最近思うことですが、
風の時代になると、目に見えるものから、見えない物へと価値が移動していくという。
不労収入で稼ぐ手法がとっても注目されているし、流行っている。
これからはネットでの仕事だよね、と誰もが言う。
働き方も、一生懸命働くなんてのはもう古い?という人もいる。
確かに全体の流れとして、外側への適応のために自己犠牲で働くという時代は終わるという感触はある。
でも、少し気になっているのは、
今の動きの中で、
ただ、そういう時代なんだ!乗り遅れないように!と、新しいビジネスの宣伝に飛びついたり、焦っている人たちもいるということ。
そのスタンスは、これまでの外側への適応と何が違うんだろう・・・
そういう働き方を否定しているのではなくて、
むしろ、私にとって場所や時間に制限されない自由な働き方や生き方っていいなって思う。
私が感じているのは、
全体的な流れや流行は、それはそれであるとして、
それとは別に、というかその源泉として、
自分の喜びってどんなところにあるの?ということを自分自身に問うことがとっても大事だな、ということ。
セッションにしても、ジュエリー作りにしても、基本的に時間や労力の対価としてお金を頂いています。
今世の中のほとんどの働き方がそうなのではないでしょうか?
でも最近、やたらと、「労働=対価」=悪! みたいになってないです? 思っているのは私だけ(笑)?
ウェブデザイナーや不労取得で自由になって旅して生きよーう!自由に生きよーう!っていっぱい見るんだけど・・・
自由に生きている自分の喜びがどこにあるのか、人生を通して探求しているテーマってなんなのかな?っていうことを置いてけぼりにして「これをしたら自由になれるらしい」ということでただ闇雲にやっていたら、「人の言う幸せを自分の幸せと勘違いする」、または「自由を手に入れるためにもっともっと頑張る」という、これまでと何が違うの?パターンがそこにある気さえする・・・。
逆に言うと、自分の人生のテーマや喜びを意識していると、いまいる環境に見いだすものが変わってくるし、取り組み方、あり方にも変化が起きるのではないかと思う。だからと言って、決して、その環境に居続けるのがいいという意味ではなくて。
その環境にいるか、離れるかということにももっと素直になれるかもしれない。
「対価をもらうために労働しているんだ」という捉え方から
「私はこのテーマを持って生きる中で、この環境を選択している」という視点や
「労働」というよりは「自分を表現すること」なんだということへのシフトが起きてくるのではないかな、と思う。
そういえば昔、こんな質問をされました。
「本当にもう働いたりもしなくてよくて、なんでも自由に本当にやりたいことだけできるとしたら何する?」って。
はじめは、「旅!」とか「高級レストランでめちゃ食べる」とか言うんですけど、
「それもしばらくしまくったら、飽きちゃうよね。さあ、何する?」
って、とにかく、どんどん自分に聞いていく。
すると、「どんなにしても飽きないこと」がふわっと出てくる。
それが案外子どものころ、よくもまー飽きもせずにやっていたな、ということだったりもするし、もしかすると思ってもみなかったことかもしれない。
遊び感覚でぜひ自分に聞いてみてください♪
実はずーっと奥で温めていたテーマがひょこっと顔を覗かせてくれるかもしれません。