日本滞在記2010年(川越祭り編・後編)。
今月末、また日本に行こうと思っているので今のうちに去年の末に日本に行った時のネタを急ピッチで終わらせようとジタバタしている今日この頃皆様、いかが御過ごしですか?(爆死)。ネタとネタの間が空き過ぎてなんだか、拍子抜けのするネタですがとりあえずおつきあい頂けたら、幸いです(苦笑)。今回の旅行では、旦那は仕事の都合で私と一緒に出発出来なかったものの、数日遅れで日本入り。そして、合流した次の日にnene両親と旦那と4人で行った『川越祭り』。前編は(こちらから)ご覧下さい。途中で見かけた『銭洗弁財天』のお話もよろしければご覧下さい。ブラブラとそれぞれに個性のある山車を見て回り山車を操る鳶の人達などを一通り観察して楽しんだ。山車を見るのにも段々飽きてきたのでそのまま喜多院に向かった。喜多院の別名は、川越大師。建物の殆どの部分が重要文化財に指定されているのだそう。慈恵堂比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつってある堂宇。大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼ばれているのだそう。現在では、喜多院の本堂として機能し、中央に慈恵大師左右に不動明王をお祀りし、毎日不動護摩供を厳修している。川越大火の翌年、寛永16年(1639)10月に大火以後いち早く再建され、近世初期の天台宗本堂の遺構として貴重なもの。昭和46年(1971年)から4年間にもわたり解体修理が行われたのだそうで天井に描かれた数々の家紋は、その際に寄進をされた壇信徒の方達のもの。 ここで喜多院の歴史について、記載しておきます。平安初期の天長7年(830年)淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し当初は無量寿寺と号した。無量寿寺には北院、中院、南院があり伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。後伏見天皇は東国580寺の本山としての勅書を下し後奈良天皇は星野山の勅額を下した。永禄年間(1558年-1570年)頃までは3院が存在していたが寛永10年に中院のあった場所に仙波東照宮が建てられた為中院はさらに200m南方に移動し南院は明治の初めに廃院となりその一角とされる場所には、数十基の石の塔婆が残っている。慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たった。慶長18年には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜った。寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏でありこれらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けた。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。以上、ウィキペディアより。 仙波東照宮元和2年(1616)駿府城で徳川家康が亡くなると一度遺骸を久能山に葬りましたが、元和3年(1617)日光山に改葬の途中、3月23日~26日までの4日間遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営む。そのことから境内に東照宮が祀られ寛永10年(1633)には、立派な社殿が造営されました。ところが寛永15年(1638)の川越大火により類焼した為、徳川家光公の命により川越藩主堀田正盛が奉行となり、直ちに再建に着手。そうして寛永17年(1640)に完成したものが現在の社殿です。本殿は三間社流れ造りの銅瓦葺、瑞垣は延長30間の瓦葺で中央正面には平唐門があります。徳川家康の遺骸が留められていた場所だと聞くとなんだか、ものすごい場所なんだと改めて感じたりしますよね。こういうものを見る時にはその場所の歴史を知ると、もっと面白い。中も見る事が出来たらいいのに…。残念だなぁ。そして、最後に『五百羅漢』。喜多院を拝観するチケットを購入するとこの『五百羅漢』を拝観出来るチケットがついてくる。ちょっとオマケ的な存在(笑)。 結構、沢山の写真を撮ったのだけれどすでに暗くなりつつあったので、ボケた写真が多く面白かったり、可愛かったりした羅漢様の写真は殆ど使えないものばかり…。上の写真、向かって右側の羅漢様はヤギらしき動物に餌をやっている姿。その姿が可愛いと思って納めた写真。確か、犬と一緒だった羅漢様もいたはず。お酒を飲んでいるようだったりひそひそと隣の羅漢様とお話をしていたり本当に色々な羅漢様の姿があった。この『五百羅漢』は日本三大羅漢の一つに数えられるのだそうです。川越北田島の志誠(しじょう)の発願により天明2年(1782)から文政8年(1825)の間約50年間にわたり建立されたものだそう。随分と時間がかかったんですね…。『五百羅漢』というものの本当は、全部で538体が鎮座しているのだそう。私、ここを訪れている時に『本当に500体あるのかしら?』と旦那と話していたら近くにいた外人さん(白人の男性)に『いえ、本当は538体ですよ。』と言われ、びっくりしました。外人さんに日本語が通じちゃったのも驚きましたがなにより、彼がそんな事を知っているのが驚いた。でもね、よく聞いてみたら何かにちゃんと書いてあったのだそう(笑)。ちゃんと勉強しながら、見学してて偉いなぁ~。そうそう、この『五百羅漢』には面白い言い伝えがあるんですよ。それは、深夜にこっそりと羅漢さまの頭をなでにくると一つだけ必ず温かいものがありそれは自分の亡くなった親の顔に似ているという言い伝え。昔は、言い伝えを信じ、試した人もいたのでしょうが今では、拝観時間が決まっているので夜中にあそこに入る事は出来なくなっていますし第一、夜中はちょっと気味が悪そうです…(汗)。私なんか、ちょっと薄暗くなった時点で不気味だなぁ~と感じたくらいですから…。この日は、歩き回って相当疲れました。帰りに屋台で、皆でちょっとつまんで帰りました。 さて、随分と長いネタになりましたがこれで、川越祭り編は終了致します。川越は都心から、比較的に近い場所にありますしちょっと小旅行気分を味わえる場所。沢山の古い歴史のある場所なのでとても興味深い場所だと思います。皆様も是非、お暇な時に遊びに出かけてみて下さい!お願いね。