居留守は使わせないという思いで何度か鳴らした。すると中から、見たことがあるようなないような、しじゅうがらみの女が出てきた。その振る舞いから、足の手術とかで家を空けているあるじに代わり、交代で老婆の面倒を見に来ているどこかの職員か親類か、ともかく懇意にしている近親者であろうと思えた。

女は背が低く色白で、この間まで若かったのが顔にシワが増え始めたといった年齢だった。口の上あたりの筋肉からして、見るからに世の中に不平不満をもっていそうな、いつも誰かを非難していて、いつも言い訳ばかりしていて、いつもヘラヘラ薄笑いを浮かべていそうな左翼顔の女だった。容貌や風体から醸し出される全体の雰囲気は、ナメネバヌメリといった感じで、犬のクソの表面にはびこったカビを見つけては喜んで舐め取っている妖怪なのだが、ここではとりあえずサヨと呼んでおくことにしよう。

 

「役場に通報されましたね?」

と問うと、サヨはちょっと不意を突かれたように戸惑いながらも、ええ、と答えた。頬がうろたえた新入園児のようにあどけない。

わが意を得たわたしは、係りの人に向き直り、

「はい、この方です。この方が通報されたようですので、この方に納得いくよう説明して下さい」

と促した。

ありませんでした、と係りの人は話した。

 

説明が終わったにもかかわらずまだサヨは、

「だってぇ、隣の人が、燃やしてはいけない物を燃やして、黒煙がモウモウとーー」などと大げさな表現で自分のやったことの言い訳とも非難ともつかぬことを言い始めた。

「その隣の者は私です」

と名乗りをあげると間を置かず、うしろから係りの人が

「ですから、」

ともう一度念を押した。「禁止物は燃えていませんでした。焼け跡を見れば分かります、残骸が残るんです。燃やした跡が二箇所ありましたが、どちらともプラスチックなどの焼け残りはありませんでした」

サヨはきょとんとした顔でいた。

こいつは真相を確かめたいのか、それとも他人を咎めた言い訳がしたいのか?

いずれにせよ、登場してきたのはサヨだが、後ろで手ぐすね引いたのはケツコである。この女を仲間に引き入れ、いづれ周囲の自分への矛先を逸らしたいケツコの意図がサヨには読み取れない。同情して相槌を打ってやることが優しさだと思っている程度の輩には、憐れんだ相手の業火が引火してヤケドを負うなど夢にも思っていないことだろう。世知辛い女なら、うわべだけ合わせたような合わせないようなフリをしてパッと身を引く術を知っている。

つけびして 煙喜ぶ 田舎者事件など記憶に新しい。どちらが悪いか分からないことに首を突っ込むのは危険なことだ。とんだトバッチリを食うおそれがある。桑原桑原。

 

だいたい、昨年末、畑で作業を始めたわたしたち夫婦の気配を柵の向こうからさとく嗅ぎ取ったケツコがまた、わけのわからんことでインネンをつけぎゃあぎゃあ騒ぎ「くちょうちゃんにいいちゅけましゅからね」と区長を呼び出した際、ゴリオが「もうさせない」と約束していたのである。

わたしはそのとき、執拗に迫りくるケツコに大きな朗々とした声で祓い、無駄な鬩ぎをやめるよう促した。何か物の怪にでも憑かれたような青黒い顔でいたからだ。

だが納得のいかないケツコが息子が居ないのを機としてヌメリと結託し、犯行に及んだのであろう。(自分たちが何をやっているか自覚の無い者の行ないだ。ゴリオも「防犯」などと理屈を付け、隠しカメラを設置して盗撮盗聴している有様だ。起きてもいない事を犯罪で防ごうとする愚かさ。いや、目的は別にあるとしか思えない)

けれどもゴリオに問い質せば「もうさせないのは、柵についてだけで」と言うにちがいない。実際、彼はそう条件付きで約束していたのである。「柵についてはもう言わせない」と。

この発言の裏には、ジゴロである自分たちが苦情を訴えるのがデフォルトで、そっちからは受け付けないという前提がある。なにか言えば必ず「お前もそうやっか!」と怒鳴り散らしてタメにするパターンだ。裏の裏には「ただ生活のためにカネ儲けがしたいだけなのに、自分たちは他者からいろいろ被害を受けている」という思いが潜んでいる。

老婆ケツコが執拗に絡んでくるのは、柵その物の有無ではない。

癇癪が故にだ。逆鱗に触れたからと相手をトコトンやり込めたいとはどれだけエラいのか? 支那の皇帝出来だ。

こいつらはヤバい奴らだ。だが村人の誰も、そのことを事前に教える者はいなかった。わたしがどんな者か知れないので、下手なことを言うと「誰それさんがあんたんこっばこげん言いよったバイ」と、ゴリオ一家に言わないとも限らない。だから、ヤバい奴の噂こそ新参者には回ってこないのだ。

 

 

おそらく、この老婆は若かりし頃から腹の中にトグロを巻く恨みや憎しみを飼い養ってきたのだろう。

(わたしがこのような描写をしたとき、深く憐れみの念を抱いているのである。「悼みいる」ような気分なのだ。が、自分でそうだと言えないのであえて書かないできた。しかし読解力の乏しい彼らは文面に表していないとあらぬ方向に解釈し、不安と疑い自信のなさから、自分に対する悪意と決めつける)

この人は御多分に洩れず日常の99パーセントは善人なのである。畑作は一級、本当に気丈に働く姿は脱帽する。野菜を作る技術は一日の長どころか何世代、あるいは何生にもわたって続けてきた天才の域に達した方々なのである。それを重々認めた上で物申しているのだ。

人間、どこかに拭いきれない暗さを抱え、心の奥底ではそれをなんとかしたいと望んでいるものである。自覚していないかもしれないが、潜在的にそこを克服したい、明るく変えたいと懇願している。政治も法律もカネも学校も、内面に手を突っ込んで直してくれはしない。それらは全部、外側を変えるだけだ。

恨みや憎しみをこれまでは生命・財産・名誉を貶め剥奪するといった物理的な方法で復讐して晴らすというやり方を取ってきたのだろう。が、それでは晴れるどころか、どんどんドスグロい暗黒の煙が濃くなっていくばかりなのである。ちょうどそうしていたところにわたしが現れた。餌食だ。

何百年ぶりかに巣にかかった獲物を妖怪は遠くから舌なめずりし、襲いかかる瞬間を待って目を細めていた。ケツコと村人。

付け加えておくが、ゴリオもケツコもその他の村人たちもそんなつもりは、とりあえずなかった。むしろ、わたしたちが住みやすくなるよう取り計らってくれていた。

しかしわたしが人間の霊性について書いたのを盗み読みした上に、誰か特定の人を批判していると取ったゴリオが(自分だけが正しく他は全員間違っていると信じている)ゴリオが

「あんたんせいで、おいたちまでわるー言わるっ!」

とその人だと決めつけ糾弾するなど余計なことをやり始めた。

 

自覚のない彼らの風習、穴の中の常識、それを形成している一人一人の意識が、昼間の表向きの接触においてはヘコヘコした人懐っこさとして現れる。ところが裏、夜には、眉間にシワを寄せ目の下に黒い隈をこさえ邪推と安い決めつけ、間違った噂の流布などに働く。

どげなひとぢゃろ?

言葉で表せばこうした無邪気な好奇心と言えるだろうが、自分に害をなす危険性の有無を見極めようとする執念深さ。それが逆にわたしたちに仇なしているのに気づかない。衆人環視のカメラとマイクの係を率先して引き受けたゴリオとケツコが仕事に熱心なわけは個人的な嗜癖によるものとみている。

良く思われたいから覗き見、盗み聞きしてまで取り繕い、気に入られようとし、こちらに合わせてこようとする。そんなことしなくていいです、という意思表示に食いかかってくる。否定されたと怒り始める。

被害を恐れて害を加えているのだ。だが(俯瞰の視点を持たぬ彼らは)自分が何をやっているか知らないので、自分たちは1から10まで正しいことをやっていると思っているにすぎない。

しかして、その行ないに異を唱える者は攻撃を仕掛けてくる敵である。

『その場その場の戦いに勝て』と信じている彼らは局地戦を繰り広げ始めた。そして、先住民の全てを仲間、味方に引き入れた。卑怯な彼らは南北を二分する、東西両陣営など、5分の合戦を企画しない。

一人をその他大勢で取り囲むという戦法を取る。すなわち集団いじめである。みんなに各々やらせるのだ。ガキの布陣を敷いた彼らに、わたしは苦笑いを浮かべるしかない。

それに組した村人の一人一人の、陰に隠れていても、全てをわたしは把握しているのでご安心を。

わたしには、老婆の意識がどんなやり取りをしたがっているか、仕掛けているか、その動きがつぶさに詳細に観えている。押し引き、駆け引き、嫌味、報復・・・。村人のどこの誰がどう思いどうしたかについても手に取るように把握している。

だがわたしはそれには応じない。むしろ、そのような愚かなことをやめるよう勧めてきた。だが理解できない彼らは村の風潮のままに流されていた。

老婆は、これまで村人とやってきて全戦勝利して倦んでいたところにやってきた新参者であるわたし相手にお得意のスッタモンダをやり始めたのだ。(くすぶっていた諍いの火蓋を切った経緯はあとで考察する)自分のないゴリオは、老母が「こうやろもん」と家の中で言えば、そのまま自論となる。それをわたしを含め方々に言い触れ回る。

己の疑心暗鬼や怨嗟やグロい不安を慰めようと誰それ構わず垂れ回り、まわりまわって、誰もが誰ものせいにしあったが、さすがに江戸時代ほど意識レベルが低くないしバカバカしくなってきたので皆白けて脱落していった。自分の雲行きもあやしくなってきたゴリオによって、自分の責任は自分を産んだ母親にあると、結局の出処の諸悪の根源としてケツコが指差された。

なんであたいだけ? 誰それさんも言いよった」

と蒸し返し、この人たちが流した噂に同調して文句を言っていた人たちを責め始め、ついに「元々をただせば、あいつが悪い」となってわたしに全ての罪を着せようとし始めたのである。責め合った全員の矛先をわたしに向けさせようとしたのである。

こうやって見事に、もう何千年も繰り返された人間の愚かさを再現したのだった。

イエスは犠牲になったのではない。すべての汚れ(罪・愚昧さ)を引き受け背負ったのかもしれないがーー。あの時代には、民衆や信徒の誰も、現世的にイエスを守ることがきなかったのだ。だが現在はちがう。

ともかくこうして感情の押し引きの一人相撲をやってきた挙げ句、どうにもこうにも、むかむかムカっぱらが収まらない老婆が最後の砦として行き着いたのがサヨだったのだろう。

サヨの精神年齢は、3つである。ちょっと言葉を話せる3才児だと思えばいい。ヨチヨチ歩きで自分の無能さをすべて他者のせいにしているおさなごだ。バナナを半分しか食べられないかわいそうなサッちゃんである。

いるいる、そういうやつ、などと、ケツコの話に卑猥な笑みを浮かべてうなづき、どこか他の誰かと同一視して悪意を噴出させるサヨことナメネバヌメリ

被害者意識の強い知り合いを味方に引き込むためにああだこうだと吹き込んだ。おさないサヨはその役にうってつけだった。自分にある日頃のうっぷんに同調したサヨはすっかり信じ込み、まるで共産主義に洗脳された優秀な工作員のごとく隣の人即ちわたしに敵意を植え付けられていた。

 

サヨが言い訳じみたことを言っている最中、奥の暗がりからヨタヨタと杖をついた老婆が姿を現した。顔全体から血の気が引いていて目の下には黒い隈があり、まるで『カチカチ山』で挿絵に描かれた、老婆を騙してババ汁にしてお爺さんに食わせた化け狸さながらの暗い淀んだ顔をした老婆のような形相だった。

暗黒面に落ちとるの!

見た瞬間、わたしは思った。