- おく‐こう【億劫】
⇒おっこう(億劫) - おっ‐くう【億劫】
[形動][文][ナリ]《「おっこう(億劫)」の音変化》めんどうで気が進まないさま。「ものを言うのも―だ」→億劫(おっこう)[派生] おっくうがる[動ラ五]おっくうさ[名] - おっ‐こう【億劫】
[名]仏語。一劫の億倍。すなわち、非常に長い時間。永遠。→劫(こう)
[形動]《それをするには長い時間がかかるところから》「おっくう(億劫)」に同じ。
またまた得意の引用!yahoo辞書で調べてみました。
日々の生活の中、いろんな事が億劫になっている様に思えます。
行動できない人の心理の根本ではないでしょうか?何するにしてもなんとなく「気が乗らない」。
じゃぁ、何で億劫になるのか?
一つあげるとしたら「それをする前からすでに結果を見ている」のかもしれませんね。
というか、それは僕に当てはまる事なんですけど、「結果重視」のものの見方をしているとやる前からある程度の予測が可能になってきます。分かりやすい例えだと、「スノーボードって楽しそう!でも絶対怪我するよなぁ」みたいな。
極めつけは「決め付け」。
やっても意味が無い、やる前から結果が分かっている、出来るわけが無い、etc・・・
そういった価値観から世の中を見ているといろんな事が無駄に思えてきたりする。どうせ環境は良くならない、人と付き合ったって裏切られる、買ったって使わない、やったって成功しない、無駄無駄無駄!!
自分の人生から無駄を省く様に振舞う事の「結果」を見れてない。
「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々」
この言葉を見た時、何だか自分に語りかけられている様な気分になります。
きっと心の奥底で恐怖感、不安感、甘えが渦巻いているのかもしれません。本当に奥の方で・・自分でも分からない位底の方で存在する感情だから意識できない。でも、やらない理由をもっともらしく説明するのに「無駄」だと決め付けている様に思えたりします。
心に余裕が無いから何やっても楽しめない。楽しくないからやらないの堂々巡り。
この渦の中から抜け出すには「価値観」を捨てなくてはいけないのではないか?と最近良く思います。
「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々」
何か悔しいなぁ、この言葉。
自分はどっちにも属していないと「錯覚」している様な、見透かされている様な気持ちにさせられます。
「馬鹿になれ」
書いていて心乱されます。
胸の鼓動が強くなって締め付けられる思いです。自分の根本を正さなくては一生このまま「億劫」に生きていくことになるのではないか?その事の不安が強まります。
「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々」
決め付けずに人生を歩んで生きたいな。
将来に不安をいだかず、過去に囚われず、馬鹿になれ!
馬鹿になれ。
白昼夢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/03/22 15:17 UTC 版)
白昼夢(はくちゅうむ)とは、目覚めている状態で見る現実味を帯びた非現実的な体験や、現実から離れて何かを考えている状態を表す言葉。願望を空想する例が多い。「白日夢(はくじつむ)、デイドリーム」とも呼ばれる。
また映画や小説や歌の題名として、多くの作品で使用されている。
フラッシュバックと混同される場合があるが、白昼夢は実際には起こっていない空想や妄想であるのに対してフラッシュバックは過去に体験した出来事を思い出す点で異なる。
知ってます??
またまた貼り付けですが・・。
名前を付ければ色んなものがあるんですね~
俺は毎日がデイドリームだぜ~!!(笑)
最近若干変な体調で、いつもの如く瞑想していたら、色んな所にいるんです。
と思ったら、突然家のベランダに人が歩いてる!ってビクゥ~っってなって目を開けたら現実でいるはずも無く。
なんだろう・・。現実と空想の世界の境目が目を開けないとはっきりしない現象がたまにおきます(笑)
さてさて、最近は書くことが無くて・・・
何か書きたいのに書きたいことが出てこないものだから、サボってました(笑)
しかし、現実と空想の世界の境目が分からなくなるってのも問題ありですかね・・。
意識はしっかりあるもんだから何じゃこりゃ~ですよ。こないだも母が何か話しかけているんですけど、どう考えても今寝ているんです。寝てるのに呼びかけてくる・・しかも、一緒に住んでいないのに・・・
でも、現実なのかそれこそ夢の中なのか分からなくなって「ひつこいなぁ~あんだよ?」って声に出してみたらやっぱりマンションにいました。
おもしれ~★
白昼夢って名前がなんか良い(笑)「チーム白昼夢!空想の世界で生きる人々」ってタイトルで何か書けそう(笑)
チームだから一人じゃ出来ませんけど・・(笑)
書くこと無くてすみません~
最近得意の
(逃げ)
あざすーーーー!
