21世紀になってからの、ボブ・ディランの活動内容は、現役のミュージシャンとして、ネヴァー・エンディング・ツアーで世界中を旅しながら、数年に一度、新作を発表し、また同時進行的に、過去の自分の音楽活動を総括するアーカイヴものをリリースするという、初老のロックミュージシャンとは思えないような、おそろしくエネルギッシュな表現活動を展開している。

ブートレッグ・シリーズと称された未発表音源を中心にコンバイルした作品集も、今回の「アナザー・セルフ・ポートレイト」でついに第10集まできたが、いちばん最初にリリースされた作品が3枚組CDで、なぜかそれがVOL.1~VOL.3とカウントされているので、今回の「アナザー・セルフ・ポートレイト」は正確には第8集ということになる。

また数年前、このブートレッグ・シリーズ以外にも、60年代の未発表ライブ音源がリリースされたことがあったが、何にしても、ディランのそれは、とても存命中のアーティストとは思えない過去の発掘音源の量であり、ディランファンにとっての、この10年、15年という時間は、その何倍にも匹敵するような歳月だったといえる。

さて、今回のブートレッグ・シリーズ第10集では、1969年から1971までのレコーディングセッションが収められており、主にアルバム「セルフ・ポートレイト」からの未発表曲、未発表音源が中心に収録されている。

60年代の終わりから、70年代の初めという時代を、ロック史的に考えると、歴史上、もっともスリリングな時代だったといえるのではないだろうか。

それはレッド・ツェッペリンのデビューであったり、ウッドストック・フェスティバルの開催であったり、オルタモントの悲劇であったり、マイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」であったり、ビートルズの解散であったり、ジミ・ヘンドリックスの死去であったりと、何やらもの凄い勢いで、時代がうごめいていたように思える。

しかし当のディランは、そんなロック界の喧騒に、我関せずとばかりに、呑気にカントリーを歌っていた。(69年「ナッシュビル・スカイライン」)

そして、グリール・マーカスという評論家に「What is this shit? (このクソは何だ?)」とローリングストーン誌のレビューに書かれた作品が、翌年1970年にリリースされた「セルフ・ポートレイト」である。

自分が初めて、このアルバムを聴いたのは、日本でCD化されてすぐの頃だったろうか。

何だかよくわからないインストの曲や、鼻歌のような小品、やたら音質の悪いライブ音源などが、20曲以上も収録され(アナログ時代は2枚組)、それは当時の自分にとって、イイとか悪いとかいう以前の問題であり、ただぼんやりと聞き流す以外、対処のしようがない音楽だった。そして現在においても、このアルバムに対する印象は、あのときとさほど変わっていない。従って、このアルバムを、40年以上前にリアルタイムで聴いて、思わずクソ扱いした評論家の先生の気持ちも、わからないでもない。

今回、リリースの運びとなった「アナザー・セルフ・ポートレイト」の作品群の中には、ボツ曲ながら、クオリティの高い楽曲も収録されていて、それなりに聴きごたえのある内容には仕上がっている。

だからといって、それらの楽曲に、オリジナルの「セルフ・ポートレイト」の評価や、この時代のディランの印象を根底から覆すような衝撃があるのかと言われたら、残念ながらそこまでのインパクトない。

やはり大半の楽曲は、初めて「セルフ・ポートレイト」を聴いたとき同様に、何にも考えずにボーッと聞き流してしまう程度のものだと、正直に答えなければならないだろう。

結論としては、ディラン歴10年以下、あるいはディランのCD所有枚数が10枚以内の人は、あわてて聴く必要のない作品だと思う。この先、何十年後か経って、まだディランが好きだったら、そのときに、老後の楽しみで聴けばいいだろう。