回復へのチャンスは誰にでも平等に与えられている。

 

だけど

その千載一遇のチャンスを逃してしまえば

もう二度と回復への道を歩くのは難しいかもしれない。

 

それだけ回復へのチャンスは

目の前を一瞬にして通り過ぎていく。

 

その大切なチャンスが目の前にあったのに

必死に掴み取らなかった理由はなんだろう。

 

 

そのチャンス自体に気付かなかったのか、

 

気付いても気付かないフリをして元の生き方に戻ったのか、

 

勇気がなかったのか、

 

そもそも回復なんてするつもりがないのか、

 

自分が何をしたいのかわからないのか、

 

 

 

 

今までの生き方や考え方に限界を迎えて

薬を飲む羽目になったのに

 

その生き方を変えないと

いつまでたっても苦しみからは脱せない。

 

苦しみでがんじがらめになった自分を

少しでも楽にするには

 

小さな勇気を少しだけ出し、

それを繰り返し何度もやり続けること。

 

根気よく続けること。

 

薬のように一瞬で楽になるような生き方なんて

この世には存在しない。

 

日々の積み重ね

1分1秒の積み重ねが

生きると言うこと。

 

薬を飲まずに生きている人たちが

普通にやってきたそれを

私たちは薬を飲んで放棄してきてしまった。

 

 

私たちはその積み重ねの訓練をしなければならない。

 

 

薬をやめることだけなら

その訓練の困難さ、苦労に比べれば

非常に些末なこと。

 

 

生きると言うことは、地道な積み重ねと継続の繰り返し。

 

 

真摯に人、物、事に向き合って生きる訓練を

普通の人にだいぶ遅れてやり始める、

 

やっと普通の人たちと同じスタート地点に立つ、

 

 

それが断薬だ。

 

 

 

【追記】

これは2021年2月16日のポストです。

このポストは実は処方薬依存の人たちへ限定されたものではなく、生きづらさを抱えているすべての人たちへの投稿でした。

生きづらさを抱えている人たちの根っこは同じであると思っています。

 

それは「共依存」です。

 

幼少期に安心という大きなシールドに守られて育つことが出来なかった私たちは、個として立っていられません。

 

自分の価値を自分で見いだせないために、

他者に自分の価値を認めてもらおうとします。

 

だから他者に翻弄される人生になってしまったのです。

 

自分の本当の気持ち、欲求が一体何なのか

それさえもわからずに生きてきてしまっています。

 

まず、自分の原点である幼少期まで立ち返り

自分の育った環境とそのときの気持ちを再度確認する必要があります。

 

そこから自分という【個】を作り直す作業が必要です。

 

それが回復の第一歩だと思います。

 

私も当事者ですが

DV被害者が相手を恨み続け、責任を相手に押し付け続けることは、回復するうえで正しいことだとは思いません。

 

そもそもそういう相手を選んでしまった自分の責任なのですから

自分の生き方のクセを修正しなければ同じことを繰り返してしまうのです。

 

要は自分を変えないといけないのです。

 

相手に責任を押しつけ続けて、果たして自分は幸せになれるのでしょうか?

 

断薬出来ない人も、DVから逃れられない人も

【他責思考】を捨てない限り、

回復の一歩は踏み出せないと思います。

 

 

自分が不幸なのは

政治のせいでも医者のせいでも親のせいでも夫のせいでもありません。

 

自分自身のせいです。

 

成人した人間なのですから

 

自分の人生は自分に責任があるのです。

自分の人生を変えていくのが回復です。

 

幸せになりたいのなら、です。