バイクとはぜんぜん関係ないお話です。
私はスマナサーラ長老のYouTubeチャンネルをよく見ます。
どんな方を簡単に説明すると、
お釈迦様の教えを簡潔に飾らず教えてくださる凄いお方です。
お釈迦様のお話と言うと、皆さん「仏教かよ」、と思われるかと。
たしかに仏教のお話にはなりますが、
私個人としては、お釈迦様の教えは「哲学」であると思っております。
そんなわけで、哲学大好きな私はお釈迦様も大好きです。
有名なお釈迦様の教えに「生きることは苦である」があります。
そのまま解釈すると生きること自体が苦しいことのように思えます。
ところが厳密に言うと少し意味が違うのです。
正確にはお釈迦様は「一切皆苦」と説きました。
ここで言われる「苦」とは「思い通りにならない」ことです。
「人生は思い通りにならない」と仰ったのです。
故に「苦しむ」と言えるのかもしれません。
では、思い通りにならない人生に意味はあるのか?
スマナサーラ長老曰く、
そんな「くだらない質問」を皆さんから頻繁に受けるようです。
長老のお答えとは、
「生きることに意味は無い」
です。
科学的にも個人の生に意味は無いと結論づけています。
利己的な遺伝子の成せる業として、地球上の生物は否応なく生まれ死ぬのです。
そこに個人の意思や思いなど介入する余地はありません。
ポジティブな生を語るのは金儲けが目的のハウツー本だけです。
真実はシンプルで残酷なのです。
そして、個人の持つ「私」、すなわち自己意識とは幻覚です。
人は自己意識によって自己判断をしていると脳に思い込まされて生きています。
人の意識や行動の全ては反射に過ぎません。
このアタリを詳しく説明しようとすると長くなるので省略。
難しいことはさておき、
意味無く、苦しいばかりの、幻の人生をどう生きれば良いのか。
その答えとして、
お釈迦様は「執着を捨てなさい」と説かれました。
「なるほど」と思いました。
執着がなければどんなに素晴らしい人生を送ることができるでしょう。
しかし、それができれば苦労はしないとも思ったしだいです。
執着を無くすなんて人間には無理です。
結局は堂々巡りですね。
結論。
お釈迦様の教えに納得はしても実行はできない。
だから生きている限り苦しみが絶えることはない。
よって、
諦めましょう!!
以上。