け4,Fear.along with wave
11月の上旬にノースに着くも息子のカラニとは、会えずに仕方なくレンタカーを1日借りるがその値段の高さに驚いてしまった。とにかく何でもビックリするくらい物価は、ミシミシと音を立てそうな勢いでローカルのアイランドライフを、圧迫いるようにも見えたな!それに加えて今のコロナだもん、みんな大変だと思いますが頑張って下さい。雨は、いつか必ず止み、風も止まる、陽がさして笑顔になれる、そんな日が必ずやってくるさ。
 ちょっと話しがそれたけど、まあそんなこんなで何とか家にたどり着いた。帰って来る時に見た波は、多分4フィートから5フィートだと思ったけどサンセットまで戻ってきたら、全くサイズが違うじゃああーりませんか!

 昨日家に着くなりボードのセッティングと言うより今自分が乗れるボードがあるか?どうか?もう5.6年にもなるだろうか、このノースでの齢勘定がちょっと計算がしにくいのです。いつも年越しを、挟んでいるから93.94年の冬ですから93年の初春は、93.94からだと去年となるわけで少しややこしいのです。とにかく3回めの膝の手術でもうサーフィンは、やめようと思ったのだった。

 だってもう歩くのさへ、大変だったし自分の中では、サーフィンに対する思いが小さくなってしまった。それくらい怪我や痛みは、身体は勿論の事だけど心もまた全くサーフィンに対する気力が無くなっていったのだった。

おまけに54歳で授かった初めての娘にメロメロになり家族揃っての旅館で住み込みバイト!伊勢にも住んだ、四国は海部のそばで住み込み。まだ寒いと山口県へ、それでも寒いと宮崎へ、でもやっぱりアイランドでしょうと種子島まで流れて行った。

島の生活はのんびりしててホントに私には、最高の地となるはずであった。 

この少し前あたりからサーフィンもやりだしたのだった。メールや電話などであまりにも沢山のサーファーから止めるな!頑張って!まだまだイケると励ましや応援がありまして、またもや性懲りもなくサーフィンをやり出しました。

初めは、ドギースタイルでね、膝が痛くて立てないからさ、ボードは、グラグラしないようにサップようのボードから始めたんだ。

ボードに立てるようになるまで毎日、来る日も来る日もボードに立つ練習を繰り返し


た。