自分と同年代の人間で、アイドルは80年代、90年代こそが最高で、今のアイドルなんかつまらない、という輩がよくいる。
そういう人達にとっての、心の支えは、おニャン子CLUBであったり、乙女塾であったり、東京パフォーマンスドールであったりするわけだが、ハッキリ言うと、オレはそういう懐古主義者が、あまり好きではない。
なぜなら、自分が考えるにアイドルというジャンルの本質は、常に「現在(いま)」に在り、「現在(いま)」という時間軸の中に存在しているからこそ、彼女達は輝いているのだと思っているからだ。
同時代に起きていることは、過小に評価されるか、ほとんど無視され、過去に行われたことは、神格化され、過大に評価されるというのは、世の常だと思うが、はたして80年代、90年代のアイドルというのは、今のアイドルと比較して、そんなに素晴らしいものだったのだろうか。
今、考えると、そんなにいいものではなかったと思う。
もちろん、中には優れたものもあったが、ライブのパフォーマンスにしても、楽曲のクオリティにしても、現在とでは、比較にならないくらい稚拙なものが多かったように思う。
アイドルというジャンルは、この10年、15年の間に、目まぐるしいスピードで、発展し、進化していった。
そんな「アイドル進化論」を唱える自分の立場からすると、今のアイドルを理解出来ないような、感性の鈍いオッサンに、過去のアイドルの偉大さを、語ってほしくないという気持ちがある。
今回のイベントの主旨は、80年代、90年代のアイドル達が、久しぶりにファンの前に立ち、当時の歌を披露するので、みんなでそれを囲って、盛り上がろうといったもの。
当然、場内には40代以上の高齢者が集まり、オッサン臭く盛り上がる。
前述したような、80年代、90年代のアイドル原理主義者にとっては、たまらないイベントだったに違いない。
出演者の、過去の所属グループは、セイントフォー、風間三姉妹、MELODY、そして東京パフォーマンスドールと、大阪パフォーマンスドールである。
とは言っても、浅香唯や篠原涼子が出てきたわけではなく、世間的には、ほとんど無名に近いアイドル達がそこにはいた。
当然、自分はパフォーマンスドールのメンバーに対する興味から、このイベントを観に行ったわけだが、勿論、他の出演者のことも覚えているし、MELODYにいたっては、当時、ライブを観たこともある。
進行上、この日の出演者が、すべて同じ時代に活動していたような括りになっていたが、正確にはセイントフォーと風間三姉妹は、昭和のアイドルで、パフォーマンスドールとMELODYは、平成に入ってからのアイドルグループである。従って、それらの間には、時代的な隔たりが存在する。
また、当時は、今のようにアイドルグループ同士の対バンや、交流といったものが、ほとんどなかったので、おそらく、この日の出演者達も、現役の頃は、互いに接点はなかったのではないかと思う。
一部のトークショーが終わり、二部のライブは、木原さとみ、川村知砂、八木田麻衣のTPDメンバー3人による「ブキウギ・ダンシング・シューズ」で始まった。
当時の音で、当時の振り付けが、そのまま再現されているのだが、どこかおかしいように見える。
その印象は、2曲目の「ジャスト・ライク・マジック」が始まっても、OPDの武内由紀子を交えての「キスは少年を浪費する」が、披露されても、さほど変わらない。
まるで、すきま風のようなものが、背後に吹いている感覚。やはり、それは、今の彼女達の現役感の欠落に、すべて起因するものではないだろうか。
2008年に行われたOPDの復活ライブが、何故、あれだけ素晴らしかったのかというと、それは、あの日のライブに向けて、入念なリハーサルを何日間も行い、当時と寸分違わぬパフォーマンスを披露したメンバーの本気度に、我々が心をうたれたからだ。
赤坂で行われている、CHANDOLLの公演に、自分が何度も通う理由は、TPDの楽曲が歌われていることもあるが、それ以上に、中川雅子と徳永愛のパフォーマンスに、現役アイドルとしての価値を見いだしているからである。
パフォーマンスドールの楽曲を、単に歌うだけではなく、そこに「命」や「魂」を吹き込むには、メンバー自身が、本気でパフォーマンスドールのライブとは何なのかを考え、それと向き合う覚悟と決意が必要なのだと思う。
ライブ前日に、川村知砂が名古屋から上京し、全員でいちど練習をした程度で、どうして、それがパフォーマンスドールのステージになろうか。この日の彼女達のライブは、まるでプロ野球のオフシーズンに行われるマスターズリーグのようだった。
だからといって、現役を退いて、これだけ年数の経った彼女達に、かつてのような歌とダンスを要求するというのも、無茶な相談であり、これはこれで致し方ないことだろう。
こうして、何年かに一度でもメンバーが集まり、元気な姿を見せてくれるだけでも、我々は十分に幸せなのだと思う。
いろいろな意味で、90年代は遠くなったことを実感した亀戸の夜だった。
そういう人達にとっての、心の支えは、おニャン子CLUBであったり、乙女塾であったり、東京パフォーマンスドールであったりするわけだが、ハッキリ言うと、オレはそういう懐古主義者が、あまり好きではない。
なぜなら、自分が考えるにアイドルというジャンルの本質は、常に「現在(いま)」に在り、「現在(いま)」という時間軸の中に存在しているからこそ、彼女達は輝いているのだと思っているからだ。
同時代に起きていることは、過小に評価されるか、ほとんど無視され、過去に行われたことは、神格化され、過大に評価されるというのは、世の常だと思うが、はたして80年代、90年代のアイドルというのは、今のアイドルと比較して、そんなに素晴らしいものだったのだろうか。
今、考えると、そんなにいいものではなかったと思う。
もちろん、中には優れたものもあったが、ライブのパフォーマンスにしても、楽曲のクオリティにしても、現在とでは、比較にならないくらい稚拙なものが多かったように思う。
アイドルというジャンルは、この10年、15年の間に、目まぐるしいスピードで、発展し、進化していった。
そんな「アイドル進化論」を唱える自分の立場からすると、今のアイドルを理解出来ないような、感性の鈍いオッサンに、過去のアイドルの偉大さを、語ってほしくないという気持ちがある。
今回のイベントの主旨は、80年代、90年代のアイドル達が、久しぶりにファンの前に立ち、当時の歌を披露するので、みんなでそれを囲って、盛り上がろうといったもの。
当然、場内には40代以上の高齢者が集まり、オッサン臭く盛り上がる。
前述したような、80年代、90年代のアイドル原理主義者にとっては、たまらないイベントだったに違いない。
出演者の、過去の所属グループは、セイントフォー、風間三姉妹、MELODY、そして東京パフォーマンスドールと、大阪パフォーマンスドールである。
とは言っても、浅香唯や篠原涼子が出てきたわけではなく、世間的には、ほとんど無名に近いアイドル達がそこにはいた。
当然、自分はパフォーマンスドールのメンバーに対する興味から、このイベントを観に行ったわけだが、勿論、他の出演者のことも覚えているし、MELODYにいたっては、当時、ライブを観たこともある。
進行上、この日の出演者が、すべて同じ時代に活動していたような括りになっていたが、正確にはセイントフォーと風間三姉妹は、昭和のアイドルで、パフォーマンスドールとMELODYは、平成に入ってからのアイドルグループである。従って、それらの間には、時代的な隔たりが存在する。
また、当時は、今のようにアイドルグループ同士の対バンや、交流といったものが、ほとんどなかったので、おそらく、この日の出演者達も、現役の頃は、互いに接点はなかったのではないかと思う。
一部のトークショーが終わり、二部のライブは、木原さとみ、川村知砂、八木田麻衣のTPDメンバー3人による「ブキウギ・ダンシング・シューズ」で始まった。
当時の音で、当時の振り付けが、そのまま再現されているのだが、どこかおかしいように見える。
その印象は、2曲目の「ジャスト・ライク・マジック」が始まっても、OPDの武内由紀子を交えての「キスは少年を浪費する」が、披露されても、さほど変わらない。
まるで、すきま風のようなものが、背後に吹いている感覚。やはり、それは、今の彼女達の現役感の欠落に、すべて起因するものではないだろうか。
2008年に行われたOPDの復活ライブが、何故、あれだけ素晴らしかったのかというと、それは、あの日のライブに向けて、入念なリハーサルを何日間も行い、当時と寸分違わぬパフォーマンスを披露したメンバーの本気度に、我々が心をうたれたからだ。
赤坂で行われている、CHANDOLLの公演に、自分が何度も通う理由は、TPDの楽曲が歌われていることもあるが、それ以上に、中川雅子と徳永愛のパフォーマンスに、現役アイドルとしての価値を見いだしているからである。
パフォーマンスドールの楽曲を、単に歌うだけではなく、そこに「命」や「魂」を吹き込むには、メンバー自身が、本気でパフォーマンスドールのライブとは何なのかを考え、それと向き合う覚悟と決意が必要なのだと思う。
ライブ前日に、川村知砂が名古屋から上京し、全員でいちど練習をした程度で、どうして、それがパフォーマンスドールのステージになろうか。この日の彼女達のライブは、まるでプロ野球のオフシーズンに行われるマスターズリーグのようだった。
だからといって、現役を退いて、これだけ年数の経った彼女達に、かつてのような歌とダンスを要求するというのも、無茶な相談であり、これはこれで致し方ないことだろう。
こうして、何年かに一度でもメンバーが集まり、元気な姿を見せてくれるだけでも、我々は十分に幸せなのだと思う。
いろいろな意味で、90年代は遠くなったことを実感した亀戸の夜だった。