ブログだから、自分自身の過去とギターとの出逢いの話をここに書かせてさせて貰いますね。
僕は小さい時から身長は低く(いつも体育の整列では両腕を腰に当ててました)、また病気で幼少期に手術をして以来頭に大きな傷があって、よくその2つをクラスメイトにその事をバカにされたり弄られたりして泣いていました。
何で僕ばっかりこんな不幸な目に遭ってるんだろうって。(今思えば只不幸な自分に酔っていただけなのかもです。)
しかし運命か中学に上がる前ぐらいに、“ギター”という世界一美しい女性に出逢いました。
ボディラインが艶美で一聴した彼女の歌声で頭の中がいっぱいで、そして彼女を気持ち良く歌わせエスコート出来る人達に夢中になりました。
彼女は僕の人生を大きく変えました。
僕の世界を5倍にも10倍にも広げてくれる魔法を掛けてくれたのです。
そして彼女は数多くの素敵な大人達に出会う魔法も掛けてくれました。
ギターを始めた頃の師匠はおじいちゃんぐらいの歳の人でした。
ホントに良く笑う人で、僕の拙くてつまらない内容の話でもいつも笑って聞いてくれていました。だから調子乗ってどんどん話をする様になりました。また人の話を聞くときも師匠の様に興味を持って聞いてあげる事も出来るようにもなりました。師匠のお陰で今の人格がある程度形成されたんだと思います。
高校に上がると、学校は繁華街の近くだったので用がなくてもライブハウスに入り浸りました。
そこのライブハウスの店長さんはこんな世間知らずの高校生を毎回快く迎えてくれました。頭は短髪の金髪で鼻にピアスを空けたちょっと小太りの笑顔がステキなおじさんでした。
店長自身はパンクロッカーで、パンク好きならイギリスに住む!と言って着の身着のままイギリスに数年住んだという経歴の持ち主です。反社会的な見た目だけど人生経験が深く常識人で、そのギャップに惹かれました。いつも人生論や恋愛論、そして音楽論を僕に諭してくれました。
たまにライブをタダで見させてくれたりもしました。僕の高校は学ランだったのでそのまま行けば当然目立ちます。そこで面白がって目を付けられた僕はよくバンドマンにステージに上げられて、いきなりギターを弾かされたりしました。人前に立つ度胸がつきました。ついでに言うと帰りが遅くなり親にはよく怒られました。
また、楽器屋のお兄さんとも出会いました。黒縁メガネでいつもニコニコしてて人懐っこい人でした。
彼はいつも気前よく、高校生が買える筈もない高級なアンプやギターを試奏させてくれました。しかも、僕が満足するまでずーっと弾かせてくれたんです。試奏が終わり弾かせてくれてありがとうと伝えると、お兄さんはいつもニコニコしながら
「ここに置いてあるギターやアンプは弾いて貰わないと生まれた意味がないからね」って言ってくれるんです。道具じゃなくて、自分の相方を探して欲しいという接客の仕方が大好きでした。
ここで機材の知識が磨かれたんじゃないかなと思います。後に機材マニアとなる発端になりました。
そして、僕の転機です。
大学の進学が決まり楽器屋のお兄さんにそれを伝えると「おめでとう!これ、合格祝いだから使ってよ!」とギターのパーツを頂きました。ピックアップというエレキギターの心臓の様なものです。
このピックアップ、なんと職人さんがハンドメイドで作ったカタログにも載ってないこの世に一つしかないものをくれたんです。
「え?こんな大事なもの良いの?」って聞いたら
「君は多分一生ギター弾く人だろうからねー」
と、この一言が僕の人生を確定させてしまいました。
(ギターに付けてしまってるので中身はないですが、戴いた時のケースです)
この頃にはもう、身長が低いだとか頭の手術痕だとかもうどうでも良い話になってました。たまーにそれをバカにされても
「この人ははそこぐらいしか僕に勝てるところがないんだろーなーハナホジ-」
と思うようになっていました。親以外の素敵な大人達が僕という人間を作ってくれ、認めてくれ、僕に自信という武器を付けてくれました。
ギターがその出逢いを導いてくれて、嫌な事があっても嬉しい事があっても常に僕の側に居てくれてホントにありがとう。
大学で盛岡に移り住み、ここで出会った大切な仲間達と今はソニックブームというイベントを始めて自分のライフワークになっています。
この先おじいちゃんになってもギターは弾き続けるだろうし、子供が出来たり孫が出来たら楽器を是非持って貰って、音楽を楽しんでそして出来れば一緒にバンドして余生を暮らしたいなと思っています。
僕の敬愛するギタリスト、AC/DCのアンガス・ヤングはこう言ってました
「ステージに上がっている時は、何も考えない。不思議なんだけど、自分がもう一人いる感じで、僕にしてみたらステージに上がったらショーは5分くらいで終わってる感覚なんだ。まるで映画を観ているようなんだ。」
人生というライブを楽しもう。

