斬る心

斬る心

居合道を通じて学んだ事を日々実践し精神論だけでなく技術に振り回されず、
時代の変化によって色褪せない技術を磨くI.T.系技術屋の記録

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今回は職人が扱う道具について記事にします。

職人の道具というのは工場で作られるようなもの意外に自作の道具を作る事があります。

刀鍛冶を例にあげると、刀を打つ時に使用する槌などもそうですね。

現代刀工の場合、弟子が不在のため機械で玉鋼を鍛えると方が多く。

ポーリング機械みたいなもので打つようです。

この様子は映画「靖国(YASHUKUNI)」で刈谷直治さんのインタビューの映像でも出ています。

刀鍛冶は様々な制限によりお金を稼ぐ事ができず不人気のようで、
弟子が居ないケースの方が多いのでこういった道具を使わざるおえないという部分もあるようです。

こういった、必要だから用意する道具というのはその人にしか使い勝手がわからないので、

自分で必要な時は自力で作れないと仕事にならない事が多くあります。

職人仕事の場合だと、手に馴染むものを使用するにはどうしても自分で使いやすい道具でないとやりにくいのかもしれません。

僕の場合もサーバを管理する時に、ツールを利用しますが出来るだけその後のカスタマイズがしやすいものを選ぶ傾向が強いですね。

しかし、こういう仕事をしていると会社としては有難くない部分がありますね。

会社ではみんな一緒の事が出来る方が有難いので、どうにかして横一列に並べることが出来るように仕組みとして作ることに熱心になっているようです。

本来、人の持ち味はそれぞれあります。

道具の持ち味というのも様々です。

あまり表面的なところだけを見ずに、道具でも人でも本来の力というのを引き出すようにしていくように動いていけるといいですね。

今回はここまでです。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。
ぼーっとしているというわけではないのですが、
あまりあれこれ悩んでいない時の方がいつもより色々と感じる事が出来るように感じます。


これは実際に仮標を斬る時に思うのですが、あれこれ考えている時に限って僕の場合は事態は好転しないようです。

個人的な体感としてちょっと一息ついて間を持たせる事で何とか悪い状況から脱する事が出来るようです。

下手な考え休むに似たりと言いますが、ほんの一瞬で結果が出てしまう試斬においては非常に分かりやすい形でわかってしまいます。

出来ない時にあれこれ考えすぎると、僕は手元が狂いやすく小手先でどうにかしてしまおうと辻褄を合わせてしまうようです。

そうやって斬っても、本当に「斬れた」と言えないのです。

刀で物体を斬るだけであれば誰でも出来ます。

実際、斬れるもので斬れる物体を斬っているのだから当然です。

ただ、表面的な形だけをなぞっていてもその先にはいけないようです。

日本刀というのは、知っていても知らなくてもとても人に影響を与えてしまう道具です。

色々な物語で誇張されて表現されていることからイメージが先行しすぎて要らぬ妄想を膨らませてしまうようです。

実際に日本刀を振っているとその力というのは肌で感じる事が出来ます。

これはどんな言葉で語られるよりも本当の刀を持つことで感じる事が出来るようです。

道場の稽古に見学に来る方に対して実際に真剣を持ってもらう機会があります。

その時、見学された方の表情が一瞬で変わるので直ぐにわかります。

ただ、普段から真剣で稽古し振ることに慣れ、型を自分でも体得出来たかなと思っても

木刀などを手にして型を行えば直ぐに体得までは行き着いていない事が露呈しまうようです。

真剣と木刀では重さや素材など多くの部分で差異はあります。

しかし、どちらも「刀」である事には代わりないのです。

道場の稽古では、最終的には刀を持っている時、持っていない時に限らず常に同じような状態でいられることを目指しています。

状況の変化によって右往左往せずにやるべきことをやるという事、

扱う道具が変わればブレてしまい、物体を斬るか空間を斬るかでもブレてしまわないように、

修行をしています。

また、この修業というのも刀に限らず普段の生活においても稽古の時と同様に行えるようになるようにしています。

人が見ているところで出来ているのはあたり前です。

人が見ていないところでこそ普段と変わらず修練していくことに意味があるのだと思います。

まぁ、僕も甘ったれなので中々出来ないのですが、挫けたり怠けたりした時にこそ周りの声に耳を傾けて自分を奮い立たせています。

これが、もっと自分を突き放して虚しく出来ればもっといいのですが、それ以前の問題なのでただ修練していく事にしています。

今回はここまでです。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。
仕事でも技術でも引き継ぐ時、真似る事から入るのが導入はしやすいかなと思います。

しかし、その真似たこの柄について知識がついてくるとどうしても「自分なりの解釈」というのが生まれてしまうのは仕方ない事かもしれません。

漫然と何も考えずにぼーっと真似をするだけでは成長と言えるか微妙ですし、そこで良いやと言えるほど自分を無くす事は難しいと思います。

どうしても、何か行動をしていると「あーでもない、こーでもない」と悩み考えてしまいます。

そんな時、閃いて新しい技法を生み出したと考えて先人の技法に+αを加えたりしてしまいます。

そうやって、技術を自分の血肉に変えて得るのですが、これを引き継ぐ事は結構大変な作業となります。

なにせ、自分自身では自然と出来るようになったものを他人の視点で伝えなおす事をしなくてはいけません。

自分がやっている事を最初に学んだ時のころまで振り返り噛み砕いて確認し直す事も必要になります。

また、人によっては伝わり方が変わることがあり、

誤った方向へ進んでしまう事もありますのでこの辺りの塩梅もきちんと判断する必要がありますね。

文字になっている事が全てではなく、多くは経験有りきで語られている部分があるので
あまり鵜呑みにしても仕方ないのです。

実際に自分で経験し、そこから出た言葉を書き起こす。

そういった繰り返しでしか伝承は難しいのかもしれません。

今回はここまでです。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。