―――大人は、嫌いだ。
朝も 昼も 夜も 意味がなかった。
言葉に意味がなかった。
生きてることの意味がなかった。
食べて、寝て、気を使われて、気を遣う。
そのすべてに意味がなかった。
淡々と、そんな簡単に時間は過ぎてくれない。
まるで疲れた金魚のように、
風のない日の水面のように、
誰もいないリビングでTVから人の声を聞く。
自分に向けられない人の声は心地よかった。
誰も私をなかったことにしてくれる。
私じゃなくその他大勢に向かって求められる同意。
奥さん、子どもを甘やかすだけが育児じゃないんですよ。
そういったキャスターの何がこの公共電波を占有する権利を持たせるのか。
朝10時から12時までのTVほど役に立たないものはなかった。
だから朝は来ない方がいい。
昼から起きたほうがいい。
学校の意味もなかった。
勉強は誰よりできた。
授業で一度聞いて理解できないことなんてなかった。
覚えたり書いたりするのは苦手だったけど、点数はとれた。
美術は苦手だと、先生に教えられた。
私は作ることが苦手だと。
自分では困らせてるつもりはなかった。
ただ毎日、学校には行きたくなかった。
学校に行ったら、笑わなくちゃいけない。
学校に行ったら、自分が刈り取られる。
私の意見をほかの人に作られる。
それを受け入れて、笑う。
この人たちは、何の権利を得て私を侵害してるんだろう。
なんの力があって、束縛するんだろう。
私は一度もその人たちに名前で呼んでと言ったことがなかった。
「先生」そう呼ばれた人たちの共通点はただ、私より先に生まれていること。
その「先生」の一部が持ってた本に書いてあった。
大人はただ長く生きてる、ただそれだけで尊敬すべきものなんだと。
半分納得して、半分馬鹿だと思った。
今なら、生きることの大変さより死ぬことの大変さを思う。
でもその時私の頭に死は遠いものとして隠してあった。
「先生」の中には好きになれる人もいた。
「先生」であっても私はどうしたい、を聞いてくれる人。
そうゆう人は好きだった。
私、を認めてくれる人は、好きだった。
最初のほう、学校にはそうゆう先生が全然いなかった。
「担任」はクラスの長、「親」になろうとした。
「親」の持つ意味を彼は知らないんだと思った。
彼にとっての「親」の態度は、発達途上の子どもを、大切に正しいほうへ導く。
間違った道は歩かせてはいけない。
正しい道はただ一つその道を歩けば、間違いはない=高校に行ける。
大学にだって行きたかった。
キャリアウーマンになりたかった。
高校は地元の底辺校じゃなく、街の進学校が良かった。
この街を出たかった。
でも、学校に行くたびに私が削られて、
学校にいるだけで少しずつ死に近づいてるだけだと思ってた。
出口が見えない迷路。
答えは教科書じゃなく「先生」
私は頭が悪かった。
機転が利かなかった。
勉強はできたけど、上手に世渡りができなかった。
たくさん傷ついたつもりでいたけど、たくさん傷つけただけだった。
そのころにはもう、身動きが取れなくなっていた。
「先生」がいってた納得できないなら自分で変えるんだって。
でもその時私はもう自分の力を信じられなかった。
逃げることも戦うこともできなくてただ毎朝、体調不良を訴えることしかできなかった。
本当の親は休んでもいいんだって言ってくれた。
すっごい勇気だったと思う。
私だって休む勇気がなかったのに、休んでいいって言ってくれた。
その時の感情はうまく言えない。
あっけにとられて、そんな方法があるなんて思ってなくて、
申し訳なくて
でも、許してもらえるなら、ゆうこと聞くって形で学校から逃げたかった。
半年くらい休んだ。
勉強は好きだったから、授業に出てない不安はたくさんあった。
友だちともコンタクト取れないことにも不安で。
「先生」がかわいそうに一人臨時採用の「先生」を仕向けて来た。
彼女はよくやってきた。
私は責められてた。
お父さんが「先生」に私が焼いたクッキーを出した
私はそのクッキーをお母さんに食べさせたかった。
「先生」は全部食べた
お父さんも先生もすべてがもう嫌だった
思いどうりに行かないこと、人目を気にして言えないことすべてがいやだった。
「先生」は「私の友だち」に私への手紙を書かせた。
男の子は水色の、女の子は黄色のそれぞれ一枚の紙。
それを見た瞬間「裏切られた!!」って思った。
手紙くれるような人たちじゃなかった。
書いてくれるしてもそろった紙になんて。
しかも中身はほとんど同じ、「文化祭においでよ。」
もう友だちもいないのか。
だからちょっと、焦った。
捨てるのには忍びない、みたいな
フラれるといとしくなる、みたいな
そうゆう。
手紙を書かせる、一番傷ついた。
私の中では二段階あって文化祭に行った
裏切られた!!→友だちがもう友だちじゃない→ここ逃すともう復帰できないんじゃないかって不安
だから文化祭行った。
全校合唱前に出たけど歌わなかった。
笑ってた。
昔から、ほんとに小さい時から舞台上が大好きだった。
学芸発表会の特別時間割がきらきらの宝石みたいだった。
保育所で白鳥の湖にヒロインで出させてもらって、
最初の小学校ではほとんどでづっパリで
次の小学校では熱意が認められて学年劇の副監督をやらせてもらった。
照明係をしながら、私ならもっとこうするのにとか、面白いなとか
やっぱろでたぁったなて思ってた。
「先生」的には大成功。
それでも終わると私はまた休んだ。
年が明けてそろそろ行ってみたら?ってお母さんに言われて
暇のつぶし方が分からなくなってた私はうなづいた。
私の行動は母の一言でいつも決まってるなって思った。
最初はいくつかの授業だけでて後は家庭科室とか保健室とか相談室で一人か「先生」が一人来て勉強してた。
ほとんど保健室で寝てたような気もするし
相談室でしゃべってたような気もするし
ピアノを適当に弾いてみたり
絵を描いたり
詩を書いたりしてた気がする
学年が上がって授業に復帰した。
私はまた仮面をかぶった。
笑っていた。
いい子でいなきゃいけないって思ってた。
もう休みたいなんて、行っちゃいけないって思ってた。
授業は集中して聞いてたし
「先生」の雑談はもったいない時間にしか思えなかった
それでも笑ってた。
「治った」そう思ってもらわなきゃ困るって思ってた。
2回目のテストには学年一位に返り咲いた。
嫌われたたと思う。
それでも良かった。
早く学校を抜けだしたかったから。
いっぱいいっぱい勉強して、私は普通になった。
生徒会長になった。
変えるために
でも私には何もできなかった
何一つできなかった
変われなかった
変えられなかった
あの学校で私は太ることしかできなかった