前夜に不可解な出来事がありましたが、朝はちゃんと早起きして、しっかりご飯も食べて、散歩に出かけました【大津橋と愛知県庁本庁舎と名古屋市役所本庁舎】【大津町駅跡】このあたりの歴史は、弥生時代までさかのぼれるそうです。が、当ブログでは、つい100年くらい前までしかさかのぼりません昭和8年頃の名古屋城周辺の様子、と言っても、今回ご紹介する場所に絞ってありますけど名古屋城内には、陸軍第3師団が置かれていました。建物の跡と思われる遺構が野ざらしに・・。その手つかずの状態がいいのか、このあたりは、都会にもかかわらず、ヒメボタルの生息地域&鑑賞スポットとなっているそうですただし、その環境は蚊にもよいらしく、ちょっと立ち止まろうものなら、瞬く間に餌食となってしまうので、ご注意あれ【本町橋】ここにも駅があったそうですが、草が生い茂り、もう面影はありません明治44年7月、とあります。←1911年のこと私が早起きした理由、この橋の上から、ちょっとだけ見えますようーん、見落としますよね何であんなとこに追いやられているんでしょうか【軍馬軍犬軍鳩慰霊碑】第三師団、の文字が見えます。戦場で、馬は移動手段や物資の運搬、犬は警備・哨戒、鳩は連絡に使われました。裏手に回ると・・、昭和十四年六月建立の文字が。日中戦争(支那事変)が昭和12年なので・・。日中戦争だけでも150万頭の馬が大陸に渡ったそうですよ開戦わずか1年目にして1万頭の馬を喪失するっていうね前回も言いましたが、もう、馬の大消費時代に突入してましたから「共に戦った動物の慰霊碑まで建ててあげるなんて、まぁ、なんて日本人らしい動物愛護の精神」、と感激する人もいるかもしれないですね。どうですかね。それだけならまだ平和ですけど。そら、馬も犬も鳩も悲惨な運命を辿り、彼らに携わった者たちは憐み、慰霊の気持ちは十分にあるかもしれないけど、実情は「代わりはいくらでもいる、どんどん増やせ、どんどん投入せよ」です。こういった慰霊碑・慰霊祭を利用しながら、国民に気づかれないように巧みに戦争の渦の中に取り込んでいく狡猾なシステムがあるんですよっ【謎の甕?】犬や猫のような模様が見えるのですが、これ、何でしょ【愛知縣護國神社】地図で、"招魂社"と描いてあるところですね。ここは、"戦艦大和"の主砲弾が安置されています。どれくらいの大きさだったのか、形状だったのか、時間があるときにでも1回くらいは立ち寄ってみてもいいんじゃないかなと思います(私はあいにく時間切れ)名古屋&岐阜は、また今度、プライベートでお邪魔することにします
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