アイドル以外にも、たまには好きなロックのネタでも書いてみよう。
ブルース・スプリングスティーンの新譜「レッキング・ボール」を聴いた。
前作「ワーキング・オン・ア・ドリーム」から3年ぶりの新作ということになるわけだが、その間、ロンドンのハードロック・コーリング・フェス出演時のDVDや旧作「闇に吠える街」の豪華ボックスセット(3CD+3DVD)のリリースなどがあったため実際、今回の新譜を前にしても「待望の新作」といった感慨はほとんどない。
それにしても21世紀が到来してからのブルース・スプリングスティーンの創作活動には驚かされるばかりだ。
2001年以降オリジナルアルバムだけでこれで6作目。その他、ライブアルバムや旧作ボックスセットのリイシューなどを含めるとほとんど毎年のように何かリリースされているような気がする。
また新作をリリースするたびにアメリカとヨーロッパで大規模なツアーが行われ今回もこの作品に伴うコンサートツアーが3月中旬からすでに開催されている。(見事なまでに今回も日本公演はスルーされているが…)
ブルースと同年代の、つまり最近になって還暦を迎えたミュージシャンたち(例えばビリー・ジョエルやスティービー・ワンダーといった人たち)が、今やほとんど余生で音楽活動を行っているのに対し、50代に差し掛かってから現在に至るまでのブルースの、この10年余の仕事量はちょっと異常なレベルといっていいと思う。
同時に21世紀に入ってからのブルースの欧米での再評価、人気は凄まじくそれは80年代と同様の第2の黄金期とも呼ばれている。
今回の作品も発売と同時に世界14ヶ国で1位を記録し、とくにアメリカでは数ヶ月に渡って首位を独走していた難攻不落のアデルを抜いてトップに立ったところに大きな価値があると思う。
そういう諸外国の盛り上がりかたと比較すると今回の作品も日本では大したセールスは望めないだろうが、タワーレコードの洋楽フロアの一角には一応、このアルバム用の特設コーナーが設けられていたし、今月、発売された音楽雑誌を何冊か立ち読みしたら、それなりに大きく扱われていた。
それらの音楽雑誌のレビューを読むと、そこにはどれもが共通した論調で「今回のスプリングスティーンの作品は怒りに満ちている… 」とあった。
つまりそれは「リーマンショック以降の困難な経済状況に苦しむアメリカ市民の怒りを代弁したプロテストソングが云々…」ということらしいが、英語の歌詞がほとんど理解出来ない自分の耳には、今回のアルバムを聴いても、この作品でブルースが訴えかける「怒り」や社会的視点に基づいたメッセージの本質は、あまりリアルに響かなかった。
一方で、このアルバム全体を支配するアメリカのルーツミュージック的なサウンドの豊潤さには非常に心を奪われる。
つまりそこにはフォークをはじめ、ゴスペル、ブルース、カントリー、ソウルなどといったアメリカの伝統歌の要素を色濃く感じるわけだが、ここから推移するに今回の「レッキング・ボール」は音楽的には2006年に発表された「ウィ・シャル・オーヴァー・カム」の延長線上に、あるいは「ウィ・シャル・オーヴァー・カム」を発展させた作品であると考えて間違いないと思う。
実際に参加ミュージシャンのクレジットを確認してみると意外なことに盟友であるEストリートバンドのメンバーはあまり録音には参加しておらず、やはり「ウィ・シャル~」 制作に参加した「シーガー・セッション・バンド」の顔ぶれが目立つ。
そして「参加型音楽」とでもいうべきフォークの政治集会やハーレムの路上で黒人がゴスペルを合唱するかのごとくハンドクラップ、フットストンプしながら、みんなで歌うようなテンションとパワーがアルバム全体にみなぎっている。
アメリカの伝統的な音楽に現代的な息吹きを与えるミュージシャンといえば、その筆頭にライ・クーダーという名人がいるが、ブルースの場合、ライ・クーダーのような、いかにも玄人受けするような音楽的な展開にはならずに、今回のアルバムにしても一聴して非常に解りやすい音である。
つまりそれは決してファンを置き去りにするような自己満足な内容にはなっておらず、良質なポップスとしての商品性をしっかりと備えている。
どの曲も大変、興味深い音に仕上がっているが、中でも1999年の初演以来これまで250回以上もコンサートのアンコールで歌われてきた「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ」のスタジオヴァージョンがようやく公式にリリースされたのが嬉しい。
今までさんざんライブで演奏してきたテイクとはアレンジが異なっているが、米「ROLLING STONE」誌のレビューには「The new arrangement is Phil Spector gone to church with help from Cartis Mayfield.(新しいアレンジは教会へ行ったフィル・スペクターがカーティス・メイフィールドからの助けを借りたようだ)」と書いてあったが、なるほど、なかなかうまい例えだと思った。
ブラックミュージックに詳しい人ならこの曲がインプレッションズの「ピープル・ゲット・レディ」に影響された作品だということがすぐに理解出来るはずだ。
また、この曲の間奏では昨年の6月に急死したEストリートバンドのサックス奏者"ビッグマン"クラレンス・クレモンスのサキソフォンソロが聴けるが、これが泣けてくる。
クラレンスの生前に、この曲のレコーディングが完了していたとは考えにくいので、過去に録音したライブ、もしくはお蔵入りしたレコーディングの音源からクラレンスのサックスソロだけを切りとって貼り付けたのだろうか。
クラレンスの葬儀でブルースは「このちっぽけな白人少年をソウル寺院の横のドアから忍びこませてくれてありがとう」と泣かせる弔辞を読んたが、この曲のクラレンスのソロなど本当に「ソウルフルな音」で、今後のブルース・スプリングスティーンの音楽の側にクラレンスのサックスの音がないということは改めて大変な損失だと感じてしまう。
「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ」がカーティス・メイフィールド直系のスプリングスティーン流ホワイトゴスペルだとしたら、その次に収録されているアルバム本編のラストナンバー「ウィ・アー・アライヴ」はジョニー・キャッシュばりのカントリーソングといえるだろう。
ちなみにこの曲のリフはキャッシュの代表曲である「リング・オブ・ファイア」とまったく同じだが、かつてブルースはジョニー・キャッシュのトリビュートアルバムにも参加したことがあり、今でも彼はこの伝説のカントリー歌手を尊敬しているのだと思う。
また今回のツアーは、やはりこのアルバムの音楽性を反映したようなルーツミュージックへ回帰した内容になっているようだ。
ツアーのウォーミングアップギグを黒人音楽の殿堂アポロシアターで行い、コンサートのセットリストを見ると毎回スモーキー・ロビンソンやウィルソン・ピケットのカヴァーを歌っていることから、ソウルのレビューのようなライブが展開されているのだろうか。
そしてコンサートのラストには、"バッド・スクーター"(ブルース本人)と"ビッグマン"(クラレンス)が音楽で町を破裂させるという歌詞の「凍てついた十番街」が歌われている。
これはクラレンスに対する追悼であると同時に、ブルースのオリジナル曲の中でも最もメンフィスソウルのテイストが効いたこの歌でライブを締めるところに今回のツアーの意味合いが見えるような気がする。
ブルース・スプリングスティーンの新譜「レッキング・ボール」を聴いた。
前作「ワーキング・オン・ア・ドリーム」から3年ぶりの新作ということになるわけだが、その間、ロンドンのハードロック・コーリング・フェス出演時のDVDや旧作「闇に吠える街」の豪華ボックスセット(3CD+3DVD)のリリースなどがあったため実際、今回の新譜を前にしても「待望の新作」といった感慨はほとんどない。
それにしても21世紀が到来してからのブルース・スプリングスティーンの創作活動には驚かされるばかりだ。
2001年以降オリジナルアルバムだけでこれで6作目。その他、ライブアルバムや旧作ボックスセットのリイシューなどを含めるとほとんど毎年のように何かリリースされているような気がする。
また新作をリリースするたびにアメリカとヨーロッパで大規模なツアーが行われ今回もこの作品に伴うコンサートツアーが3月中旬からすでに開催されている。(見事なまでに今回も日本公演はスルーされているが…)
ブルースと同年代の、つまり最近になって還暦を迎えたミュージシャンたち(例えばビリー・ジョエルやスティービー・ワンダーといった人たち)が、今やほとんど余生で音楽活動を行っているのに対し、50代に差し掛かってから現在に至るまでのブルースの、この10年余の仕事量はちょっと異常なレベルといっていいと思う。
同時に21世紀に入ってからのブルースの欧米での再評価、人気は凄まじくそれは80年代と同様の第2の黄金期とも呼ばれている。
今回の作品も発売と同時に世界14ヶ国で1位を記録し、とくにアメリカでは数ヶ月に渡って首位を独走していた難攻不落のアデルを抜いてトップに立ったところに大きな価値があると思う。
そういう諸外国の盛り上がりかたと比較すると今回の作品も日本では大したセールスは望めないだろうが、タワーレコードの洋楽フロアの一角には一応、このアルバム用の特設コーナーが設けられていたし、今月、発売された音楽雑誌を何冊か立ち読みしたら、それなりに大きく扱われていた。
それらの音楽雑誌のレビューを読むと、そこにはどれもが共通した論調で「今回のスプリングスティーンの作品は怒りに満ちている… 」とあった。
つまりそれは「リーマンショック以降の困難な経済状況に苦しむアメリカ市民の怒りを代弁したプロテストソングが云々…」ということらしいが、英語の歌詞がほとんど理解出来ない自分の耳には、今回のアルバムを聴いても、この作品でブルースが訴えかける「怒り」や社会的視点に基づいたメッセージの本質は、あまりリアルに響かなかった。
一方で、このアルバム全体を支配するアメリカのルーツミュージック的なサウンドの豊潤さには非常に心を奪われる。
つまりそこにはフォークをはじめ、ゴスペル、ブルース、カントリー、ソウルなどといったアメリカの伝統歌の要素を色濃く感じるわけだが、ここから推移するに今回の「レッキング・ボール」は音楽的には2006年に発表された「ウィ・シャル・オーヴァー・カム」の延長線上に、あるいは「ウィ・シャル・オーヴァー・カム」を発展させた作品であると考えて間違いないと思う。
実際に参加ミュージシャンのクレジットを確認してみると意外なことに盟友であるEストリートバンドのメンバーはあまり録音には参加しておらず、やはり「ウィ・シャル~」 制作に参加した「シーガー・セッション・バンド」の顔ぶれが目立つ。
そして「参加型音楽」とでもいうべきフォークの政治集会やハーレムの路上で黒人がゴスペルを合唱するかのごとくハンドクラップ、フットストンプしながら、みんなで歌うようなテンションとパワーがアルバム全体にみなぎっている。
アメリカの伝統的な音楽に現代的な息吹きを与えるミュージシャンといえば、その筆頭にライ・クーダーという名人がいるが、ブルースの場合、ライ・クーダーのような、いかにも玄人受けするような音楽的な展開にはならずに、今回のアルバムにしても一聴して非常に解りやすい音である。
つまりそれは決してファンを置き去りにするような自己満足な内容にはなっておらず、良質なポップスとしての商品性をしっかりと備えている。
どの曲も大変、興味深い音に仕上がっているが、中でも1999年の初演以来これまで250回以上もコンサートのアンコールで歌われてきた「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ」のスタジオヴァージョンがようやく公式にリリースされたのが嬉しい。
今までさんざんライブで演奏してきたテイクとはアレンジが異なっているが、米「ROLLING STONE」誌のレビューには「The new arrangement is Phil Spector gone to church with help from Cartis Mayfield.(新しいアレンジは教会へ行ったフィル・スペクターがカーティス・メイフィールドからの助けを借りたようだ)」と書いてあったが、なるほど、なかなかうまい例えだと思った。
ブラックミュージックに詳しい人ならこの曲がインプレッションズの「ピープル・ゲット・レディ」に影響された作品だということがすぐに理解出来るはずだ。
また、この曲の間奏では昨年の6月に急死したEストリートバンドのサックス奏者"ビッグマン"クラレンス・クレモンスのサキソフォンソロが聴けるが、これが泣けてくる。
クラレンスの生前に、この曲のレコーディングが完了していたとは考えにくいので、過去に録音したライブ、もしくはお蔵入りしたレコーディングの音源からクラレンスのサックスソロだけを切りとって貼り付けたのだろうか。
クラレンスの葬儀でブルースは「このちっぽけな白人少年をソウル寺院の横のドアから忍びこませてくれてありがとう」と泣かせる弔辞を読んたが、この曲のクラレンスのソロなど本当に「ソウルフルな音」で、今後のブルース・スプリングスティーンの音楽の側にクラレンスのサックスの音がないということは改めて大変な損失だと感じてしまう。
「ランド・オブ・ホープ・アンド・ドリームズ」がカーティス・メイフィールド直系のスプリングスティーン流ホワイトゴスペルだとしたら、その次に収録されているアルバム本編のラストナンバー「ウィ・アー・アライヴ」はジョニー・キャッシュばりのカントリーソングといえるだろう。
ちなみにこの曲のリフはキャッシュの代表曲である「リング・オブ・ファイア」とまったく同じだが、かつてブルースはジョニー・キャッシュのトリビュートアルバムにも参加したことがあり、今でも彼はこの伝説のカントリー歌手を尊敬しているのだと思う。
また今回のツアーは、やはりこのアルバムの音楽性を反映したようなルーツミュージックへ回帰した内容になっているようだ。
ツアーのウォーミングアップギグを黒人音楽の殿堂アポロシアターで行い、コンサートのセットリストを見ると毎回スモーキー・ロビンソンやウィルソン・ピケットのカヴァーを歌っていることから、ソウルのレビューのようなライブが展開されているのだろうか。
そしてコンサートのラストには、"バッド・スクーター"(ブルース本人)と"ビッグマン"(クラレンス)が音楽で町を破裂させるという歌詞の「凍てついた十番街」が歌われている。
これはクラレンスに対する追悼であると同時に、ブルースのオリジナル曲の中でも最もメンフィスソウルのテイストが効いたこの歌でライブを締めるところに今回のツアーの意味合いが見えるような気がする。