二年前のちょうど今頃、この日と同じように東京ドームでポール・マッカートニーのライブを観た。

あの日、四半世紀ぶりに観たポールのコンサートは本当に素晴らしいものだった。

あれ以降、完全にポールロス状態になり、今日に至るまで随分とビートルズやポールの音楽を聴いて過ごしてきた。

今更ながらビートルズやポールの楽曲を聴いていると、何か自分がロックを聴き始めた頃の気持ちや初期衝動がよみがえってくる。

そして今こんなことを考えている。

人間が生きていく上で水や空気を必要とするのと同じように、自分はビートルズやポールの音楽を必要としているのだと。

今回のライブには、中学の同級生だった古くからの友人と一緒に行った。

中学生のとき、そいつに薦められて【ウイングス・グレイテストヒッツ】を購入した記憶がある。ビートルズ解散以降のソロワークスに関連した作品を買ったのはおそらくそのときが初めてだったように思う。

東京ドームの自分の座席に着くと、イスの上には未使用のサイリウムと何やら怪しげな紙が置いてあった。

【ご協力のお願いの内容】
コンサートの後半で「HEY JUDE」を披露します。この曲の時に、座席にあるサイリウムで座席一面を今回のテーマカラーである水色に染めてください。

さらにその紙には「ポール・マッカートニーさんご本人には内緒の演出です」とも書いてあったが、地下アイドルの生誕祭かっつうのwww

コンサートの一曲目は「ア・ハード・デイズ・ナイト」。日本で歌われたのは今回のツアーが初めての曲だ。

この曲の妙味はジョンのリードボーカルが途中でポールに入れ替わるところだが、こうした曲をあえてオープニングにもってくるところがポールの大胆なところだ。

しかしイントロの「ジャーン!」のあとポールが歌い出した途端に、それがジョンのパートであったことを忘れ、オリジナルのように聴こえてしまうのだから不思議。

これがビートルズの楽曲における「ポールの絶対性」というやつで、極端なことをいえばポールが歌うだけでそれがオリジナルのような説得力を生む。

セットリストに関してはあちこちで言われているように、前回同様ビートルズ曲を中心とした代表曲のオンパレード。全体の比率でいえば60年代70年代の楽曲が全体の9割くらいを占めていただろうか。

こうした懐メロコンサートに対して批判的な意見も多いが、これはこれで正しい選曲だと思う。

多くの観客が望んでいることは、今のポールが今のポールを歌うことではなく、今のポールが過去のポールを歌うことだ。もちろん本人だって、多くの観客が自分に何を求め何を聴きたがっているのかわかっているだろう。

単なるサービス精神というよりも、おそらくポールは自分がビートルズのメンバーであったことを宿命として受け止め、人生の最終章に入った今、残りの音楽人生を世界中のビートルズファンに捧げようと決意したのではないだろうか。

ポール・マッカートニーの日本公演など夢のまた夢だった時代にビートルズやウイングスを知った自分のような世代の人間には、こうしたコンサートが日本で行われていることじたいが殆ど奇跡のように思えてしまう。

そしてわかっていたとはいえ、本編ラストの「ヘイ・ジュード」でドームの観客席が水色に染まる景色は圧巻だった。

前回のライブのときは、自分の後ろに座っていたオッサンが大声で「ラーラーラ、ララララ、ヘイジュー!」と繰り返し歌っていて思い切り脱力したが(いうまでもなくナーナーナ、ナナナナが正しい発音)、今回の「ヘイ・ジュード」はサイリウム効果も相まって本当に感動的だった。

そしてアンコールのラストに披露されたのは前回同様に「ゴールデン・スランバー」から始まるアビーロードメドレーだった。

この心の底から湧き出てくるようなエモーションはいったい何なのだろうか。

これでコンサートが終わってしまうという寂しさ、それもあるだろう。しかしそれ以上に「ポールを観ることが出来るのはこれが最後になるのかもしれない」という感情が同時に芽生え、それがセンチメンタルな感情を呼び起こす。

「see you next time」

2020年、新国立競技場でポールのライブをというファンの願いは果たして実現するだろうか。