何度も夢に出てくる場所がある。
背丈のある草が両脇に生い茂っている下り坂の小道を降りていくと、開けた場所に出る。そこは田んぼで、刈り取られた稲が束ねられ、天日に干されている。
最近は見ていなかったが、前は週に何度もその夢を見たり、定期的にその場所を訪れていた。そこに行って何をするということもないのだけれど、ただひたすらそこに向かって歩いているという夢。目覚めるといつも、故郷に戻ってきたような、とても穏やかで優しい気持ちになっている。
先日九州に足を運んだ。前々から訪れてみたい神社があって、そこにようやく行くことができた。本殿の脇から緩やかな下り坂の小道が見える。私はその道を何の気なしに進むことにした。200メートル先に、水の社があるらしい。
前日に雨が降ったせいで枕木は濡れ、足元に注意しながら慎重に下っていく。200メートルは嘘だな…と思うくらいゆっくりしたペースだ。半分くらい進んだところで、おや?と思った。妙に既視感のある風景なのである。生い茂った草木の感じとか、差し込む光の量とか、この光景を見るのは初めてではないと身体が言っている。なんだろう…なんだろう…と思考を巡らせて残りの道を下っていくと、以前見た夢の映像が蘇ってきて、目の前の景色と重なった。
開けた場所。
稲刈りの終わった田んぼ。
稲架にかけられた稲。
全てがあの夢のままだ。
唯一夢に出てこなかったのは、この開けた土地の左側に鎮座している小さな水の社だけだった。
社の主は温かい声色で
「よく来ましたね」
と言った。この神が私に、繰り返し夢を見せていたのかもしれない…
仕事をしているとたまに、「来るように伝えてほしい」と言われることがある。
神が呼ぶときというのは、その人の中にある質のようなものが開花するときである。
以前、誰もがそういった「神性」を持っているということを書いたけれど、ご縁を繋ぐというのは私にとってはそういうことであり、そのような瞬間に巡り会えたときが1番、この仕事をしていて良かったと思う。
そしてこの夢の続きは、現実で見ることになるのだろう。私は、夢と現実は地続きであると思っている。今日見る夢も、どこかの現実に繋がっていたらいい。サラサラという足音が近づいてくる。いつか、猫が人間になった夢を見るかもしれない。