変する金曜日

変する金曜日

徒然なるままに、日々の世迷い言を、思いついたぶんだけ連ねてゆきます。

チラシの裏とはこういう場所のことをいうのだ


Amebaでブログを始めよう!
お久しぶりです。
雨にも風にも放射能にもPM2.5にも負けず、私は元気です。

アメブロ最後の更新です。

まずは最近のお気に入りチューンから。
(ひさしぶりすぎてYoutubeのはめ込み方忘れちまったよ)

現代ポップスのありとあらゆる要素を詰め込んだ1stアルバムを出すだけ出しといて「散開」してしまった、トマパイことTomato n' Pineの「そして寝る間もなくソリチュード」 

http://www.youtube.com/watch?v=D1-Jvf4hJfY

アイドルポップスがもてはやされる昨今ですが、これにはさすがに参った。
プログレッシブなメタル・チューン。完璧だわ。

歌詞もすごくよくて、実はSNSで自分を「何者」かに見立てて飾ろうとする僕たち自身を皮肉ってる。


僕は「何者か」になりきるのが面倒臭くなったので、今後は本名も顔も晒して活動します。

↓とりあえず大本営の仮設基地はこちら。
http://sublimepeace.blog.fc2.com/

このブログも青春時代のモンモンが染みついてていい感じに気色悪くてステキでしたね。
(間違っても引っ越し先からはたどってこれないようにしないとな!)



ウォッチ用にアカウントとページは残しておきますが、とりあえずこれでおさらば。
今後もこの調子でぶっ走り続けます。


初春のZEPP TOKYOにて。

白でリンゴの絵が描かれた黒い旗と、それをとりまく赤い幕。
雑然としたステージ上には音響機材をチェックするローディー。
全身黒のスーツと帽子でオシャレに決めている。
アンプ、ドラム、パーカッション。
ギター、ピアノの上の小さなオルガン、マリンバ。

ステージ上の「色」はバンドのコンセプトに則り、
すべてが赤と黒と白に統一されている。

開演前のBGMはブルース、60~70年代のハードなガレージ・ロック。
ショウが始まり、出てきたのは若い男女。

ドラムとギター&ボーカル。5千人収容の会場に2人のみ。


「僕の名前はジャック・ホワイト、そして彼女が姉のメグ。僕たちはホワイト・ストライプス」

自己紹介を言い終えるタイミングで繰り出されたのは、エフェクターで思いっきり歪められたギターの、車のエンジンが爆発したかのような爆音。

ジャックは歌いながらギターをかき鳴らしていた。時にはマイク無しの地声で。
そしてピアノからオルガンへとステージ上を飛びまわり、マリンバを叩きながら
ギターとアンプに直結させた足元のペダルを踏み耳をつんざくノイズ音を放出させる。
手元のスティックをくるくると回しながら。

気がつけばショウは終わっていた。アンコール前の退場を除けば、ノンストップ。
後で聞いたところによると理由は「日本人特有の曲間での静寂が嫌いだから」だそうだ。

彼らのライブにセットリストは存在しない。ジャックはその場の思いつきで演奏する曲を決め、
ギターのリフにメグが安定しない、おぼつかないリズムでドラムやパーカッションの音を合わせていくだけだ。

そうやって彼らは地球上の至る所で何千・何万の観衆を熱狂させてきた。


2004年、世界中のラジオやテレビで流された「セブン・ネイション・アーミー」のギター・リフ。
10代の頃の僕もあのリフが頭のなかをぐるぐる回り、離れなくなった日が幾日もあった。


CDを夢中で聴き漁り、念願の2006年3月。初めて体験した彼らのライブ。
あの夜のライブの興奮を超える音楽体験を、僕はいまだ味わったことがない。

あの興奮を味わえる日が再び来るのを心待ちにしていた2011年2月2日。
ザ・ホワイト・ストライプスは解散した。


バンドの解散を伝える声明文は、以下のような文章で締めくくられていた。

「ホワイト・ストライプスはもうメグとジャックのものではない。
ホワイト・ストライプスは君たちのもので、君たちがどうにでもすることができる。

アートとミュージックの美しさは、人々がそう望みさえすれば、永遠に続く。
この体験を分かち合ってくれてありがとう。
君たちとの関わりを忘れることはない。

本当に感謝している」


思い出したのは奇しくも2006年のサッカー・ワールドカップ、ドイツ大会でのエピソードだ。

大会を制覇したイタリア代表チームのサポーターが、お馴染みのギター・リフを合唱している。
ローマ出身の選手トッティがロッカールームで口ずさんだ鼻歌が選手の間で広まり、
それをTVで観た大勢のファンがこぞってマネたのが広まったのだそうだ。

「Po Po Poo SONG」などと呼ばれ“イタリア第2の国歌”とも称されるに至ったその曲が、
米デトロイト出身の姉弟を名乗る元夫婦によるロックバンドの代表曲であることを、
おそらくイタリア人の多くは知る由もないだろう。

マスコミの取材に対しジャック・ホワイトは、
それは音楽やアートにとって歓迎されるべき事態なのだと応えていた。

「僕らの音楽は真の意味でのFork song=大衆のための音楽になった。これは素晴らしいことなんだ」

というわけだ。


ホワイト・ストライプスは解散した。

僕にとっては非常にパーソナルな出来事だった。
ひとつの時代が幕を閉じた。

ジャック・ホワイトは今後も新たな形態で次々と新しい音楽を生み出していくだろう。
メグ・ホワイトが表舞台で活躍するかどうかは分からない。
彼と彼女が今後どのような道を歩いて行くのか、確かなことは分からない。


寄る辺ない気持ちに陥った僕がどれだけ途方に暮れようと、
これからも時代は動く。

そしてロックは転がり続ける。
確かにいえることはそれだけだ。



#彼らのキャリア最後の作品となったライブドキュメンタリーフィルム
「UNDER GREAT WHITE NORTHEN LIGHTS」を観終え、
彼らの強烈なええかっこしさの毒気に当てられた極東のいちファンが、
恥ずかしさも痛さもすべてうっちゃって勢い任せに書いた日記、終わり。
すっかり記事投稿を怠ってしまいましたが、いいのだ。
もう、これでいいのだ。

ネット上で自分の身分を晒すことに過大な抵抗があったけど、
今年の春を境に限定的な地域内で「公人」となってしまったわが身です。

どんなに、あくまでも某県某市某村のなかでのみ、と言われようが、
ネット隆盛の時代に名前ググれば顔写真も出ちゃうってぇの。どんだけ~。


まだ来年度からどのように動くかは決めていませんが、次の春からは全部統合いたします。
mixiもツイッターもアメーバも、ぜんぶひとまとめに統合。

たぶん映画が公開されたら日本でも利用人口が増えると予想される、
Facebookを大本営にしようかな。


もう一種の開き直りです。電話をしたとき、ひとに質問をするときって、
誰だってまず自分の名と身分を明かすものですもの。

自己の発言に責任を持つ、ってのはそういうことです。
そんなことをこの1年ばかりで学びました。

さて、おそらく公開期間も残り数か月なアメブロに書く、今年の総括の日記です。
多くは語りません。まずはこいつを見ろ。ごめんなさい、見てください。






ね?もうこれで十分ですよ。田舎に来て知ったこと。田舎が直面していること。
これ見たとき素で泣きましたからね僕。

前々からIKZOリミックスシリーズはネタとして楽しんでもいたんだけど、やっぱり「俺ら東京さ行ぐだ」という曲には計り知れないパワーがあると信じてきました。

この曲が内包するメッセージ性、かぎりなくラップに近いこの歌唱形態は、著作権無視のネットの無法地帯の中で、2次創作としていつかすごい花を咲かせるのではないのかと。


本当に花開きました。しかも僕の乏しい想像の域をはるかに超えていました。
元ネタ→マッシュアップ化→さらに吉幾三を交えてIKZOリミックス化→そして「嘘歌詞字幕」や「青森弾幕」のような、鑑賞者たちが手を加えたことによりより一層深みを増すメッセージ性

2次にも3次にも4次にも、進化は無限に進んでいく。
ページを開くたびに作品の内容も変わっていく。

これが新世代の、ポスト情報革命のアートだ。
まぁ半ば本気、半ばギャグで断言させてもらいますが。


田舎の実相を学ぶ、ということで日々様々な人との出会い、様々な体験をさせてもらってます。
期間は定まっていて、こんなホーマァー人生史上かつてないほどの“リア充”状態を満喫できるのも残り3カ月ほど。


せいいっぱい(ローギアで)突っ走っていきたいとおもいます。