鶴見俊輔が、NYの日本図書館でヘレン・ケラーと会った時の話です。17歳の時ですから、戦前です。

 

 私がハーヴァードの学生だとこたえると、自分はそのとなりのラドクリフ女子大学に行った、そこでたくさんのことを「まなんだ」が、それからあとたくさん「まなびほぐさ」なければならなかった、と言った。

 たくさんのことをまなび(learn)、たくさんのことをまなびほぐす(unlearn)。それは型どおりのスウェーターをまず編み、次に、もう一度もとの毛糸にもどしてから、自分の体型の必要にあわせて編みなおすという状景を呼びさました。ヘレン・ケラーのように盲聾唖でなくとも、この問題は、学校にかよったものにとって、あてはまる。最後にはみずからのもうろくの中に編み込まなければならない。これがむずかしい。今の自分の自己教育の課題となる。そのことにそのころは気づかなかった。(鶴見 1999: 107-108)

 

鶴見俊輔(1999)「まなびほぐす」『教育再定義への試み』岩波書店、pp. 106-127.

 

 私が吉田ゼミナール基本法について書くのは、社会学を学び直しているからです。新しい知識を足すのではなく、学んだたくさんのことを“まなびほぐす"必要を感じています。通信教育で学ぶ人に関わっていると、unlearningとして学びが大切なように思えます。それにしても「まなびほぐす」は良い訳語です。2022.10/2