私が私であるということ(1) | 本来的な自分を輝かせて、宇宙にひとつの生を最高に楽しもう♪

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人にどう思われるか怖い

目立ったら叩かれる、妬まれる

そんな気持ちが強かった私は

 

力を振りかざして、コントロールしてこようとする敵が大嫌いだった

 

だから、何か私よりも、それよりも大きな力に守られていたかった

だから、それが現実では、

力を持った人であったり、組織であったりした

または、いわゆるスピリチュアルなことであったりした

 

 

つまるところ、力を持った何かを嫌いながらも、安全な何か大きな力に属していたかった

 

 

 

人にどう思われるかが怖かったから

好かれていたかった

困っていれば、手を差し伸べ、「助ける私」はある意味、居場所を与えてくれた

特別だよと言ってくれるスピリチュアルは、私の自己肯定感を埋めてくれた

 

 

でも、ずっと怖かった

 

 

あの人がこうだからだ

私の幼少期がこうだったからだ

 

 

 

何かが、間違っていて、

 

 

相手が悪くて、私は被害者だった

そう思っていれば、現実世界で、できない私を正当化できた

 

 

あるとき、被害者の役を引き受けているのは私なのだという衝撃が走った

 

もう被害者は嫌だ

 

私は私でいいのだ!!

 

 

そう思ってから、

 

 

「私のことは私のこと」

「人の問題は人の問題」と考えるようになった

 

 

革命だった

なんて楽なんだ!

そうか、私はついに自由になる

 

 

 

すると、周りで悲しそうにしている人がいても

それは彼女の問題だから、と遠ざけた

 

 

 

見ないふりをした

 

 

 

そこに目を向けるということは、「私が私であること」を脅かすものだったから

 

 

別に冷たいんじゃないもんね

私は私を生きるんだぜ

こうしてれば、人の意見を気にしなくていられるんじゃないかと信じた

「私は私です」とラベル貼って歩いてるみたいだった

 

 

心なしか、声が大きくなってたんじゃなかろうか

心なしか、背筋がピンとしてたんじゃなかろうか

とはいえ、一人きりになって、いざという決断には足元グラグラだったんじゃなかろうか

 

 

 

 

寂しくなった

 

 

 

私の中にある何か大事な感覚器官を麻痺させたような気分だ

もしくは、ドーパミン打って、24時間「私は私である」ための戦いをしているようだ

 

自由になったはずなのに、この断絶されたような感覚は何だろう・・・

 

 

 

私が私であること

ってなんなんだ・・・

 

 

 

(次回に続く)