聖なる自然の国・アニミズム「お手火神事」
樹木が荒々しくことばを語り、
蝶は舞いながら霊(たま)のひるがえりを見せる。
森や山はそのまま“神”のすがたであり、
湖の面(おも)には、その主(ぬし)のすがたが立ちのぼる。
神たちは岩や泉に降り立ち、
そこをよりしろとして住む・・・
これは、先日入手した
日本仏教の思想 (講談社現代新書)/立川 武蔵
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のプロローグの一節。
さらに・・・
日本文化の根底には、「聖なるもの」の働き、あるいはその姿を見ようとする考え方、またこのような神秘的、民話的自然観がある。自然のそれぞれの事物に聖なる「心的エネルギー」がアニミズム(精霊崇拝)と呼ばれる。
仏教が伝来する以前からそれぞれの豪族の祖先の霊と農業神とが結びつき、氏神(うじがみ)として崇拝され、豪族たちは、それぞれの土地に自分たちの氏神を祀る社(やしろ)をつくり、定められた時期に祭を行っていた。
ということなどが書かれている。
【お手火】
お手火神事は、俗に“おてび”“みこし洗い”“おいで”とも呼ばれている。
お手火神事は、那智の火祭り(和歌山・熊野那智大社)、鞍馬の火祭り(京都・由岐神社)、と並ぶ日本三大火祭りのひとつとも言われており、起源不詳とされているが、鎌倉時代末に始まり、天正年間(1573~1592年)まで行われていた。それから300年以上も中断されていたが、1917年(大正6年)に再興され、1973年(昭和48年)3月31日、福山市無形民俗文化財に指定された。
鞆祇園宮の祭神・素盞鳴尊(すさのおのみこと)の神輿渡卸(みこしとぎょ)に先だって行う“お祓い”の神事で、昔は旧暦6月4日に行われていた。現在は旧暦6月4日に近い土曜日に行われる。
また、雨・台風の日、悪天候であっても行われる。というヘビーな神事である。
【由緒】
古代より、“火はすべての不浄物を清める”という宗教上の思想・信念から始まり、いつからか“信仰”に変り儀式的な祭典に成り代わったものと考えられる。
翌日行われる神輿渡御に先立ち、境内・町内の清祓、氏子の病気厄払い“お祓い”の神事として斎行されている。
素佐之男命、つまり鞆祗園宮の祭礼(夏祭)で第二日曜日の前夜(土曜)宵に施行される。
※元々は旧暦6月4日
【手火】
◎大手火(三體)・・・・重量:約150kg、長さ:約4m、径:約1.2m
よく油の廻った肥松(こえまつ)が適材とされており、大割り・小割にしたものを一定の形になるよう内部に包み込み、外部を青竹で八通り、台杭を八通り入れ、横縄を十二通り、堅縄を三通りかけ結び固めたもの
◎神前手火(一體)・・・重量:約30㎏、長さ:約1.8m
大手火と同じ材質で作るが、横縄は六通り、堅縄を四通りかけ結び固めたもの
別名で「神前手火」とも呼ぶ。
以上の手火四體は、旧暦五月のなかば頃より、職人2~3人で境内の片隅で作られはじめる
※古代の定法では百貫(約375kg)の肥松で四體を作るものとされていた。
【御神火】
古来、石と鉄を擦り合わせて発火させる
【祭儀】※沼名前神社ホームページから
◎一番太鼓:午後6時、拝殿内五張の太鼓で30分間打ち鳴らされる。
◎二番太鼓:午後7時
◎三番太鼓:午後8時、宮司以下参進
献饌(特殊神饌に蛸・縞瓜がある)、祝詞奏上、次ぎ宮司殿内にて火を鑽り神前手火に神火を移す。
白装束の祭事運営委員七名・警護七名、計十四名これを受け、大石段を駆け下り随神門外南側の清められた区域に安置された大手火を祓い神火を移す。直ちに引き返し神輿庫を祓い神前に帰る。
一方、大手火はそれぞれ当番町の氏子青年達(総勢百名ほど)に奉舁され、古来定められた順番で大石段(四十五段)を右に左に一歩一歩少しずつ進み、拝殿前の装置場まで舁き上げられる。
一旦安置された後、神輿を庫から出し拝殿に納め、三体揃えば大手火を再度舁き、境内を廻りそれぞれの当番町へ持帰り、町内を祓い清めて神事を終了する。(午前零時頃)
参拝者は舁き上げられた大手火から小手火に神火を移し、各家に持帰り、厄除け・家内安全また田畑の害虫を送り豊作を祈る。
蛸・・・・・・・・・厄を祓い、福を吸い付ける、また足の健康を祈る意があるとされる。
縞瓜・・・・・・・・社紋(木瓜)
祭事運営委員会・・・旧鞆町七町より選出された、祭事を奉仕(運営)する者で構成。
【蛸と縞瓜のお話】
素盞鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇を退治され、クシナダ姫と結婚され、出雲の国から悪い神々を退治しながら備後の国々に下っていた時のことである。
鞆の浦が、古代「江隅(えくま)の浦*」と呼ばれていた頃だ。
この時、江隅の浦の村人がもてなした「粟飯と胡瓜と蛸の和え物」・・・
この故事にちなんで、鞆の浦では祭りのごちそうに「胡瓜の和え物」は欠かさない。(らしい)
村人は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)を深く尊敬し、素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀る神社を建てた。それが、江隅の国社(えすみのくにやしろ)<のちの祇園宮で、現在の沼名前神社>であり、多くの信仰を集めた。現在の沼名前神社は、その胡瓜を神紋としている。
詳細:Discovery! 鞆の浦/神紋/左三巴と木瓜(五瓜に唐花)
【鞆ジャズ小唄】
昭和初期に流行した(らしい)この曲の一説には
恋も焦げよと、渦巻く炎、
沼名前さまの夏祭り
祭り取り持つ逢瀬の夜は、
胸の思いも火と燃える
この7日後に神輿渡卸(みこしとぎょ)が賑々しく町中を練り歩き大河島の御旅所に宿泊され・・・
→神幸祭
越えて14日後には環御される。→還幸祭
<参考文献>
沼隈郡誌、備陽六郡誌、鞆今昔物語
◎ブログテーマ/神々の足跡
http://ameblo.jp/thinktomo/theme-10033252361.html