一体、何が原因なんだろう? -204ページ目
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気功を習いたいのに・・・

 その当時私は気功に興味があったのですが、仕事で時間の都合が付かなかったために習うことができませんでした。 そんな私に、気功を使えるが特に教室などは開いていないので都合に合わせて教えて下さると言って下さる方を友人が紹介してくれました。 私は早速連絡を取りました。 友人からはかなりの力を持っている方だと聞いていたので楽しみでした。
 ですがその方は、私が挨拶を済ますなり、気功の「気」の字も口にせずに「Y.G.塾」という私塾の連絡先を私に伝え、「すぐにここに連絡を取りなさい。 私の紹介だと言えば分かるから。」と強い口調で指示され、電話を切られました。 最初はどこかお勧めの「気功教室」を紹介して下さったのかなと思いましたが、どうもそうではありません。 一体この私塾は気功とどういう関係があるのだろうと、かなり不満でしたが、「一通り言われたことをやってからでないと気功を教えてもらえないだろうから」と自分をなだめ、気功とは全く関係のなさそうな「Y.G.塾」に連絡を取り、塾長と面会する予約を入れました。
 数日後に塾長のY.S.先生という方と2~30分ほどお話しをさせて頂きました。 話の内容は人間の「心」とはどういうものかを三層構造で分かりやすく説明したものです。 精神分析学や成功法則で言われている「表層意識」「無意識」のさらに奥に「真我」と呼ばれる本当の自分が存在し、ここに至ることを宗教では「悟り」といい、Y.G.塾の「真我開発セミナー」は一泊二日でこの真我を「体感」できるのだというものでした。

感情の余韻が・・・

 1999年12月頃だったと記憶しています。 ある日突然、違和感を覚えました。 最初のうちはその「違和感」が何に対してのものなのか全く解りませんでしたが、そのうちに自分の「感情」が消えかかっていることに気付きました。 私達が怒ったり、悲しんだり、喜んだりした際、その「余韻」というものが暫くの間続くと思います。 その「余韻」は徐々に薄らいでいきますが、心に深く刻まれたり、影響を与えたりしたものほど長く続くはずです。 丁度、ピンと張ったゴムや弦を弾いたときのように、弾いた直後の振動が最大で、その振幅が時間と共に小さくなってゆくようなものです。 大きく弾けば振幅が大きく、長く振動しています。 逆に小さく弾けば振幅も小さく、振動している時間も短くなります。 私に起きた変化とは、この弾いた弦を急に指でつまんだかのように、感情の「余韻」が急に消えてしまうことでした。
 私はこれまで、こんな事を口にしている人に会ったことはありませんし、本でも読んだことはありません。 気にはなるのですが、日常生活に支障はなく、また具体的にどうしてよいかも分からず、そのまま半年近くが経過してしまいました。

もしかして・・・

 最初に覚えた違和感は「悲しさ」でした。 それもこれまで感じた事がないほど強い悲しみなのですが、 一体何に対してして悲しいのか全く分かりませんでした。 ただひたすら「悲しい」、それも胸に「突き上げる」ような激しい「悲しさ」でした。
 何故理由らしい理由もないのにこれほど悲しくて仕方がないのか、戸惑いました。 そしてその悲しみは日増しに強くなってきます。 私の脳裏に「もしかしたら・・・」とある一つの出来事がよぎりました。 1999年12月頃から約1年間に経験した出来事の数々です。 自分ではそれらはほぼ解決したつもりでしたが、まだ心に引っかかっている部分がいくつかあります。 解決したつもりであっただけで実は解決していなかったのか、未解決の部分が表に現れたのか、はっきりとわかりません。 ですがどうしても無関係とも思えませんでした。
 私は2001年1月31日からタイで生活を始めました。 その約1年前、1999年末から私の身に起きた出来事は今でも「夢を見ていた」ような気がします。 その出来事の中に、自分がおかしくなった原因、又は原因に関係していると思われる出来事が多々あります。 自分で経験した事なのですが、私の拙い表現力では上手く書けずに、だらだらと長い文章になってしまいますが、取り敢えず振り返ってみたいと思います。

始めに

 私は3年半前に鬱を発症しました。 それはとても言葉では説明の出来ない辛い体験でした。

 自分に何が起きているのか把握しきれないまま、自分の半生を振り返り、原因を自分なりに探りました。 その時の記録を下書きにしてこのブログを書いています。
 
 書いている内容はダラダラと長く書いているので、途中から読むと何が書いてあり、何が言いたいのか全然分からないと思いますので、ちょっと整理してみます。
 
 私は約10年前にタイへ移り住みました。 そして、移住する約1年前から、いくつかの不思議な体験をします。 きっかけは「感情の余韻」がなくなってゆく事でした。

 それから半年後、「気功」を覚えたくて友人から紹介して貰った人に連絡を取ると、「Y塾」なる所を紹介され、至急連絡を取るようにと言われました。 そして、そこで行われているセミナーである「真我開発講座」を受講する事になりました。 この辺りはブログの最初の頃に書いてあります。

 受講して気付いた事は、私は母を異常なまでに憎んでいる事でした。 ですが、何故母をそこまで憎んでいたのか自分でも分かりませんでした。 分かっている事は、母も自分の母、私から見れば祖母を異常なまでに憎んでいることだけです。 どうも私は母から「親を恨む」という事を、知らない間に学んでしまったようです。
 セミナーでは、たった一言「母さん、ごめんなさい」と紙に書くなり、口に出すだけの事が、どうしてもできず、1泊2日のセミナー時間の全てをこの一言の為に費やしました。
 「母さん、ありがとう」と言えるようになる為に、2回目のセミナー時間の全てを費やしました。

 実の母親をここまで憎んでいる事に、表現のしようのないショックを受けました。 そして、3回目のセミナーでは母以外にも、心の奥底にわだかまりがあることが分かり、4回目のセミナーでそれが「妹」である事が分かりました。
 母に対する憎悪の念も異常なものでしたが、「妹」に対するそれはそれを更に上回る異常なものでした。

 ここまでが現在書いているテーマ「世代間伝播」の主なあらすじです。


 そして、セミナー中に「何故、私は妹をここまで憎むのか?」と自問自答を繰り返すうち、様々な過去の出来事を思い出します。 それは私の「トラウマ」に関する出来事の数々です。

 中学3年の2学期、妹に「流行性耳下腺炎(お多福風邪)」を移され、睾丸炎が悪化したので入院した為に内申書が悪くなり、高校受験に失敗しました。
 同時に睾丸炎が元で、右の睾丸を失いました。 おそらくはそれが原因になったのだと思います。 女性に対して強いコンプレックスを持つようになり、女性が苦手になりました。

 家業を継ぐつもりだったので、仕事に打ち込み、それなりの成果を得る事ができましたが、女性に関してはその逆で、彼女どころか女友達もできないありさまでした。 そんな事が、私の心を少しずつ「歪め」てゆき、無意識のうちに原因を「妹のせい」にしていたのかも知れません。 その辺りをテーマ「トラウマ」に詳しく書いています。 そして現在も書き続けている所です。


 この頃気付いた問題が好転して一段落つくと、私はタイに移住します。 10年間憧れたタイでの生活が始まりましたが、それはそんな甘いものではありませんでした。
 そしてタイに移住してから約7年後、私は鬱を発症し、その後精神病特有の症状を数多く経験しました。 治療を受けた精神科医は私の症状を書き出したものを見詰め
 「集中力欠如と睡眠障害以外の精神疾患特有の症状は程度の差こそあれ殆ど経験していますね。」
 と言うほど多くの症状が現れ、主訴が頻繁に変わりました。 この時、私は日本での様々な経験を再度振り返り、そこに原因を求めますが、今一つ納得がいきませんでした。

 鬱を発症してから約1年後、私は同僚から1人の尼僧を紹介して貰います。 紹介を受けた後、私の症状は徐々に回復してゆきましたが、「脳の機能」は余り回復しておらず、発症前のような集中力がありません。 この辺りは後日、時間が許せばゆっくりと書いてゆこうと思っています。



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