何かが崩れ去る音がした。
それはあっけないもので
時間はかからなかった。
積み立ててきたそれまでの時間が
虚しく過ぎ去った。
ひとつの目標はそこで途絶え、もうどうすることもできなくなった。
過ぎ去ったものは
いくらあがいても取り戻せない。
後悔してからでは遅いというのは
こういうときに身に染みてわかることで
初めてじゃないのに
学べていない自分に出会う。
こうして私は自分で自分の土台を踏み潰して
いつまでたってもうじうじしてることしかできないような
無力な、他人任せな、ひ弱な自分を作っている。
ほんのちょっとの強い心と、目標を達成させたい強い気持ちがあれば
なんの苦もなく、こなせるのに。
こうして考えていることを吐き出すと落ち着く。
自分は本当にこのままでいいのか。
いいわけがない。
こうしてダメなことはわかっているのに
それでも自分に甘くしてしまう。
なぜなのだろう。
私の心には、今なにがあるのだろう。
外との繋がりをたったとき
自分にしかできないことはなんなのか。
誰にも負けないなにかってあるのか。
そんなことを考える。
そのとき、いつも自分が受け身であることを痛感する。
受け取る力はこれまで沢山機会があって
沢山ついたけど、
自分から発信することはあったのだろうか。
誰かにきっかけや影響を与えられるようになれているのか。
私は考えることが好きだから
いつもなにかしら考えては胸にしまっているのだけれど
それを発信したらなにかかわれるのだろうか。
私には失敗を恥ずかしいと思う傾向がある。
恥ずかしいというこの気持ちがあることが
すべての足枷になっている。
小さい頃から、
よくできるのね、とか
えらいわね、とか
さすがだな、とか
言われて育ってきたから
言われてきた分、プライドがあって
誰かに負けたり、劣っている自分が恥ずかしくてしょうがないのかもしれない。
それが今のこの悪循環な感情起伏の原因なのかもしれない。
ただこうして分析してもそれで終わりだったら全く意味がなくて
ここをどう変えて行くかがこの先の課題。
この中途半端なままが一番ダメなのはよくわかっている。
けれど、いざ、行動に移そうとしたときに
失敗を恐れる自分が、恥ずかしがる自分が、いる。
いつもはあきらめてしまう。
少し前向きに考えて行動してみよう。
自分には吸収する力が、こんなにもあるのだから。
そこを活かして、世界を広げていこう。
この窮屈な息の詰まりそうな苦しい場所から
一歩踏み出して。
それくらいの勇気は持ち合わせていたい。
精神を、心を鍛えて、
これからの自分のために
なにができるのか。
どうしなくてはならないのか。
まだまだ青二才な私がどこまで変わることができるのか。
人に依存している私がどこまで成長できるか。
学校のことも、バイト先でのことも、家のこともしかり。
春休みでいろいろなことができるといいな。
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