おはようございます。色々と雑務に追われているうちに、1ヶ月、2ヶ月と経ち、気づけば半年ほどブログの更新を止めてしまい、紅葉の綺麗な季節になってしまいました。

 

 

しかし秋の心地いい時間というのも、最近は全然長続きしませんね。だんだん肌寒くなってきて、どことなく街の景色もセピア・トーンからモノクロ・トーンに傾きつつあるように感じます。といってもすでに充分に都会化されてしまった居住環境においては、季節のはかなさを感じることもめずらしく、また出不精なことも相まってそういった機会はめっきり減ってしまいました。

 

自己紹介をします。名前は馬杉和貴といいます。「和を以て貴しと為す」からきています。名は体を表すとはよくいったものですね。平和主義者です。THO '24 に 3rd trombone で乗らせていただいています。22', 23' は DBNSO にいました。引退しようとおもっていたら我らがコンマスこばやしまなとに捕獲されました。まだいろいろ慣れないことも多いですが、なかよくしてもらえたらとおもいます。

 

 

ここの最初のほうにもうちょっと詳しい自己紹介がかいてあります。

 

discrete vs. continuous というタイトルですが、これは我々のもつ空間論的イメージに関する叙述のつもりでいて、discrete というのは「離散的」「バラバラ」であるという状態のことで、逆に continuous というのは「連続的」「つながっている」というような状態のことをいいます。こういった空間の「つながり具合」をあらわすさいに「位相」という言葉を用いたりします。

 

continuous なもののあいだの対応を考えるにあたって、やはりその対応についても "continuous" であることを課すのは自然な要請のように思われますので、対応が "continuous" であるということの説明をします - すなわち空間 X から空間 Y への「関数」が「連続」であるとは、「X において近いふたつの点が、Y にうつされたときにおいても近くある」という性質をみたすことをさしていいます。

 

基本的な用語を整備したところで、この記事で話したいテーマのアウトラインを述べます - 私は最近呪術の研究をしているのですが (『呪術廻戦』のことではありません、念の為)、そのとりくみのなかで「情報」という概念そのものに関する原理について気になり、自分なりに考えたことを述べたいというのが主な desire になります。特に application があるわけではないのですが、こういった原理に関する探究によって、「認知のあり方」についての再発見ができるのではないか、と期待しています。

 

呪術という単語について補足しておくと、これは「意志を実現する営み」であるとよくテーゼ的に表現しています。なんらかの目的意識があって、その目的を実現するためにおこなう一連の行為のことを指して呪術と呼んでいる、と説明することもできます。このような広い意味においては、人間がとる行動のほとんどに「呪術的ニュアンス」が付随していることが理解されるとおもいます。そのような観点において、意志を実現するために「もののことわり」についてより "よい" かたちで理解したいという発想がうまれますが、そのような探究のことを呪術的探究とよんでおり、以下にかくような内容はそういった呪術的探究の一環であるということができます。

 

まず、なにか紐を一本用意します。この string に名前をつけて、以下 S とでもよぶことにします。また、S の両端を a, b とよぶことにします。また、discrete な二元集合 (ふたつの要素をもつ集合) のことをここでは 2 とよび、その要素を 0, 1 とよぶことにします。つまり、0 と 1 というふたつのもののあつまりのことをここでは 2 とよびます。

 

このとき、S から 2 への continuous な対応というのはどのようなものがあるでしょうか?

S における充分近い点は 2 における充分近い点にうつらなければいけないわけですから、S の端からたどっていったときに急に 0 から 1 に値が変わることというのはありえません。ですので、もし a が 0 にうつるなら、continuous な対応のもとでは S の点はすべて 0 にうつり、特に b も 0 にうつることが理解されます。また同様に、a が 1 にうつるなら、continuous な対応のもとでは S の点はすべて 1 にうつり、特に b も 1 にうつることが理解されます。

 

すなわち、ここから次のような「定理」が導かれます - S から 2 への continuous な対応であって、a を 0 に、b を 1 にうつすようなものは存在しない ( ! )。

 

では、次の話で、「情報」というものについて考えてみたいとおもいます。紐 S のどこか一点 c が与えられたときに、我々は次のような判断を下すことができます - つまり、c が「a 側にあるか」あるいは「b 側にあるか」というものについて、そのどちらかを知ることができます。つまり、「S 上の点の位置」というデータから、1 bit の情報をとりだすことができることになります。また、a 側の点に充分近い点は a 側にあり、b 側に充分近い点は b 側にあることから、この情報は S から 2 への連続な対応を与えていることになります。

 

これは一見パラドキシカルな現象におもえますが、この議論には飛躍があり、すなわち "S の真ん中あたりの点" を "a 側" とみなすか、あるいは "b 側" とみなすか、という部分に対して「若干の不定性」が存在している、というところにあります。逆にいえば、この「若干の不定性」を除けば、"S から 2 への「連続」な対応" が "実現” できることになります。

 

では、ここまで述べた例を人間の認知のあり方の話に適用してみたいとおもいます。紐 S のかわりに、我々の意識あるいは意識上にあるなんらかのオブジェクト X をとります。この X にはなんらかの位相がはいっていて、つまりは「連続的ななにか」として理解されます。

 

さきほど 2 として設定した「値空間」には、2 のかわりに、「さまざまな情報」をあてます - この情報には、discrete な位相が入っていると仮定します。よびかたがないと不便なので Y とよんでおきます。

 

このとき、我々の認知のなかでは X (continuous) から Y (discrete) への「連続」な対応が存在していることが理解されます - しかしながらこの対応にはつねに「不定性」が付随することについても理解されます。

 

しかし、この不定性がもしも「日常生活に支障をきたすほどに大き」かった場合、同語反復的に日常生活に支障をきたしてしまって困るわけですが、実際には「うまく不定性のレベルを抑える」ことによって、ほとんど X に近いものから Y への連続な対応を実現している、という実情があります。

 

この不定性を抑えるという呪術的な問題意識と、「分化のプロセス」は密接に関連しており、「相転移」という現象とも関連したいくつかの組み合わせ論的原理を発見できるようにおもいます - この原理について、簡単な例をひとつ紹介して深くは立ち入らないことにします。左右に磁石を用意して、そのあいだに鉄球をおくと、その鉄球は左右どちらかに引き寄せられるとおもいます。自然界においては、しばしばこういった「分化現象」がおこりますが、これは基本的な数学的原理によるものであると理解されるでしょう。

 

分化するものごとにあわせて「情報」を設定することによって、意識空間の近似として、「分化された - 情報 Y に付随して分割された意識空間」が用意され、それを (同語反復的に) Y に対応させることによって、「情報」という発想が実現される、というのがまず想定される一般論になるかとおもいます。

 

ここまで「情報」に関する簡単な原理を述べたところで、こういった「不定性」のもたらす「怖さ」についてもみておきたいとおもいます - まず、X に近いが、しかし分割された意識空間のことを X' とよぶことにすると、実際には X から Y への対応ではなく X' から Y への対応が用意されているだけであるのに、日常生活上で X と X' を混同しても「大きな影響が起きなかった」とすると、次第に「X と X' とを誤認してしまう」ことになりかねません。ここにおいて、本当は X という認識でいるのに、自分が X' 的な認知をしていると仮定して呪術的操作をおこなってしまうと、そのような認知上のエラーに対応して、呪術的結果に関してもエラーが発生してしまうことがあります。

 

また、別の「怖さ」として、X と X' の差分のことを Δ とよんでしまうと、もちろん Δ が完全に消えている (大きさ 0 である) なら問題はないのですが、実際にはつねに発生してしまい、また Y が増えれば増えるほど Δ も増大してしまいます。すると、しばしば認知的な状況、あるいは「イキモノ」的な状況においては、切除する部分がおおきくなるわけですから、その分「傷み」を抱えてしまいます。そういったものと共存しながら呪術的行為をおこなうということは、どこかで「想定されない歪み」を誘起しないとも限りません。

 

こういった「情報」というものに関する性質と「イキモノ」的なものとのあいだの関連は、「認知」というシステムの「あり方」を探究するうえでひとつの重要なトピックとなるように理解しています。

 

とりあえずいいたいことはいえたので、自己紹介はおしまいにしたいとおもいます。

 

紹介お次はバリトンサックス、若きバンドマスターになります。