星を散らしてみた
好きな人に送るメールの文章を考えていたら電柱にぶつかった。
漫画のように視界には星が散ったけど幸せだと思った。
人には"ありがたいやつ"だとしか思われないだろうけどなんの問題もない。
実直に生きていればいいことがある。
はなしかた
顔や背丈、髪型なんかはもっぱらその人のイメージを形成するものだといえる。けれど、それと同じくらい話し方や言葉遣いってやつは大きな役割を担っていると改めて実感。
おっとりした話し方のギャルは最高。
来月は話し方に気をつけてみよう月間にする。
自分に欠落している部分
俺は生まれてこのかた動物に対して愛情を感じたことがない。
動物への感情がかなり欠落してる。
それが何故なのかが今更気にかかって、最近地下鉄の窓を眺めながらなんとなく考えていた。で、今日なんとなくスッキリする理由をみっつ挙げることができた。
⚫︎ひとつめ
ちゃんとペットを飼ったことがないから動物を身近に感じたことがないから。単純に。
⚫︎ふたつめ
他人と比べて、動物を人間と対等に見ているから。動物のことを割と人間と横並びの存在として見ているということ。だからペットと飼い主という関係があんまり理解できない。もちろんこれは飼い主を否定しているわけではない。俺には関係性がわからないだけ。
⚫︎みっつめ
もともと俺はパーソナルスペースとかに敏感なところがあって、あんまり心の距離が近くない人なんかに物理的・心理的両面で距離を詰められたりすると息が詰まってしまうことが多々ある。そんなわけで、動きの読めない者が馴れ馴れしく触れてくることが非常に不快なのだ。人間にやられて嫌なことを平気でしてくる頻度の高い動物は言うなれば天敵なのだ。好きな人とか気になる人とはいくらでも一緒にいたいけど、そうでない人とたくさん一緒にいると疲れる。それと同じ。
動物好きな人で不快に思った人がいたらごめんなさい。ちなみに動物園は基本的に柵があるから好きです。上野動物園のフラミンゴは特別好き。
死ぬまでには動物とうまく付き合える人間になれたらいいかもしれないな。
ブログと日記は自由でいいな。
22年と6ヶ月
俺は先月社会人になった。
望み、そして望まれた未来。
ブレることなく他人に寄り添うことが得意な俺にとっては、社会という土俵はホームグラウンドだと思っている。大好きな先輩に言われた"カメレオンのようだ"という言葉は自分でも頷ける。だから利用する。
仕事にしろ音楽にしろ人付き合いにしろ、ニッチな存在でありたい。自分は常識を体現したような普遍的な人間であることは自覚してるし、無理に変なことをする人間は嫌いだ。それを受けた上で特別な存在であるためにはニッチな位置にいることが最重要。
ブレることなく他人に寄り添う。
この精神を大事にまっすぐ生きる。
最近は人と酒を酌み交わすたびにこんなことばかり話している。ここ一ヶ月で得た結果はこれだ。さて、これが他人に寄り添うことでどのように深みを増していくかが楽しみだな。
本当の意味で未来の自分をここまでたのしみにしているのは生まれて初めてだから今が一番たのしい。
昔住んでいたアパートの階段を見て、頑張ろうと思ったよ。


