1年経過する前に戻ってきました。もちこです。
久しぶりのブログになりました。
少し浮かんだことがあったので、記録しておきたいと思います。
約1年かあ。すごいねえ。
ブログを更新しない間に色々ありました。
まずは彼に会いました。他には転職しました。
あ、あとパソコンを買いました。
本当は先に「PCを買ったら4ヶ月でSEになった」ってタイトルで
ブログを書こうとしたんだけど、先にこっちになってしまいました。
いつか書くのかなあ。
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Twitterの方で少し書いてたんだけど、
如何せん140字では私の考えは収まらない(そして連ツイになる)ので
いっそブログにまとめようと・・・既に前置きは書きましたね。
テーマはよく言われる【全て在る】【叶うから願う】について。
私はこれがどうしても腑に落ちなくて。
「腑に落とさなくて良いよ」と言われても、納得しない限りはやりきれないというか。
だったら腑に落としちゃえば良いじゃないか(ヨイヨイヨイヨイ)と思って少し考えてみました。
というか考える間もなく、
「潜在意識の知識入れるのもうやめよー」と思ったら急に浮かんできたんですが。
“降りてきた”じゃないのがミソだよ。あの表現がどうも苦手です。
少し部屋を見渡して見てください。
あなたの知らないモノはありますでしょうか。
多分、いやきっと、いや絶対、無いと思います。
私は無いです。
真っ白い壁の部屋、ちょうど良い大きさのテレビ、無印のシェルフ、
イケアのベットサイドテーブルに昨日買ったメイクキープスプレー、
ダイソーのガラスケース・・・あるのは自分が欲しいと思って手に入れたモノばかり。
お店に行ったり、インスタで見たりして、
「これ欲しいな」って思ったモノを買って揃えています。
つまり、今部屋にあるモノって
あるモノが在って→欲しいと望んで→手に入れた
という流れで私の手元に来ているんです。
なんとなくお分かりでしょうか。
他には、自分が望んだ訳じゃ無いけど手元にあるモノ。
例えば人から貰ったもの。
今私の使っているマグカップは中学生の頃に友人から
誕生日プレゼントで貰ったものですが(物持ちよすぎぃ!)、
デザインや大きさは一旦置いておいて、
「マグカップ」というものは知っていますよね。
もっと言えば「飲み物を入れる容器」の存在になるのかな。
例えば異国のなんかよく分からないデザインの魔除けだって、
最近ドラマに出ていた猫の糞から作られたコーヒーだって、
手に入った時は「得体のしれないモノ」と思うかもしれないけど
デザインや原料はどうあれ「魔除け」とか「コーヒー」は知っています。
(段々雲行きが怪しくなってきたぞ)
ちょっと私も書いててよく分からなくなってきたけど(ほらね)、
とにかく私たちが手にしているモノって知っているものしか無いんです。
ピンポイントでも、概念だけだとしても。
モノだけではないです。
例えば、顔に色々塗ると何か良さそうだということを知っているからスキンケアをするし、
冬は毛布を使うと温かいと知っているから毛布にくるまって眠る。
マスクを着けるとウイルスを防げると知っているから身に着ける。
マスクを知らなかったら(無かったら)どうなんでしょうね。
皆手で口を覆いながら歩くのが普通だったのかな・・・。
ハンカチとかで防ぐんだろうか。
この通りで、行動も同じです。
知っているから→「しよう」と思って→する
という流れ。
さっき少し書いたけど、マスクが存在しなければ
そもそもマスクを着けるということも浮かばないんです。
例えばマスクが存在していたとしても、
それが傷を覆うためのモノだとしたら口を覆わないですよね。
(新しいアイデアみたいな感じで浮かぶ人はいるかもしれないけど)
つまり、私たちは「あるモノ・ことしか望まないし、しようと思わない」んです。
逆に言えば、望むモノって全てあるんですよね。
よく「無いモノは望めない」って言われるけど、やっと分かりました。
逆に「この世にないものを言ってみろ!」と言われても・・・
因みに「どこでも○ア」とかは禁止ですよ。
実現していないけど概念としては存在しているので。
試しにドラ○もんの新しいひみつ道具を考えてみると良いかもしれません。
多分、考えても考えても今ある概念と概念の組み合わせでしか作れないと思います。
「無い」は「無い」なんです。0です。
ここまでは何となく腑に落ちても、どうしても落ちなかったのは
「そのモノが存在するから望むことは分かるけど、復縁は別物な気がする」
という部分。
うまく言葉には出来ないけど、うーんなんだろう・・・
「復縁」という概念は知っているけど、「私と彼が復縁する」ということの存在を
知っているわけじゃない、と言ったら近いかな。
だから「望むモノは全て在ります。あなたと彼が復縁する未来も在るから望むのです」と
言われてもいまいちピンとこない。
「復縁」「私」「彼」をそれぞれ知っていて、それを組み合わせて
望んでしまっているだけじゃないの?
あるのは別個のモノだけで、組み合わさった「私と彼の復縁」なんて
存在しないんじゃないの?という感じ。伝わるかな。
でもそれって、全部そうなんじゃないのかなとふと思った。
例えばもう耳タコな例だけど「水を飲む」。
これは「飲む」「コップ」「私」の組み合わせだよね。
ブログを書いてるのも
「ブログ」「文字」「キーボード」「私」「インターネット」とか・・・の組み合わせだし。
友達を作るのも
「親密」「私」「あの子」とかの組み合わせだし・・・。
「親密」「私」「ペットのコロちゃん」とかでも良いけど。
テレビもそうだよね
「視聴」「テレビ番組」「テレビ」「私」を無意識にくっつけて
「テレビ観たいなー」って思うだけ。
「彼と復縁したいなー」と何が違うんだろうという話で。
全部知ってるじゃん。
こうして別個になってしまうと分かりにくいけど、
別個だからこそ好きなモノを選んで組み合わせられるんだよね。
だから皆願望が違う。
「私とA君が復縁する」っていう固定のモノ(敢えてそう表現するけど)しか無かったら
B君との復縁は望めない。
色んなモノが在る中で、自分の好きなモノを選んでいける。
だからこそ柔軟に色々望めるんじゃないかなあ。
ちょっと話はずれたけど、
全て知っているモノの組み合わせでしかなくて、
だから「私と彼の復縁」なんてただ「私」「彼」「復縁」をくっ付けただけで
それは選べるということ。
もう一つ言えば、願望の方もある程度選んできていて。
これが【叶うから願う】の方なんだけど。
例えば、「私」「私の前上司」「結婚」のそれぞれを知っているけど
私はこれらをくっ付けて望みません。
ワードが並んでるだけで鳥肌立ってくるわ・・・。
ということは「私は私の前上司と結婚したい」という(お゛え゛っ)願望は
私に叶えることを望んでいないと言えるんじゃないかと思います。
世の中には何でも揃っているカタログがあって、
現実という中でその中身を日々見ているんだけど
(だから「復縁」という概念も知れるし、「彼」に会った(知った)し、
逆に言えば日々を過ごすことでしかカタログの中身を見る方法はなくて、
だからこそ「私と彼の復縁」というセットで見られないともいう気がする)
その組み合わせも選ばされているんじゃないかな。
男の人なんてたーーーーくさん存在を知ってるから
その人達と自分を繋げて望むことなんていくらでも出来るけど
それをする気にならないのは望まれてないから。
望んだら実現のスイッチが入ってしまうから、
不要なものは望まれると困るんだよね。
つまり、これが【叶うから願う】のカラクリ(でもなんでもないけど)
なんじゃないかなあと思ったわけです。
ただでさえたーーーーーーーくさんのモノが在る中で、
ほんの一部しか知ることは出来ず(前人類に出会えるわけでもないし)、
しかもその中で選択は狭められてる。
細かくふるいにかけられた中で「はい!望みなさい!」と言われてるんだから
叶わない訳がないよね。
叶う叶わないというか、そうなるしかないというか・・・。
案外簡単な話だなあと思いながら、眠たいのでそろそろ寝ます。
「じゃあなんで叶わないの?」は
よく言われるタイムラグか、通販のカートに入れる前に悩んでいるやつ(よくやる)かなあ・・・。
ちょっとそこまでは・・・分かんないよ・・・
でも気楽に気楽にお任せしといたら「へいへいへいへーーーいおまちぃ!!」って
気の良い兄ちゃんが届けてくれそうな気がするよ・・・