こんにちは‥(^_-)-☆

今の奈良は、雨も降って27℃と少し暖かさを感じる日になりましたね。
昨日よりで気温が少し上がりまたエアコンを入れる必要がなさそうです?・・(^_-)-☆
クイズで頭の体操でリフレッシュしましょう!
奈良まほろばソムリエ奈良通2級の17回目の問題です。
2 奈良県の歴史に関する事柄について、最も適当なものを選びなさい。
(10)「壬申の乱」で大友皇子を倒し、飛鳥浄御原宮で即位した天皇は誰か。
ア.孝徳天皇 イ.天智天皇 ウ.天武天皇 エ.文武天皇
(11)昭和54年(1979)に奈良市此瀬町で墓誌が出土して墓所が確認されたのは誰か。
ア.太安萬侶 イ.稗田阿礼 ウ.大伴家持 エ.藤原不比等
(12)奈良時代、平城宮の北に設けられた宮苑はどれか。
ア.依水園 イ.大乗院庭園 ウ.吉城園 エ.松林苑
(10)天智11年(672年)、壬申の乱が起き○○2年(673年)、大海人皇子は飛鳥浄御原宮で即位し、○○天皇になりました。
○○4年(675年)、日本で初めての占星台(天文台)を建てたほかに五節の舞などの民間習俗を国家的祭祀に取り入れました。
父は舒明天皇、母は斉明天皇の次男として生まれました。
余りに有名な天皇なので、ノーヒント・・(^_-)-☆
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(11)○○○○の墓は、1979年(昭和54 年)奈良市此瀬町の茶畑の中で、改植中に見つかりました。
奈良時代の火葬墓でした。
太安萬侶は、長年、実在した人物なのかが疑問視されていましたが、この墓から青銅製の墓誌(=埋葬者や略歴を記したもの)が出土し、実在の人物であることが明らかになりました。
ヒントは古事記の編纂者です。

(12)○○○は、奈良時代、とりわけ聖武朝に活用された平城宮に付属した、離宮をともなった苑地。松林宮・松林・北松林とも呼ばれていた。
この○○○の遺跡は、橿原考古学研究所の調査により、平城宮の北にある築地痕跡をともなう区画が比定されている。
その規模は現状の地形と築地痕跡から、南北1キロメートル以上、東西500メートル以上の南北に長い不整形の区画で、内部の中央に南北220メートル、東西200メートルの方形の内郭があったと推定されている。
ヒントは別名からもう分かりますよね。
今日もいい日でありますように・・(^_-)-☆
(10) ウ (11) ア (12) エ
漢字穴埋めクイズ 育
