
久しぶりにブログネタ参加してみる。
わたしは宮城県の気仙沼市に7年ほど前まで
生れてから14年間ちょい住んでいました。
7年前と今
随分違います。
津波で思い出の場所たくさん流されました。
住んでた家、良く遊びに行った公園、通学路、通っていた小学校
見慣れた風景の多くがなくなってしまいました。。
気仙沼にいたのは中学3年の春まで。
正直いうと
楽しかった思い出は少ない。
まだまだ自分が押さなくて、不器用で、
うまく感情表現できないし、良く殻に閉じこもる。
無愛想だし、声でないし。
楽しみ方を知らなくて
感情の出し方が分からなくて
それでよくいじめられたり陰口言われた。
小学生だもの、そんなもの。
高校生になって、
GReeeeNを大好きになった。
それで感情の出し方が分かった。
ちょっぴり変わったニックネームがついた。
なんだかニックネームで呼ばれると、そのキャラクターに入ったみたいで、自分を出しやすくなった。
それから気づいた。
あのころ、したばかり向いてた。
目が合わなかったら、話かけにくい。
嬉しい・楽しいが見えないと、何を考えているか分からないし話しづらい。
人間って人間らしさに惹かれる。
温度感のある人って親しみやすい
人間らしさって感情にある気がする。
その人が何を嬉しく想い・楽しく感じるのか
嬉しい楽しい悲しい辛い
そういう感情を持てて
「幸せ」と感じれるココロがあることが「幸せ」なんだと思った。
震災後
よくわからなかった。
感情がフリーズした。
よく見たはずの景色、見慣れたはずの街が
まったく違う姿していた。
海にのみこまれる姿
火に包まれている姿
直接被災していない自分には到底わからないような
被害がそこにあって
実際に被災した人、揺れを体験した人、家がなくなった人、大切な人を亡くした人
なくなっていく人を目の前にした人、
感情なんて想像も出来るわけなくて
一生懸命に寄り添おうとした。
一生懸命、想像した。
でも、到底わからないんだなって思った。
分かったふりはしたくなかった。
誰かの視点に立とうとしすぎて
自分の感情が分からなくなった。
主観がどれか分からなくなった。
色んな想いはあるけれど
言葉にできなかった。
お話しそれちゃいました。
気仙沼での一番の思い出は
転校するとき、引っ越すときにお見送りにきてくれた友達が
駅のホームを駆けてくれたこと。
「また会おうね」の横断幕を持って。
青春映画のひとコマのようでした。
その思い出の駅も今はないです。
でも思い出は思い出として、ずっと心に残っています。