トマスが旅立った日の翌日から、あの人(私の母)が住んでいた築70年の家(通称・魔女の棲む家)の解体工事が始まったということを、このブログで書きました。
魔女の棲む家、は、もともと私の祖父母が、昭和20年代末にこの土地に引っ越してきたときに購入した家です。そのまえは、にんじん畑だったそうです。私は会ったこともありませんが、祖母の父(私からみて曽祖父)も少し暮らしたことがあったようです。
うっそうと蔦や庭木に覆われた独特な外観と、
中は、昭和20年代から使われていた建具、すりガラス、
独特な間取り。
昭和20年代末から、50年。そして祖母が2003年に他界してからも、さらに20年弱。この家には、70年の間、独特な空気がずっと流れ続けていました。
(昭和30年代頃、家の前で撮影)
さて、70年の歴史を誇る家は、あの人を中心に、ずっと少しずつ片付けていたものの、いざ解体となると全てを処分する必要があり、それはそれは大変な作業でした。
昨年末から、土日は、あの人と、私の姉と片付けをする毎日でありましたが、3月中旬に、あの人が、トマロビソバ家の1階に越してくるのを一つのマイルストンにしていたので、片付けのピークは3月でした。
あの人が越してくる時は、引越し業者さんを入れましたが、連日の掃除の疲労と期日に追われる焦りと苛立ちで
あの人がキレて、椅子を壁にぶん投げた。
見事に刺さった。笑
解体直前にはゆかりのあった人たちを呼んで、解体前のこの家を見学しながら、パーティをしたのですが(次のブログに書きます)、みんな、この椅子が相当面白かったらしく
かなり撮影スポットになっていました。笑
さて、トマスが旅立った翌日から解体工事が進み、
2週間ちょっとのうちに、
あっというまに
(本日撮影)
ここまで解体が進みました。
これは今年の1月に、このこの七五三で袴と、私と私の姉が祖母が染色した着物を着て、記念に家の前で撮影したものです。
・・・考えると、このお家は、曽祖父、祖母、母、わたし、そしてこのこと、なんと5世代にわたって家族を見守ってきてくれました。
そして、ここには、たくさんの動物たちも住みました。直近だとBBと右京ですが、
(わかりにくいですが手前がウーフとしずか。1993年頃)
うーふ、しずか、キキ、ティンク、おはぎ、たぬえ、あんどんも住んだことがあります。
(幼少期のわたし。子犬だったウーフを抱っこ。1992年)
(これはウーフとしずかの先代、ニゴ。なんと2万5千円だったからニゴ。)
・・・そしてさらにその前には、昭和20年代から、ほんとうにたくさんの動物たちがここの地で暮らしてきました。
(なんとこの少女は「あの人」です!)
2021年初にトマスの腎不全が発覚し、次にロビンの糖尿病が発覚し、そのころから動き始めていた、この建て替えのプロジェクト。トマスとロビンの闘病の時期と重なったので、とにかく治療をして、新しい家にみんなで一緒に越そうと、その一点をただひたすらに目標にしてトマスとロビンの介護をしてきました。
その心の支えだった目標が、トマスとロビンの立て続けの他界で叶わなくなったことで、あまりにも呆然としてしまっていたのですが、、こう振り返ってみると、トマスとロビンはもちろんのこと、祖母をはじめとした先だった家族と動物たちとの思い出に囲まれて、彼らの空からの見守りにより、私たちは新しいステージに進んでいっているんだなぁと、感じます。
前を向いて生きていかなくては。
ありがとう、おうち。
ありがとう、先にお空に帰っていった、たくさんの私の愛しい人たち。
次回は、今月頭に行った、解体パーティについて少し書きます。