細工は流々、仕上げは上々

あとは仕上げを御覧じろってんだ!

(先生2冊目の御著書)

 

ガッデムを慕う者たち1

 

僕の進路指導の1回目の後だったか3回目の前だったか、昼休みの後半、蒲池が前の出入り口から姿を現した。何やら紙を持っていて、教壇の上を開いたそれを見ながら歩いた。僕は前から2列目か3列目の席だったので、その様子を僕は見るとはなしに見ていた。蒲池は、黒板の前を通り過ぎるとき、ーーめいじののうがく部か、とつぶやきながら外側の窓際の一番後ろの席に戻っていった。

蒲池というのは駅の名前で彼の家の広大な田畑が広がっている地帯だ。その周辺一帯の地主だったから僕はそう称しているが、本名はアカサタナのナである彼は僕のすぐ後に進路指導を受けた模様で、昼休みの後半、戻ってきたというわけだ。本名は、仲井戸という。

何やらただならぬ雰囲気を醸し出しているので、なんとなく僕は席を立ち、彼の席の近くに歩み寄った。そのあたりには樋口や兵藤たちら、クラスメイトがなんにんかいた。

蒲池は、どっかりと椅子になだれかかりながら、

「メイジ、受けようかと思う」

と言った。僕らはなんにんか蒲池の近くで聞いていた。胸の詰まったような声で、つづけて彼は言う。

「メイジの農学部を受けろと言われた」

法外の評価を受けたと言わんばかりに紅潮した顔で、すっかり北原先生に心服した様子だった。

そんな大学があるんだ、と僕は思った。ラクビーで有名な明大は知っていたけれど、そこに農学部があることは知らなかった。

蒲池は進路指導の様子を重ねて語った。控えめな大学を言ったら、提案されたらしい。

望外の評価と受験校の指定に舞い上がった風で、酒に酔ったか喜びで胸いっぱいという感じだった。彼の思いに反してというか相応しくないように黙っている僕たちに、蒲池は今度は自分の意思のように言った。

「明大の農学部にしようかと思っているんだよね、おれ」

と言いながら立ち上がり、僕らのところに寄ってきて恥ずかしそうに、それでいて誇らしげに繰り返した。細い目がさらに細くなっていた。そうか、それはよかったと思った。けれど、事情が飲み込めなかったのか、ーーまだ進路指導が行なわれていなかった樋口や兵藤はポカンとしているように見えた。

「百姓が!」が口癖だった蒲池は大地主で、よく彼と一緒にいる同じ中学から来た鮎川は、

どうやら小作人のせがれで、不確かな情報だったけど、公立高校に通っていたのに蒲池が落ちてこの学校に入ることになったから辞退して同乗したのらしい。親の主従関係がそのまま転写されている風だった。

さっさとシッポを振った生徒には、取って置きのお買い得大学を提示したもようだ。ガッデムの放つどす黒い威光に目が眩んで軍門にくだり傘下に入り、ははあ、おっしゃる通りです、とひれ伏したのに違いない。そういう生徒には、お買い得の大学を受けろと指示が出る。それだけで舞い上がる。ありがたき幸せ。もったいないお言葉。と舞い上がっているのだろう。

浮かれ、うなされているかのような。

 

ーー合格してから、喜べ

と思わないでもなかった。ガッデムに高く評価されたところで、合格したわけでもなければ、合格が保証されたわけでもない。彼がどのくらいの偏差値をあげていたのか知らなかったけれど、先生に認められ、推奨された大学が憧れの、気分の高揚するところなら素晴らしいと思った。

「受験科目は化学を選択しろ。おれが教えてやる。化学で稼げば合格する」

とでも太鼓判を押された風で、彼はガッデム先生を心服しているようだった。高校受験で失敗した彼は、迫りくる大学受験をどうするか、困っていたのだろう。確かに国立の5教科7科目は気が重い、先が思いやられる。楽に名声だけ得られるに越したことはない、と考える者たちには、その考えを正当化できる持ってこいの論だったのだろうか。

それから時々、教室で

「でもどうやろうか、受かるやろうか」

と明治大学を仰ぎ見て心配する蒲池をよそに、

あんなとこ、カンタンだぜ

と、廊下でガッデム先生がカッコつけている場面に偶然出会したことがあるが、それ以降の細切れの言葉をつなぎ合わせて再現するに、どうやらこいつの自慢げなくちぶりからすると、明治の農学部は自分の受験時代に何回も受かったところらしい。自分が滑り止めにしていた私大なら、いくらバカなお前たちでも受かる、と思い込んでいるようだった。おそらく3回か4回、受かっては蹴り、蹴っては受かりしていたのだろう。

        

こいつの自慢話を放課後化学クラブで、なんども聞かされた蒲池は、すっかり信用していたのだろうと思う。いい兄貴分として慕っていた。自慢話でお腹いっぱいになる安上がりな者は家に財産があるのだろう。自慢の周波数でビブラートする空気を鼓膜が振動するので満足する。

ところが、高度経済成長と所得倍増計画を引き継ぎ1972年に成立した田中角栄内閣の列島改造とオイルショックを経た1980年代には物価が高騰したのと共に所得も上昇したために、

 

すでに私立大学進学の壁が低くなっていた。

ガッデム先生が4回も受験をなさった1960年代半ばまでと1984年現在では日本の経済と進学熱の高まりによって大きく様相が違っていた。約20年の隔たりを彼はほとんど考慮していなかった。

1960年代からおそらく1972年までは早慶以外の東京の私大は難易度も高くなく、多くは国立の下に位置していた。ところが、新幹線の開通が1964年の東京オリンピック、

1973年のオイルショックによる原油の値上がりに伴う狂乱物価はかえって所得を引き揚げた。

1975年(昭和50年)に博多ー東京間が開通した。(ブルトレ約17時間→約7時間)

1982年に仙台ー東京開通。(約4時間→約2時間)

国民の移動も楽になった。全国から東京に集まり易くなった。

所得の倍増と交通インフラ整備によって

東京の私大で遊学するのが苦でなくなったこともあり、1980年代の初頭には青山、学習院、立教、明治、中央など、歴史や伝統のある二番手の大学が擡頭してきた。この頃になると、国立の定員増もあり私立上位の大学は難易度において国立中位以上に食い込んでいた。

いや、そんなことはどうでもいいのだ。どうして、九州の貧乏人が『お買い得な私大』にわざわざ行かなければならないかということだ。自分で率先して志すならいざ知らず。

大学進学熱の高まりと東京一極集中によって私大の受験者が増加、競争率は急上昇。

1965年までの受験とは様相がかなり違っていた。

ところがガッデム先生は、最難関の私立大学がまだ国立の滑り止めだった時代が続いていると信じ込んでいたようだ。しかも、1984年にはすでにバイオテクノロジーブームが押し寄せ農芸化学を中心に農学部の倍率は急上昇し難易度は高まりつつあったのだ。2年後の86年にはさらに難化することが予想されていた。そのことを僕は購読していた蛍雪時代と第一学習社の会員誌によって知っていた。いやむしろ蛍雪時代にあっては、ブームを煽っていると言っても過言でないほど頻繁に記事を掲載していた。

1973年(昭和43年)を境に物価や所得が急激に上がっている。

ところで、1年生の時から何度か誘われた放課後化学クラブは、

受験にも役立つ

というのが売り文句だった。

僕は受験に役立たないと思った。卓球とかバスケットをやっているのとかわらない。顧問が北原でなかったとしてもだ。なぜそう思ったのか、ずっと自覚がなかったけれども、要するに化学は授業を聴きながら徐々にやっていき、3年になってから仕上げていけば間に合うから、1年や2年の貴重な時間には英語と数学をあてるのだと思っていたからだった。これに得点力がつかない限り大学受験は成功しないと僕は直感していた。化学クラブなんかに時間を取られてしまえば、受験に役立つどころか足を引っ張る。英語と数学の完成度の足を引っ張るのだ。この説が正しいかどうかは、3年後に仲井戸と鮎川が証明してくれることだろうと思った。

同じ点数を、たとえば80点取るための時間と労力は英語や数学と化学ではまったくちがう。時間だけでなく要する期間もちがうと思っていた。一刻も早くうちに帰り、英語と数学をやりたいのに化学という名のつく色水あそびに興じていても英数はおろか化学の点数さえ伸びない。

なぜ色水あそびと思うかといえば、化学の授業で北原がなんどか実験室で授業をしたことがあったし、クラブにも1度見学に行ったことがあったからだ。おそらくこの人がこの学校に就職してきたからできたクラブなのだろうし、存続させるには頭数も要るのだろう。(化学クラブを運営できます、が就職面接での売りだったかもしれない)

1年生の時は『理科1』で、国立を志望していたので4分野で一つだったし、共通1次用のもう1科目もしくは2次試験を物化生地のどれで受けるかか決めていなかった。そこで掴んだ手応えは、物理なら数学と同じく早い時期からやった方がよいだろうし、もし物理クラブがあればもしかすると顔を出したかもしれなかった。けれども生物系に進もうと思っていたので物理は理科1の範囲で十分だった。この頃の僕は、受験で高得点を取れるからという理由で物理を選ぶような考えはなく、やりたいことが生物だから、生物と必要なら化学だろうと思っていたのだった。

したがって化学は受験科目の候補に入っていたし、2次に2科目必要な大学を受けることになるなら勉強することになるとは思っていた。だが、顧問のガッデム先生自ら僕らの国立受験を全否定するのであるから、生物系に進もうとしている僕にとって化学は学校の勉強だけして概念を理解しておけば十分な科目となった。

僕の描いた受験地図に化学クラブの入り込む余地はない。

受験戦略の進捗を遅らせてまでクラブを存続させる頭数として加わり、彼のメンツを保ってやることはない。

けれど鮎川や蒲池はどうも、僕が化学クラブに入らないのは北原が嫌いだからと思っているふうだった。誓って、そんな理由ではない。誰が顧問であろうが、入らない。

だがその言いぶりからして、ガッデム先生というのが、ーー私のこと嫌いだから結婚してくれないのね、と僻みで男を困らせるジコチュー女と同じような心理をしているが推測できた。あまり合目的的に物を考えるのが得意でない人なのだろう。

ボクのこと好きになってクラブにも入って、なんでもボクの言う通りにしてくれなきゃすねちゃうんだから。ーー現在で言えばメンヘラくそ女といったところが彼の本性なのだろう。

ガッデム先生がどんな信念(放課後クラブは受験に役立つ)をもっていようが、二人を勧誘員として使い、受験の邪魔を企て敢行しているのにはかわりない。

 

大学受験に関係ない商業科の生徒を集めてクラブの存続を図ればいいのではないかと思った。思ったが、それを口に出して言うこともなかった。ガッデム先生の懸念など、僕にはどうすることもできなかったし、僕は僕を助けるのが先決だったから。ガッデム先生が僕らを馬鹿にしきっているところ申し訳なかったが、僕は自分の受験地図を描いていたので、それに従って進むのみだった。

地主の蒲池や小作人の鮎川は、農業教育伝習所卒業のガッデム先生とは田んぼを通して馬が合ったのかもしれない。

というのも、政府買取の公定価格の米は作れば作るだけ儲かり「農家はたいへんだたいへんだ」が口癖の農家は実はがっぽがっぽカネが入っていた時代だった。その時期の蓄えのあった地主の蒲池は東京遊学が無理な話ではなかった。一方、小作人の鮎川は蒲池が東京に行くなら着いて行きたいと表明したが、金銭的余裕がないので「新聞奨学生をやってでも東京に行きます」と訴えたのだろう。このあたりのことは後で詳しく話そう。

すがもこまごめこまごめすがもおやがもこがもおおがもこがも

北原捻也を慕うのは勝手だが、要するにプロ教師ガッデム汚腹先生は、直前まで最高の目標を掲げて、最後の最後に現実的な受験校を選ぶのではなく、

これから2年間約700日かけ、じっくり偏差値を落とし、受験校を下げていく作戦なのだ

生じっか家にカネがあるから、蒲池こと仲井戸にはそこのところが見抜けなかったのだろう。

「ついて行きます」

とばかりに母カモを追いかける小ガモのようによちよち着いて行っては、ガッデムの想定している結果をかいくぐりそのさらにその下を行く羽目になるのは請け合いだ。

不安から発想された考えに則って行われた言動は、そのビジョン通りの結果を生む。

どんなに理屈をこねくり回しても、ベースにしている感情が不安なら、その通りの現実を創りだすのである。

 

第2回進路指導

 

また呼ばれた。5月の半ばか6月になってからだったか。暑かった記憶がないので、そのあたりだったと思う。夏休み前には絞らせようとしていたのだろう、焦っていたのに違いない。

1回目の後にガッデム先生が持論をぶち終わってからだったが、ちいさな紙切れが渡された。志望校を書けと。

その紙切れを見ながら言った。

志望校の欄に、くにたちと書いてあるが、くにたち音大か?

勉強をやり始めた1年生の秋には当座、佐賀大の農学部にと思っていたのが2年生になるころに広大の生物生産に上げた。理由は、目標校をあげることで学力も引き上げていこうと思ったからだ。ランキング表を佐賀大から上に見上げて行って、九州に近いところから選ぶと宮崎大と広島大があった。宮崎は佐賀とそう大差がないし、広島は学部名に『生物』がついていたからだ。そうこうしている内に、昆虫の殺し方とか生産的な農作物の育て方よりも生物の生態や遺伝子について知ることで、生命の本質を問うのがしょうに合っているのではないかと思った。人間に都合の良い物を作り、作り変えるのではなく、生命の神秘を垣間見たい、生命とは何かを問い続けていく理学部の生物学科の方が僕の志向に合っている。

そんなわけで農学部より理学部の生物学科だと思い、3年になるまでは広大の理学部を第1志望にしていた。広大の理学部にしていたのは、生物生産学部から横滑りしただけで、特にここでなければならない理由があった訳ではなかった。自分の実情とこれからの伸びを考慮すると、このあたりがとりあえずマックスだと分析していたからだ。

実はホンの一時期、ガッデム先生のカミングアウトがあった時期のあと5月から1学期の期末試験くらいまでは、筑波大の第2学群の生物学群を第1志望にしていた。文理を横断したような学群制度は面白そうで、その中でも、『比較文化学類』『人間学類』『日本語・日本文化学類』『生物学類』「農林学類』を擁している第2学群は特に興味をそそった。広島も筑波も元々が高等師範学校だったことは気になったけれど新制大学となってからの魅力をぷんぷん放っていた。

受験するなら生物学類と人間学類のどっちにしようかと思い、生物学類を選び第一学習社の第1志望覧には指定した。広島大の理学部生物学科を第2志望、同生物生産学部を第3志望にしていたのだった。が、このあとガッデム先生によるかずかずの暴挙に接し、大急ぎで外した次第だ。気持ちの上でも筑波はザックリと切り捨てた。とてもじゃないが、憧れをもって目指す気にはなれなかった。

しかし5月のこの時点では、大学研究も始めたばかりで、こここそ自分の行くところだと憧れと情熱を以て具体的に決めていなかったし、まだ言うのは早いかと思ったので、僕はただ『国立』とだけ書いて提出していたのだった。

「いえ。こくりつ大学です」

間があいた。聞こえないかのような素振りで、

という顔をした。

ふっ、

と鼻で笑う音がして、熱でもあるのか? 寝言は寝て言え。冗談は休み休み言え。と言わんばかりの顔をした。

実際、小声でそう呟いた。

そして、冗談とも本音とも取れるような口ぶりで続けた。

「ああ、これはコクリツと読むのか。クニタチかと思った」

黙っているとガッデム先生は、冗談はさておき、といった風で、

「で?」

と言った。

「で、私立は検討したか?」

つまり、体当たり攻撃を募る紙には一応、(はい・いいえ)と選択肢があるけれども、いいえを選んではいけない不文律があるような強制だったのだろうが、そんなものを意に介さない僕は、

「国立に行きたいと思います」

と言った。

国立でなく私立のここを受けろとは言わない。彼には、これをして完了したら次に行く、といった段階が設けられていたようだ。第2段階が完了しない内には手持ちのネタを出せないのだろう。

「私立は? 受けないのか」

とガッデム先生は聞いた。

1回目の指導のあと調べると生物学科を持っているのに甲南大学と東邦大学というのがあったので、そこを第2志望第3志望にすることにした。それを言うと、

「そんなとこより、もっといいところがあるぞ」

と言った。

ガッデム先生お勧めとは違ったようだ。

「いえ。国立に行きます」

と僕が言うと、呆れた顔で、

じゃあ聞くが、国立大でなくてはならない理由はなんだ?

一瞬、僕は返答に困った。これが傲慢数学の論法だ。それは、僕が主観的な理由によってそう思うからであって、客観的な理由などないからだ。背理法では僕の出した解が求められるはずがない。

けれどもし、僕がもう少し狡猾ならこう返答したことだろう。

「国立大学ではいけない理由はなんですか?」

もちろんその問いに対しては、聞いてもいないのに答えは用意されている。というより、その答えをベースにこいつの進路指導とやらは組み立てられているのだが。

喧嘩をしたところで仕方ない。ここで口で言い負かしたところで、どうしようもない。合格するかどうか知れないのだ。それで僕は背理法的な世間的理由を以ってこう返した。

「うちは貧乏で、カネがないからです」

つまり、だから私立には行けない。私立に行けないから国立という論法。

するとガッデムは即座に、カネなんて、と言い始めた。

親は子供のためなら、なんとかして金を工面してくれるぞ

前のめりになって断言した。

母のしかめつらがよぎった。

なんでお前がそんなことを勝手に決めるのか? 我が家の収入を知っているのか。と思った。ところが、事情なんてお構いなしにガッデム先生は続ける。

「現に、うちにも娘がいるがーー、」

 

やけに嬉しそうに言う。

四十いくつだから、受験前か大学に入ったばかりの子供がいてもおかしくはない。目の中に入れても痛くない愛娘のことを口にするだけでもう、嬉しくてたまらない。そんな面持ちだった。

「まあいいや、それは。ともかくだ、もっと考え直せ」

ガッデム喜色満面の顔でお開きになったのだった。

 

僕の志望動機

 

僕は帰りの汽車の中で思った。

ガッデムになど、本心を打ち分けるわけがないではないか。国立大学でなければならない理由。それは、ーー。

 

国立大学の授業料は、半期12・5万円だった。年に25万円、入学金も含め4年で100万円程度。それに引き換え私立は、特に理系は年に100万を超えていた。1年で国立の4年分、4年間で授業料だけで300万円違うのだ。

またしても不本意なところに行って、彼らに渋々出させるのか? 年収が250万の父に授業料に生活費を含めて200万出せ、と。僕にしてもアルバイトをしに大学に行くのではないのだ。まあ、もっとも、両親でさえ知っている早稲田慶應なら喜んで捻《ひね》り出すかもしれないがーー。そこなら僕もやぶさかではない。だが、勤労苦学生にまでなって行ってもいい私立大学なんてそうそうあるもんじゃない。選り好みしなければ国公立大はたくさんあるではないか。

そうした事情や実情を一切考慮することなく、ゴリゴリ、ゴリゴリ自説を押し付けてくる。

だいたい、なんでお前が我が家の家計に口出しする? という怒りは湧いてこなかったが、勝手な言い分ではないか。自分の娘の学費を出してやって父親づらしてふんぞりかえるために、生徒の家計を圧迫、崩壊せしめてもなんともない。そういう男だ、こいつは。尊大極まりなく所有欲の権化であるこいつは、自分の家の庭の雑草を隣家の者に草刈り機を買わせて刈らせテンとしている、領主気取りの傲慢者。自分の数十万の給料のために、生徒各家庭の出費が何千万になっても知ったことか! という素振り。

会社でもおそらくこの調子でやり、総スカンを食らったのだろう。

こいつが管理職になると、部下を自分にどれだけ貢いだか、どれだけ媚び諂ったかで査定をするので、会社経営に不調和が生じさせるのだが、我欲の強いこの男は、そんなことはお構いなしだったに違いない。

「望まない私立に行くと、また、お前みたいな粗悪な教員があてがわれるかもしれないからだ」

とはこの時、思いつかなかったし、思いついても言わなかっただろう。

この先生が、生活費を含めて年間250万円、4年で1000万円払うと保証するなら、乗ってやってもいい相談だが

エゴと我欲の強いこの男、自分や自分の家族のためなら他人はいくら踏みつけ搾り取っても構わないを正義と思っている、この阿修羅男爵が1円たりとも出すとは思えない。

土台、あの男に外側の条件をいくら並べて見せても、否定の材料を与えるだけだ。それに、第一、他人の志望の客観的証明など、物理的結果を伴ってしか不可能だ。

「国立大でなくてはならない理由はなんだ?」

合格したからです

それ以外の理由はない。合格していない今、何を言っても無駄だ。

僕の提示した理由に、あいつが積極的に共感、同意、共有しないかぎり、万人に、いやあいつが納得することなどないではないか。

半端な私大に行くくらいなら、僕は大学には行かない。そう決心していた。

その消極的な理由に、ヘタな私大に行けば、また、こんな目にあうかもしれない、という思いがあったからだ。また、周囲から白眼視を浴び、嘲笑の的になり、軽く扱われ、安く扱われ、将来が真っ暗で、そして最悪なのは望みもしないのに、成長不良で自己中で暴圧的な、こんな男と関わりになるかもしれない、

そんなの、たまったもんじゃない。

今は、それも、自分で出した錆だと思って飲み込み、未来にむけて努力しているのだ。

 

ガッデム汚腹・ミスターセイナン・埴輪の馬づら先生、

こいつら3羽ガラスの言う「頭の悪いバカなお前たちでも行けるところ」には死んでも行かない。(その大学を蔑むわけでは決してないが)そこに行けば僕にとって、またこの学校の二の舞だ。この辛さ、苦しさが長引くだけではないか。僕はそう思った。

 

① もし東京の私大に行くとなれば、仕送りを月々10万円してもらった上にアルバイト三昧になっていただろう。不本意なところに通っている上に、そんな労働は苦痛以外の何者でもない。僕は望む大学生活を送りたい。それをイメージした。数ヶ月後、そのビジョンを全文英語で学級日誌に書いて提出することになる。

② 結果から言えば、もちろんこの時点ではまだまだ未来のことで何も確定していないが、僕が1浪して行った国立大学では入学金と授業料の全額免除になった。(これは余裕合格できるところを受けたからだろうと思う)しかも学生寮に入ることができたので、初期費用はほぼゼロ、鈍行で行き来すれば自宅から片道千円もかからないし所要時間は片道70分程度。

③ それに引き換え、こいつが人格否定をし罪悪感を植えつけてまで断念させた国立受験の後に小出しにしてきた東京のお買い得私大の理系は、初年度納入金が110万円、それに引っ越し代、下宿代、仕送りなど、とてもすぐに用意できる額ではなかった。そんなこと、知らん、というのがこいつの態度だったし、俺のやるのは合格までだ、と嘯いた。お買い得大学に合格さえさせれば特別ボーナスが出る契約になっていたと推定する。

④ 入学時の当座必要金額が、東京の私立理系は150万円。国立大は0円。この差は、年収200から250万だった我が家にとっては大きい。

⑤ 仕送りは入学からしばらくは月に5万円送金してもらっていたが、これが東京暮らしだと10万はいるだろう。2年目からの授業料など納入金が90万円で、年間の仕送りが120万円。ほぼ父の年収全てとなる。どうして、これで「親はなんとかしれくれるぞ」になるのか? エテ勝手な妄想と言う他ない。

 

実際には聞いたことはないが、他の生徒の親からは苦情が出ていたのではないだろうか。普通の親なら怒るだろう。貴様、何様か? のぼすんな!

お前が払え!

と。

1960年代70年代の東京が熱い時代で、東京に憧れ、都会の文化を味わうために早稲田慶應なら五木寛之よろしく、売血と勤労学生でも厭わないが、他の私大に行くためにそれは気がひける。憂鬱だ。

九州圏内の国立大で事足りる。

と僕は考えた。家に余裕があるなら、東京の私大もありだと思うがーー。

金銭的な面だけでなく、僕が受験勉強している一つの目標は奈緒子を抜くことなのだ。

 

僕は奈緒子が好き奈緒子は国立大を志望しているだから僕は国立大に行く

この構図だ。揺るぎない。テディボーイ・ブルースと同じ図式だ。他の野郎の考えが入り込む隙間はない。これが、本当に本物の数学だ。ボケ。物欲まみれのハゲジジイなら尚更だ。割り込んで入って来るな。

僕がこれほどまでに強烈にガッデム汚腹に対して評論するのは、今後、執拗に迫ってきた上に最後には立場を利用した暴力的な押し付けをしてきたからだ。どんなにバカにしようが、人格否定しようが、言うだけならまだ軽く受け流しもしよう。だが、強制は暴力と同じだ。力づくで行使した。

 

僕が受験に親近感を持っているのは、奈緒子に親近感を持っているからだ。お前じゃない。お前なんか、お呼びじゃない。ガッデム汚腹。

奈緒子が国立を志望しているから僕と国立受験は親和性をもっている。

僕は奈緒子に憧れている。だから大学にも憧れをもって入る。狭き門まで清潔なビロードの絨毯を敷き、敬意をもってくぐるのだ。

奈緒子が津田塾や御茶ノ水を志望したなら、ちょっと僕は困るところだ。

けれどいまのところ、この学校の特待生規約によって国立の総合大学が義務付けられているし、経済的理由や親元に近いところになるだろうから、女子大や私大や東京に行くことはないだろう。

けれども具体的に奈緒子がどこに行こうとしているかは知らない。知らないが、ともかく僕は彼女の行こうとしている大学以上の大学に行くのだ。

これは言うならば『ガッデムの娘』対『僕の奈緒子』の対決だ。やつの権力が勝るか、僕の決意が勝るか。

Good Aim

グッデイム。僕はこっちで行こう。同じような発音だが、ずいぶん違う。

だから言わば、God Damn vs Good Aimというわけだ。

 

ガッデムの策略

 

2回目の進路指導のあとだった。よほど僕たちに国立受験を諦めさせたいのだろう、朝のホームルームにて共通1次の数学について教壇に立った、仏頂面のガッデがこんなことをしゃべりだした。

「あんな問題、」

時間をかければ皆まんてんなんです

何が言いたいのか? まるで、急いでやる練習をしておけと言わんばかりだ。慌てる練習をしてどうする。

あんなカンタンな問題、倍の時間をかければ誰だって満点取れるんです。それを短時間でやらなくてはいけないから、差がつくんです

曲がりなりにも後から筑波大学第2学群になる元東京農業教育伝習所(東京大学駒場キャンパス内)出身なのに、あの程度の問題に時間が足りない? どうせなら「半分の時間で満点取れる」いや「15分で満点です」と豪語してみろよ。情けないこと言いやがって。

そして、プロ教師ガッデム先生は、こう言って締めた。

時間をかけても解けないお前らなんかに

共通1次を受ける資格は、

なぁーい!!

もう、無茶苦茶な理屈である。共通1次の数学が解けないレベルで、私学の一体どこならよいと言うのか? 局所にだけ目を取られているから僕たちを全否定していることに気がつかない。頭が悪すぎる。こいつはしたり顔で主張するが、そんな発想は数学のできない奴のものだ。

だいたいこの男は一体、何点を想定して言っているのか? 国立理系でも学部・学科によっては6割かそこらでも受かるところがいくつもあると言うのに。例えば秋田大学鉱山学部土木学科、旺文社のデータによれば、僕たちが現役で受けることになる昭和61年度合格者平均は英98点 数118 国111点 社54点 理65点となっている。(62年度受験用なので社会と理科は1科目で算出してある)得点率は55%。平均の62%よりも低い。さらに、2次試験は数学と理科で偏差値は各々48と46だ。各大学に設置してある教育学部にも通りやすいところはたくさんある。一口に国立理系といっても、教育学部の理系という道もあるだろう。だが、ガッデムからはそんなアイディアは一切提示されなかった。共通1次トータルで6割も取れば例えば佐賀大の中学理科には十分に受かりうる。

 

だいたい、それなりに数学のできる者からは、倍の時間をかければという発想が出てこない。

本当に情けないやつ。だからこいつは3浪もして農業教育伝習所にしか通らないのだ。共通1次の数学は、この人ができないだけではないのか。この人は進学適性検査世代でも共通1次世代でもない。そのはざまの難問奇問珍問の世代だ。もし自分が半分の時間で解けたなら、時間には余裕があると思いますが、誘導に乗って確実に解けるように基礎固めを怠らないようにして下さい、とでも言うところだ。

あとでまた松居がゲロっていた。松居は百姓根性や田舎者根性が大っ嫌いのようだった。威張るやつ自慢するやつ人を馬鹿にしてくるやつ説教するやつ強制してくるやつが死ぬほど嫌いな松居は、

となって高2のハナからガッデムの言うことなど聞いていなかった。自分の住む地域の連中がそうだったからかもしれないし出身中学にそういう連中が多くいたのかしれないが、それに似た要素を北原捻也に感じたのだろう。だが、嫌悪感を持つのは同族憎悪かもしれないし、僕は、こんな男を嫌うエネルギーで消耗するのはゴメンだという気分だった。

あとでもちろん、松居はこう言った。

聴きながら僕は、高2の今の時期ならなおさら、まずは丁寧に丁寧にゆっくり一つ一つ踏まえて理解し、地力をつけ、それで問題量をこなして早く正確に解答できるようにしていくべきではないかと思った。

直木の丁寧さを真似しようと思っていた時期でもあり、僕はガッデムのペースには乗るまいと心に誓った。第一、こいつは僕たちに国立を諦めさせようとするついでに自慢しているだけのことだから、あ、そ。と応じておけば済む戯言にすぎない。

こんなことを言って僕らの高望みを挫《くじ》き自分の持って行きたい方に持って行きたいのだろうが、聞きながら僕は、共通1次の数学はそれなりにスピードが要るのだな、と思っただけだった。実際の問題をまだ見たことがなかった。

しかも、それなりに学習し実力のある者にとっては、共通1次の難易度や分量は制限時間内に解ける程度に定めてあるので、焦燥感に駆られ飛ばし読みしたり上滑りしたり、息急き切ってやるような試験ではなかった。とすれば、こいつの頭の回転がぬるいので、バカな戯言をほざくハメになっているのにちがいないのだった。

この時代の試験は、大量の高速処理や速読速解など求められていなかったので、英語の長文問題でも返り読みして十分だった。というより、時間が余るほどだった。英語に慣れてくると前から順番に読んで意味がつかめるようになるし、西方先生などはその読み方を推奨していた。国立の2次試験の下線部訳は、それこそ丁寧に間違いなく、構文やつながりやかかり方を捉えなければ得点になる和訳にはならない。徒らに急ぐのを煽るような言い方をしては間違った方向に扇動するだけだ。筆記試験で確実に得点するなら、丁寧に読む練習こそ積んでおくべきだ。

こいつの煽りに乗ってはならない。こいつは威張したいだけ。劣等感を払拭するために。

今の時期は一文一文丁寧に丁寧に間違いなく確実に理解し把握していく習慣をつけておくことだ、と僕は思った。こうやってこうやってこう、と確実に正解に至る一連の動作をスピーディに行なえるようにするのは、もっと後でいい。手順の一部を省いてショートカットしたりもっと大胆な独自の方法を編み出すようにもなる。

サラッと読み進めるところと、設問に関するところや下線部は速度を落として丁寧に理解する緩急をつけられるようになっておくこと。

だいたい僕たちは受験に際して、何を学ぼうとしているのか? 早とちりの仕方か? 早合点の達人か? 書いてあることを正確に読み解くこと、本質を理解すること、正確な知識を身につけること、相手の問いに素直に答えること、・・・。試験のゲームみたいな要素や競争などは最後の最後でいい。まずは、物事や社会や科学的な知識や思考を修得していくことではないか。

なんのために勉強するのか? ただ、試験の合格点を取り学校に入るためか、それとも自分の内実や実質を成長させるためか。

こいつのような「世の中しょせんこんなもん」と愚かに短絡をさせたジジイの世迷言《よまいごと》や大言壮語など習うに値しない。ーー安っぽく生きていきたいなら別だが。漱石を読み耽っていた永淵などはガッデムのことを

自惚れの強い男だ

と言っていたが、その通りだ。生徒に見透かされていることに気づかず、バカをゴリ押す中年男、見苦しい。

こいつはしたり顔で主張するが、そんな発想は数学のできない奴のものだ。ガッデム先生は倍の時間をかけなければ解き切れないのだから、制限時間内だと半分だ。200点満点中の100点しか取れないと言っているに等しい。倍の時間がかかると言っているのだから、満点どころか5割しか取れない実力だと暴露しているようなものだ。伝習所だからまあ、そのくらいのものだろう。自分は5割だから、僕たちは1点も取れないと勝手な妄想をしているに過ぎない。

この時代の共通1次数学は、5題を100分で解かせていた。それなりの勉強をやった者ならあの程度の問題を解き終わるのに100分もかからない。したがって、倍の時間をかけるなどという想定は出てこない。時間をかければ満点が取れる実力のある者は、制限時間内でも180点か190点取れるのではないか? 現実問題として、完答できる人が100分以内にできないことはない。要するに、この男がやれば、ということだ。制限時間内では半分しか手のつかないガッデム先生は5割以下の得点しか取れない実力なのだ。

どの教科でもそうだろうが、やり込んで熟達したらセカンドウインドウに入り、むしろ時間が掛からなくなる。あっと言う間に解き切って満点を取ることだろう。そんな強者が共通1次では毎年数千いるではないか。90分100分は長過ぎて、15分か20分もあればマークし終えることだろう。だからこそ、数学の熟達者は難関大理系の初見の問題を欲しがる。高倍率と偏差値エリートだけが受験している危うさの中で制限時間内に狙った高得点を取るゲームと思えてくるから。そんなアスリートのような受験戦士はとりあえず僕とは別世界の人間だ。

どうやらオヤジづらしたガッデム先生は髪の毛だけでなく知能も足りないようだ。倍の時間をかければ、という発想は熟達者には出てこない。制限時間に余裕が持てるほどやり込んでください、としか言わないだろう。こんな程度の問題と分量にこんな時間は要らない。15分で解いて残りの時間はミスをチェックするためのものだと思えているはずだ。

確実に理解し、正確に操作ができるようになり、それを訓練すれば自ずと速度は上がる。上がって上がって別の意識状態になれば、時間が消える。速度がなくなる。気づいたら終わっていた。となる。

適宜というものがある。まずは英語か数学、できれば両方を満足の行くところまでもっていく。

そしてそこまで他の科目を引き上げる。それを今の今から5教科7科目全部同じようにウエートをかけて全部満点取らなければならないような錯覚を与える。そんな奴は、全国広しと言えど、ガッデム先生くらいしかいないのではないか? そんなバカな考えをしているから、どの教科も中途半端になって伸びなくなるのだ。膾を吹いて、共通1次の数学すら0点のお前らは今から教科を絞ってなとどやり始め、共通1次以下の試験を出すところにしか通る見込みがないと植え付ける。

センスのカケラもない方法をゴリゴリに押し付ける。

ガッデムのような立場上うえにいて押し付けてくるバカに面した時、ただ批判して終わるのでなく「では、なにが真実か?」「自分はどう思うか?」と問いかけ、責任ある考えに至ることが肝要だ。そうすれば、他人のせいにしなくて済むようになる。僕はこの安っぽい男を叩き台に高次の認識を学んだ。それに至るために勉強していたようなものだ。バカな大人に直面した時、どうするか? それは英文にも現代文にも古文にも漢文にも、回答は出ていた。なによりも自分自身を知るために。闇雲で当座主義の世間ズレしたツマラナイ(皮肉に「立派な」)大人を見せつけてくる者に嫌気がさすからこそ、勉学に励むのだ。自分自身をもっと進化した存在にしていくために。

 

これまでの習慣のままではこの後もどんな結果が出るかは順当に予測がつきます。受験の取り組み方、勉強時間、方法、人生そのものの目的など、見つめ直し、自分が何をやりたいかを見定めながら、」

中学時代や高校1年までの習慣に革命を起こして下さい

とでも諭すところだろう。

ところがそういう本質的な話は宗教じみているとでも思っているのか、科学だと信じ込んでいる悪辣なカルト教のようなやり方を導入して恬としている。

今の偏差値で』などと思っていては確実に下がっていく。今の偏差値とはこれまでの思考習慣や勉強習慣によってなされた結果だからだ

 

ーー字数制限により残念ながらここまで。続きはseesaaブログにて

 

僕の偏差値狂時代 ガッデム先生の大予言