高野山真言宗6.8億円損失?がニュースになっています。
所詮宗教は人間が作り出したもの、多少の違いはあるにせよ何処も五十歩百歩だな・・・と思ってしまうのは私だけだろうか?
ほんと注意しないといけませんね・・・
人の振り見て我が振り直せ
高野山真言宗6.8億円損失?がニュースになっています。
所詮宗教は人間が作り出したもの、多少の違いはあるにせよ何処も五十歩百歩だな・・・と思ってしまうのは私だけだろうか?
ほんと注意しないといけませんね・・・
人の振り見て我が振り直せ
先日、信徒の方より聖酒式参加のお誘いがありました。その方は、私が教会活動を頑張っていたことを理解して頂いていたようです。ありがたいことにお褒めの言葉まで頂きました。
しかし、丁寧にお断りしました・・・
訳は、聖酒の価値云々より、教会にある面反旗を翻した立場ですのでそれには値しないと判断したからです。聖酒で全ての罪が許されるなんて当然信じていませんが、再出発の儀式としては有効だと思います。自分の罪を自覚することは必要だと思いますから・・・ しかし組織を離れ、批判した立場としては参加する気持ちになれません。 ちょっと頭が固い気もしますが・・・ 私は古い人間ですから仕方ありません。
とかく宗教は罪を強調しがち。しかし、人間には悪い面もあるが善い面もあるのだ。
神様は罪ばかり責められるお方だろうか?私はそう思いたくない。神様というお方は、罪以上に善なることをより見つめてくださっていると思いたい。
罪観を強調するから救いとか贖罪とかいうことが必要になってくるし、救い主やメシヤという存在を求めるようになってくるのではないだろうか?神様を知るには仲保者は必要かも知れない。しかし、仲保者≠救い主ではないだろうか?「神様の証し人」とでもいうような存在のような気がする。統一原理でいうところの「原罪・遺伝罪・連帯罪・自犯罪」この罪を善に変えて「原善・遺伝善・連帯善・自行善」のようなものを全面に押し出した組織は作りえないものだろうか?これこそが神様の願う人間像。罪を犯せば、周りの人々は善人ばかりで恥ずかしい限り。次第に罪も無くなっていくでしょう。
理想論でしかないのかなぁ~
幼稚な私の頭で考えたことですので皆さん軽く笑い飛ばしてください。