皆さまおはこんばんちわ
初めての人もそうじゃない人も有難うございます。
はっきり言いましょう。わたくしの今までの人生全く持って光なんてもんありゃしませんでしたよ。
逃げて逃げて、足に火がついて 焦って血の気だけは溜まって心の中で暴れ狂うけど 何も頭に入ってこないなんて時期が長かったですよ。
虐待はあったし育児放棄はあったし、ろくなもんじゃなかったけれど 何とか生きているだけでしたよ。
ゴミ屋敷で泣きながら 顔を歪めながら ハエのたかる流し場で皿洗いをした事。
親に忘れられて一日一食あるかないかの生活をしたこと。
不安な中で一人で成長する道を模索してたこと。それはみんなかもしれないけど。
辛かったですよ ホント もう泣いてばかりでしたね。
その上何も事情を知らない人様からは 努力をしないだの 気が利かないだの 暗いとか重いとか言われまくってましたよ。
でも、ある時ある人に感謝して生まれ変わろうと思ったし 自分の可能性がまだ残されていて まだ頑張れるんだって気づいたんですよ。
人の事も憎みましたわ。もう、殺人鬼一歩手前の精神状態な時もありましたよ。
でも踏みとどまった。別に倫理観が優れていたわけじゃない。
ただ、したいわけじゃないのになって心の声があっただけ。
今はなんとか勉学に向かっているけど、この後どうなるかはわからないし 時々、すごい迷っていた頃の自分に戻ってしまう。
感情の熱は冷め切っているのに、ただ傷だけが痛んで その痛みが治まる術を 傷をさすりながら考える事で癒されたつもりになってる。
でも、なんとか大丈夫。
たまーに、あなたは一人じゃないわたしがついているよとか 恥知らずで無責任で自己陶酔もたいがいにせいという 台詞を抜かす輩もおりますが
わたくしはわたくしだけを信じて今まで生きてまいりました。
世界中が敵にまわっても私は私を信じるでしょう。
それは苦しんでいる他の人にも言う言葉。
他人じゃない、自分を信じる。
信じれる自分になる。それだけが今のところのたった一つの自分を支える言葉。
例えばある要素αが物事の起こる確率を49%占めており、他の要素β c e 等がαよりも小さな要素である場合 私達はαのみをみて判断し それ以上調べない 考えないと行った事が多い様な気がします。
これは私達の能力の限界などもあるのでしょうが、物事を見誤る原因でかなり根源的な物の様な気がします。
客観的に考えるならば、49%では過半数に達しておらず不完全なのですが 私達は脳内で数パーセントから数十パーセントの補完を勝手にしてしまっており 完全だと思い込んでいるのではないでしょうか。
これは、虹を一つの色で代表して定義しようとする無謀な試みにも似る行為だと思います。
虹を虹色であるなどの定義はさておき、虹を七色ではなく五色などと言う国もある様ですが 二色や単一色と言う人は少なくとも現在の文明的な交流が盛んな地域ではいないのではないでしょうか。色盲なども除 きます。
これは私達の能力の限界などもあるのでしょうが、物事を見誤る原因でかなり根源的な物の様な気がします。
客観的に考えるならば、49%では過半数に達しておらず不完全なのですが 私達は脳内で数パーセントから数十パーセントの補完を勝手にしてしまっており 完全だと思い込んでいるのではないでしょうか。
これは、虹を一つの色で代表して定義しようとする無謀な試みにも似る行為だと思います。
虹を虹色であるなどの定義はさておき、虹を七色ではなく五色などと言う国もある様ですが 二色や単一色と言う人は少なくとも現在の文明的な交流が盛んな地域ではいないのではないでしょうか。色盲なども除 きます。
気が利けばなんでもいいってもんでもあるまいに、過剰に気が利いているとかありますね。
段差の全くないエレベーターで
「段差にお気を付けください」とかは有名なところですが
江戸時代中期あたりに 葉隠れなる書物があったらしく それ関係の本を読んでいたら昔の日本人の気が利きすぎてあほなストーリーが載ってました。
ある二人の侍が夜中に談笑していたところ、酔った勢いで失禁してしまったのですが
それを見ていた小僧が わざとお茶を運びながら転んでぶっかけて 失禁で濡れたのではないとして 濡らしてしまい申し訳ないと着替えを勧めるとのストーリーがあるのですが
完全なるあほです。あほみたいに気が利きすぎです。
もし私が失禁した侍なら、そこまで気を利かせた上に 失禁がちゃんと確認されてしもうとるとか恥ずかしくてたまりません。
まあ、油断して失禁した侍が悪いのですけど ファインプレー過ぎる小僧もどないやねんと言ったところでしょうか。
段差の全くないエレベーターで
「段差にお気を付けください」とかは有名なところですが
江戸時代中期あたりに 葉隠れなる書物があったらしく それ関係の本を読んでいたら昔の日本人の気が利きすぎてあほなストーリーが載ってました。
ある二人の侍が夜中に談笑していたところ、酔った勢いで失禁してしまったのですが
それを見ていた小僧が わざとお茶を運びながら転んでぶっかけて 失禁で濡れたのではないとして 濡らしてしまい申し訳ないと着替えを勧めるとのストーリーがあるのですが
完全なるあほです。あほみたいに気が利きすぎです。
もし私が失禁した侍なら、そこまで気を利かせた上に 失禁がちゃんと確認されてしもうとるとか恥ずかしくてたまりません。
まあ、油断して失禁した侍が悪いのですけど ファインプレー過ぎる小僧もどないやねんと言ったところでしょうか。
この書籍については細かに考察を織り交ぜながら批評を述べたいと思います。
それだけ、私にとっては久々に衝撃を受ける書籍でもありました。
まず、私自身がこの学問のすゝめを読むきっかけですが やはり 現代語訳というのが大きかったです。私自身現代文はそこそこな気もするのですが 古典・漢文となると全く持ってお手上げでした。
とにかく読んでおかねばならない本だというのは意識しておりましたからなんらかの機会があれば読もうと考えてました。
以下が考察となります。
まず、著者である斎藤孝氏は非常に有名らしいのですが 彼が教えている大学生に聞いたところ ちゃんと学問のすゝめを読んだ人は0人であったそうです。そこから、なんとしても福沢諭吉の文を読ませたいと 現代語訳の執筆を決めたそうです。
私自身がこの本に手を伸ばしたのも 現代語訳であり 気軽だったのが大いにありますから この方針での執筆は少なくても日本で一人読者を獲得したことになります。(実際23万部の売り上げらしいです)
内容はと言えば、男女差別の愚かさを語ったり 国策や外交の事について 語ったりしているのですが 現在の有識者と負けず劣らずの雄弁であり 勤勉な日本人が 情熱的な息遣いで 語りかけてくる感覚があります。
経済学の理念の様な物は 福沢が受け付けなかったのか 相反する事を述べていたりもします。
例えば、すべての国民が善良であれば 国家も安泰であるとの事ですが 福沢ののちの時代の 経済学者である ケインズも 資本主義とはそもそも 個人の悪徳が世間の美徳になり 個人の貯蓄が世間を貧しくするとも言われていますから 向上しつつある 国民には 善良で勤勉で貯蓄せよとの 言葉が適切だったのかもしれませんけれど こうしたところで 時代が経過しているのを感じたりもします。
しかし、官の政策任せで問題解決を図るのは愚かで 変化は民間で起こすべきであり 官はそのサポートをするとの発言は 今の日本にも通じる経済的な考えにも感じました。
時代を越えても戦争を三度も越えても 色あせない言葉の強さ そして当時は情報伝達技術も限られていたであろうに イギリスの植民地と化し 中国へのアヘン輸出の拠点となっているインドの状態も しっかりと認知し 世界情勢を語っています。
驚くのはその当時の世界情勢をかなり正確に把握している事だけではなく、徳川幕府体制での非理性的な行いを否定しつつ 西洋の批判も同時に行い ただ西洋に飲み込まれるだけの変化ではないという強い精神が見受けられる事です。ここには福沢の魂が込められています。
こういったところは教科書よりもその当時を生きた人間の焦りや希望を感じる文を読むのが良いかもしれません。
私自身、どんなに学問を修めても身に付かない 倫理観や哲学は こうした書籍と触れ合うことで 得る事は出来なくても高めたり洗練する事は出来ると考えており 今回の書籍は 大学を志す人ならば 一読し 理解したうえで 反発してみたり 納得してみる価値のある本と感じました。
私の想像する過去の日本では本当に情報を集めるだけで苦労したであろうに、その当時の世界情勢をほとんど把握している福沢諭吉の見識や努力には私は尊敬と感動を同時に感じました。
彼のたとえ話も中々に妙であり ユーモアを解する彼の人格もそこらかしこで見受けられました。
それだけ、私にとっては久々に衝撃を受ける書籍でもありました。
まず、私自身がこの学問のすゝめを読むきっかけですが やはり 現代語訳というのが大きかったです。私自身現代文はそこそこな気もするのですが 古典・漢文となると全く持ってお手上げでした。
とにかく読んでおかねばならない本だというのは意識しておりましたからなんらかの機会があれば読もうと考えてました。
以下が考察となります。
まず、著者である斎藤孝氏は非常に有名らしいのですが 彼が教えている大学生に聞いたところ ちゃんと学問のすゝめを読んだ人は0人であったそうです。そこから、なんとしても福沢諭吉の文を読ませたいと 現代語訳の執筆を決めたそうです。
私自身がこの本に手を伸ばしたのも 現代語訳であり 気軽だったのが大いにありますから この方針での執筆は少なくても日本で一人読者を獲得したことになります。(実際23万部の売り上げらしいです)
内容はと言えば、男女差別の愚かさを語ったり 国策や外交の事について 語ったりしているのですが 現在の有識者と負けず劣らずの雄弁であり 勤勉な日本人が 情熱的な息遣いで 語りかけてくる感覚があります。
経済学の理念の様な物は 福沢が受け付けなかったのか 相反する事を述べていたりもします。
例えば、すべての国民が善良であれば 国家も安泰であるとの事ですが 福沢ののちの時代の 経済学者である ケインズも 資本主義とはそもそも 個人の悪徳が世間の美徳になり 個人の貯蓄が世間を貧しくするとも言われていますから 向上しつつある 国民には 善良で勤勉で貯蓄せよとの 言葉が適切だったのかもしれませんけれど こうしたところで 時代が経過しているのを感じたりもします。
しかし、官の政策任せで問題解決を図るのは愚かで 変化は民間で起こすべきであり 官はそのサポートをするとの発言は 今の日本にも通じる経済的な考えにも感じました。
時代を越えても戦争を三度も越えても 色あせない言葉の強さ そして当時は情報伝達技術も限られていたであろうに イギリスの植民地と化し 中国へのアヘン輸出の拠点となっているインドの状態も しっかりと認知し 世界情勢を語っています。
驚くのはその当時の世界情勢をかなり正確に把握している事だけではなく、徳川幕府体制での非理性的な行いを否定しつつ 西洋の批判も同時に行い ただ西洋に飲み込まれるだけの変化ではないという強い精神が見受けられる事です。ここには福沢の魂が込められています。
こういったところは教科書よりもその当時を生きた人間の焦りや希望を感じる文を読むのが良いかもしれません。
私自身、どんなに学問を修めても身に付かない 倫理観や哲学は こうした書籍と触れ合うことで 得る事は出来なくても高めたり洗練する事は出来ると考えており 今回の書籍は 大学を志す人ならば 一読し 理解したうえで 反発してみたり 納得してみる価値のある本と感じました。
私の想像する過去の日本では本当に情報を集めるだけで苦労したであろうに、その当時の世界情勢をほとんど把握している福沢諭吉の見識や努力には私は尊敬と感動を同時に感じました。
彼のたとえ話も中々に妙であり ユーモアを解する彼の人格もそこらかしこで見受けられました。
あほですね しかも、笑えんあほですね
そんな奴らは もう ウソチという汚物にたかる ハエですね。
そんな奴らは もう ウソチという汚物にたかる ハエですね。
