったりを、しにくいようなアルバムにってしてなかったろうか?
あと、20代前半ぐらいのころの清志さんと友達だった女性のSNS記事を読んでたらね。不遇時代の清志さんから、(作詞提供をしてたから)お金はちゃんとあるんだと話されたり、外国に行ってみたいけど何を着たらいいだろうと相談されたので、服についてこうしたらと話したとか書いていらした。
……それ、女の子からモテようと思って収入の心配は無いことをアピールしたり、女の子は海外が好きと思って、新婚旅行も海外に行けるならこの人と付き合おうかなあとか女の子がのってこないかなあ、とか粉かけてたんじゃないの? なのに女性のほうはたんたんと何を着ていけばいいかを考えてあげてるだけ。
そうやってふられていたのでよかったのよ。のちに〈鳥の歌はラブラブ〉他多数のおかしな詞を書くようになるのなら。すごく合う人、芸能界っぽくない内面が合う人と山のふもとで幸せに暮らしてるに違いないって思ってたの。人生のお手本、こういう人たちがいるからこの世が信じられるっていう、そんな暮らしをしているとばかり。私は清志さんが好きなわけだけど、実際の知り合いに片思いしてるわけじゃないから、彼女と仲良くしている曲より、言いたいことが彼女の心に入ってかない曲を聞く方が苦しかった。そんなことなら、実際の知り合いになるべく動けばよかったって思い始めたの。
こうなるのなら、私が大人になるまで、すべての女性からふられてればよかったのに。
離、別、涙、傷とか不吉な字が多いのはお手本が木が枯れてくのを嘆く詩だからなの。寂しい詩なのだけど、その詩を題材に字を書いた人の作品(褚遂良という人らしい)が現代日本の書道教室のメジャーなお手本だから、行書の練習に書いてる。
仮名は万葉集。万葉集巻4は相聞(恋愛が多いが恋愛以外もある相手の消息をたずねるみたいな意味かな)の歌、平安時代の巻4の部分だけが現存してるという本をお手本にしてるの。
万葉集565 大伴の 見つとは云はじ。 茜さす 照れる月夜(つくよ)に、 直接(ただ)に逢へりと。折口信夫さんの大阪語訳だと、「この月の良い晩に、ただ二人直(じか)に逢うているけれども、こうして逢うても、誰にもこの媾(この字がわからなくて調べると、交わるという意味だそうです)会したことはいうまい」。