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伊達政宗の人形


今日は端午の節句なので、愛媛の実家より送られた伊達政宗を出しました。

伊達政宗といえば仙台のイメージがありますが、愛媛県も少しばかり繋がりがあったようです。

伊達政宗の長男の秀宗が、伊予宇和島1の初代藩主だったそうです。

伊達秀宗 経歴
天正19年(1591年)9月25日、伊達政宗の長男(庶長子)として陸奥に生まれる。文禄5年(1596年)5月9日、豊臣秀吉の猶子となり、秀吉のもとで元服し、秀吉から一字を賜って秀宗と名乗った。後に豊臣姓も授かっている。

政宗の長男であったが、生母の飯坂氏が側室だったために本家の家督を嗣ぐことができず、秀吉の側にいた身から徳川氏の世では仙台藩の藩主としてふさわしくないという理由で、別家を起こすことを父・政宗が考える。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣には父と共に参陣し、初陣を飾る。戦後、大御所徳川家康から参陣の功として政宗に与えられた伊予宇和島10万石を別家として嗣ぎ、同年12月25日にその初代藩主となった。家臣団の多くは政宗が伊達家中から選んだ者で、秀宗入部の際、57騎騎馬団のほか足軽、小者あわせ約1200名がいたとされる。重臣は政宗の意を受けて秀宗を輔弼した。
(引用:Wikipedia


まぁ、そんなわけで伊達政宗だそうです。
兜の三日月がカッコいいですね-_-b

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