仕事を持ちかけてくれた、その舞台監督を「社長」と呼ぶことになった私。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



社長のオフィスは福島市にありました。


基本は福島で仕事をしているのですが、

社長は仙台にある専門学校で

イベントプロデュース、プランニングなどの講師をしていたので

普段から福島と仙台を行き来する生活をしていました。


また会社にはスタッフがもう一人。

その人は基本福島に常駐。



そんな2人だけの会社。

私が入社する年に、新しい仕事を引き受けることにしました。



それは、全国展開されているあるコンクールの運営事業。


もともと楽器製造メーカーが主催・運営していたコンクールだったのが

外部業者に委託していこうという動きが出てきて、

そこで社長はコンクールの運営事業を

メーカーから引き受けることにしたそうで。



でも、会社には2人しか社員がいない。

もともと受け持っている仕事もある中では対応するのは困難。


そこで1人増員して対応しようということになり、

私の入社に至ったのです。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



主催者である、この楽器製造メーカーの東北事務所が

仙台市内にあったこともあって

社長からは「新しくオフィスを仙台に構える」と聞いていました。


そうすれば、私は実家から新しい仙台のオフィスに通って

仕事をすればいいという話で落ち着きました。


通勤もラクラク。

打ち合わせなどでメーカーの事務所への行き来もしやすいし、

なんの問題もなく、話は進んで行きました。





が。





社長の「ウチ来る?」発言から2ヶ月。

福島の事務所へ呼び出されました。







そして、私に社長は、こう言いました。











実はね、金額面での調整をしていくなかで

仙台にオフィスを構えるのが難しくなったんだ。


で、別に新しくオフィス構えなくても

仕事はできると思うので

仙台から福島に通ってもらうことにしました


















・・・。




















( ̄□ ̄;)!!





















しかも、交通手段は










バス高速バスバス


当時、片道500円。

新幹線を使うより断然安いわけです。


笑えます。









内心、ムリ!って思いました。

思いましたよ、そりゃ。


話が違うって思った。




でも。




もう季節は

大学4年の秋、9月です。






この時期にまた就活をしようにも

もう募集している企業は数少なく。


ここを蹴る勇気はありませんでした。





もう割り切るしかありません。






何とかなるだろ!

…たぶん。







根拠のない自信を持つことは

時にすごく大事なことだ


そんな経験が今でも活きている気がします。





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社会に出て初めてのお仕事は月給10万でしたが、

一応ね、ちゃんと就活はしてたんです。


そんなお話を今日はしようと思います。







私、大学生の時に、地元の放送局でアルバイトをしていました。


担当していたのは平日の朝に放送しているラジオのワイド番組。


中継現場に行って、レポーターさんが使うマイクなどの機材セッティングや

本番中に「あと30秒」などというカンペを見せて、残り時間を教えたり。


スタジオの中でリスナーからの電話受信やメールの整理、

新聞のコピー、CDを倉庫から借りてきたり。


いわゆるADさんのようなお仕事を約3年くらい続けていました。





すごく楽しかったし、刺激的な毎日でした。

地方局とはいえ、キャスターさん、ディレクターさん、音声さん…

たくさんのプロに囲まれて

仕事ができたことが幸せでたまりませんでした。


中継現場に行っては「いつも聴いているよ」とか

リスナーさんからの電話をとっては

「あ、今日もあなたが電話を受けてくれるのね」とか

電波の向こう側にいる人たちとの交流も、とてもとてもうれしかったです。





そんな経験をしてしまって、

やっぱり放送の世界で仕事がしたいと思ったんです。


大学3年の秋頃から、とにかくマスコミ!と思って就活をしました。

試験を受けに何度も上京しました。


放送局も制作会社もいっぱい試験を受けに行きました。














が。














まぁ、そう簡単にうまくいくわけがない。


(笑)



(-。-;)







ホンキの人たちは、

もっともっと前から準備して

もっともっと勉強しているわけで。



してない奴が入れるわけもなく。



(・∀・)




そんなことに気付いたのは

大学4年になっての春。





…遅っ!







バイトをしていた放送局も、1次面接で落ちたので

「3年間もできたし、もう悔いはない!」と、

マスコミ受験をそこで終わりにし、

割り切ることにしました。


それ以降から他の業種を受け始めたんです。



・・・


でも、これまたしっくりきません。





気がつけば大学4年の夏。

7月を迎えてしまいました。







この時点でも

内定は一つもなく、

焦りが募るばかり。






こうなっちゃうと仕方ありません。


「もう思い切って休憩しよう!」と考え

3週間ほど就活を何もしないことにしました。






私にとって、この“休憩”が

一番の運命をかえた時だったかもしれません。






この夏のある日。


当時、交流のあったミュージシャンに

「コンサートイベントをやるのに人手が足りないから手伝ってくれ」と言われて

受付やチケットもぎりなどのお手伝いをしに行きました。



出演するミュージシャンもスタッフも、みんな顔なじみ。

終始アットホームな雰囲気で進行していき、イベントは大成功。

もちろん打ち上げも大盛り上がり。




この打ち上げで、このイベントの舞台監督さんが

「そういえば、就職決まったか?」と聞いてきました。




「実はまだ決まってなくって。」と答えた私に、


舞台監督さんは、


「じゃあ、ウチの会社、来る?」と言ったのです。













私の脳内↓


Σ(・ω・ノ)ノ! 







この舞台監督さん、イベント会社の社長でもある方で

いろいろなイベントを手掛けているという話は

人づてでいろいろ聞いていましたのですが…


「こんなことってあるんかい?」と、プチパニックになっている間に

続けて、舞台監督さんはこう言いました。





「来年から新しく引き受ける仕事があって、

 人手が足りないんだよね。

 で、お願いしようかなぁと思ってるんだけど、どう?」














内定の持ってない人間には答えは一つ。











「やります」










こうして、私の社会人生活が決まりました。




はじめまして。美月カオルと申します。


はじめました。ブログ。


簡単に自己紹介。



***



美月カオルというのは、偽名です。

本名はとりあえず非公開ということで。


面白さから考えると、ダダ漏れしたいところですが。


年齢は27歳。性別は女子。


出身は仙台市。

大学も仙台で過ごし、ずーっと実家住まいでした。


大学卒業後も仙台。これまた実家住まいでした。





仕事は

イベント制作会社に

正社員で入社しました。

















タイトルのとおり





月給は10万でした。

まぢです。




ひとりで生活できなかったので

親のスネ、かじって生きてました、4年間。








でも年女になった24歳のとき。


ふと思ったんです。





このままずーっと実家にいていいのか?

よく考えたらいま彼氏もいないぞ?

親が死んだあとはどうする?

一生シングル?

そのまえに料理や洗濯、掃除…ちゃんとできたっけ?

貯金なんてしてないぞ?



あ、これ、やばいな…。




そう思ったら選択肢は1つでした。


ちゃんとお給料もらって

ひとりで生活できる仕事に

転職です。



そりゃそうだ。




いまは、仙台から引っ越しまして

東京都内の番組制作会社に正社員として勤務しています。


マスコミの世界で頑張っているところです。

まだまだ悩むことも多くて、大変ですが。





要はですね。


そんな無茶な生き方をしている女子の


大学卒業後の

月収10万社会人生活から、

マスコミ転職に至るまで


なるべく面白おかしく書いていきたいと思ってます。







面白くなかったらごめんなさい。

努力はします。


どうか、長い目で見てあげてください。