過ぎ去った5月と最後のプレゼントと春の嵐の話 | 考えてる途中。

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おもにエビ中の好きな曲のこととかを考えてる途中。
ふしぎと意味のない文章ばかり書きあがります。

春の嵐
作詞作曲:照井順政


この週末のエビ中さんは、大阪と東京でフリーライブを行います。僕は両方とも参加が出来ない人なので奥歯をがっつりと噛みしめつつ、たまには真面目にエビクラシー収録曲のことについて考えてみようかなと思い立ったのです。
そう。なんとこのブログは真面目な音楽ブログを標榜してたちあげたものだったのです。いま思い出しました。


ツアーに参加して今回のアルバムの中で一番気になっていたのは、10曲目に収録された春の嵐です。ちょっと考えたこと感じたことをつらつらメモっておいてみます。

春の嵐。
この曲はライブでオケと断片的な歌詞を聴いた限りでは、吹き荒れる嵐が花びらを巻き上げ花吹雪を生み出す様子と、突如その風景がスローモーションになって見えなかった風景が光の中に現れてくる様子。そんなイメージが頭に浮かんでいました。
舞台パフォーマンスがまた独特で、真山を始めとするエビ中の皆さんがどこか演劇じみた、ミュージカルじみた振付で激しく歌い踊ります。曲と歌と振付けの三者が相俟って、ある種の壮絶さにまで楽曲が昇華しています。ライブで未見の方は、是非とも一回見てほしいです。

 

 

作曲の照井順政さんはポストロックバンド、ハイスイノナサのコンポーザー。ハイスイノナサはしっかりとしたテクニックに裏打ちされた、良い意味でいうところの意味の解らない展開の曲を連発しているバンドです。そんな彼らの激しい音とエビ中の持つポップさとエモさが交わって、舞台上の春の嵐は歌詞が断片でしかわからなくとも、見応え聴き応えのある楽曲に仕上がっていました。

 

僕はCDが届いたら歌詞カードと共にゆっくりこの曲の正体を読み解いてみようと、とても楽しみにしておりました。で。5月の終わりと共にエビクラシーが自宅にたっくさん到着。さっそくヘビロテ開始です。



「春の嵐」といったら、まずはヘルマンヘッセの小説ですよね。
身体の自由を失った青年の、春の嵐のように沸き立つ恋と音楽への情熱を描いた作品です。この小説と重ね合せながらエビ中の春の嵐の歌詞を読み解いてみようと思ったのですが、これ原題は春の嵐じゃないんですよね。だのでヘッセの原文と訳者の感性も理解しなければ、公平な楽曲の感想には行きつかないのかな。

 

 

残念ながら僕には学がないので、ヘッセの文献をあさるのは諦めることにして、今回はストレートに「嵐」の方から考えてみます。お天気です。


ええと。
日本では五月になると、急激に発達した低気圧が列島を横断し、各地に台風並みの激しい風雨をもたらすことがあります。これは春の嵐とかメイストームなどと呼ばれ、大雨洪水やら高波やらを引き起こし、時に飛行機や船舶の運航などに多大なる影響を与えます。文字通りの5月の嵐です。



これとは別に、5月は上空に寒気を伴った気圧の谷が通過しやすくなります。このとき地表付近の空気が陽光などで温まっていたりすると、大気の状態が不安定になって、短い時間のうちに急な強い雨の降ってくることがあるのです。雷や突風を伴うこともままあります。

この曲でイメージされる春の嵐は、前者の様な災害級の嵐ではなく、もう少しだけ小規模な嵐。どちらかといえば後者の側ですね。そしてこういったメカニズムで急に発生する雨については、今までも色々なアーティストの曲にて歌われています。

 

 

ゼッテーアナーキー作詞作曲でおなじみABEDONさんのバンド、ユニコーンおかしなふたりという曲。これにも「思いがけない5月の通り雨」という歌詞が出てきます。本心の掴めない恋人を思う女性が、急な雨をやり過ごし、水溜りで遊ぶ子供たちなど見ながら楽しかったはずの日々を回想するワンシーンが描かれています。

 

お願いジーザスでお馴染みフジファブリック。彼らの陽炎という曲では「窓からそっと手を出して 止んでた雨に気付いて 慌てて家を飛び出して」という歌詞が出てきます。こちらは急な雨の中で呼び起こされた在りし日の記憶が、急に胸を締め付けてくる様を歌っています。志村さんが尊命だった頃の曲です。


両者を見てわかるように、急な強い雨は記憶の扉を開き感情を揺さぶるものとして描かれています。実際、急な天気の変化、空気感の変化、つまるところの気圧の変化。生物気象とかそういった分野では、これらは時として身体や心の機能に影響を及ぼすことがあると---不意に胸の奥の紐を解いていくことがあると言われます。

エビ中の春の嵐もその例に漏れず、降りだした雨の中で主は胸の鼓動が高まり体温が上がって、感情が暴走していきます。トラックの激しい拍の入れ替わりと音の重なりがその様子をしっかり描き出しているように感じます。



春の嵐は突然巻き起こるもの。よく晴れた何でもない午後、対流を起こした空気が急遽積雲を発達させ、やがて大雨と共に雷をも落とす。その下でヒトは雨柱や花吹雪で視界を遮られ、感情の逃げ場が塞がれて心を掻き乱されていきます。あの日がただ何でもない一日だったはずなのと同じように。

そして春の嵐の如く、生きているとこれから何度でも不意打ちのように、大きな悲しみや堪えきれない感情がフラッシュバックを起こして襲ってくることがあるでしょう。これは大なり小なり誰だって通る道。避けて通ることのできない道です。
生きていくということは、そこから目をそらすのではなくて、それらと上手に付き合っていかねばならないということ。エビクラシーに収められた春の嵐はそれを真正面から肯定した作品で、花吹雪の向こうの見たことのない明日へ進むことを是として曲が締められています。



先日のラジオで、彩ちゃんは彼女に対して「自分の人生を最後にプレゼントしてあげたい」と語っていました。立派すぎます。たった18歳でなぜそんなことを言葉に落として言えてしまうのだろう。春の嵐にも絶対負けない。しっかり肯定して生きてゆく。まさに歌の通りの言葉です。

そう強くあろうとしているメンバーに対して、少なくとももう少しの間は少しだけでも応援で後押しをしてあげたい。この曲を聴いて僕はそう思わざるを得ないのです。
 

 

何故なら、嵐が通り過ぎたあと空は雨で洗われ、春の霞を削ぎ落し青く青く染まって、きっといつものような美しく優しく無邪気な笑顔を見せてくれるはずだから。そしてそこにはなないろの虹が寄り添いながら、力強く架かっているはずだから。そんな風景にいつかみんなが辿り着くといいなと思うから。



といったあたりまで僕の暴走した感情電車(通勤快特)は筆を勝手に進めてしまったわけですが、春の嵐に限らずエビクラシーは一曲一曲に色々なドラマが詰まっていて凄いアルバムです。

あすの東京フリーライブにも僕は行けませんが、皆さんどうか声の限り応援したってください。宜しくお願いします。

とりあえず僕は仕事がんばります。
そしてそろそろ寝ますです。
お休みなさいグー。