地球規模の貯蓄・投資の不均衡 | Pull Myself up by My Bootstraps!

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タイトルは、統計学におけるBootstrap(現実のデータを基に、
現実と異なるショックが起きた場合のデータの振る舞いを分析する方法)の語源
「自分のブーツの紐を引っ張って足を上げる」→自分の置かれた環境を自分の努力で変える、という意味です。

さて、昨日のブログでは、連邦準備制度の前議長Bernanke教授が、米国経済を展望する際に念頭に置くべき仮説はSummers元財務長官の言うような「長期不況論」(The Secular Stagnation)ではなく、国際貿易・投資の循環の不均衡を発生させている「過剰貯蓄論」(The Global Savings Glut)であると述べている点について取り上げました。


Bernanke教授は

・ 長期不況論: 人口高齢化と生産性上昇率の停滞という国内要因に起因する需要不足

・ 過剰貯蓄論: 各国の通貨・金融政策を背景とした輸出志向の経済成長という海外要因に起因する不均衡状態

と、両者を明確に別物と取り扱っていますが、果たしてそうなのでしょうか


この点について、世界的な国際貿易・投資循環の不均衡、グローバル・インバランス(The Global Imbalance)がそもそもどのようにして発生したのかについての考察が不可欠だと思います。


その淵源をたどると、「過剰貯蓄論」はグローバル・インバランスの唯一の発生原因というわけではなく。 たとえば、

・ 米国経済が好況にあった頃の生産性上昇率の加速や貯蓄率の低下といった、これまた米国の国内要因がグローバル・インバランスの原因だ

とするような説明も存在します。


大不況以前の2006年に書かれたものですが、カリフォルニア大学バークレー校のBarry Eichengreen教授が書いた小論が、グローバル・インバランスの原因にまつわる諸説を的確に整理してくれていますのでご紹介します。


Eichengreen, B. J. (2006). Global Imbalances: The blind man and the elephant. Issues in Economic Policy, Brookings Institution, 2006 (1).

【論文へのリンク(ブルッキングス研究所HP)】


目が見えず、象を見たことがない人が生まれて初めて象の体を触った際に、象がどのような生き物であると感じるか、というたとえ話ですね。

鼻を触った場合には、巨大なヘビのような生き物だと思うかもしれません。

耳を触った場合には、薄っぺらい陸上のエイのような生き物だと思うかもしれません。

足だと? しっぽだと? どうなるか?

どれも実際の象の全体の姿とはかけ離れた何かを想像するのでしょう。


Eichengreen教授によれば、グローバル・インバランスの原因についての諸説も似たようなところがあり、それぞれの仮説はグローバル・インバランスという現象全体の一部分でしかなく、それらは相互に補完し合って全体を説明するものだ、ということです。


まず、米国と米国以外の国々に分けて考えましょう。


米国の経常収支赤字(投資-貯蓄)と米国以外の国々の経常収支黒字(貯蓄-投資)は等しい、つまり

・ [米国の貯蓄(S)-米国の投資(I)] - [米国以外の貯蓄(S*)-米国以外の投資(I*)] = 0

が必ず成立します。


何かの要因に基づいて、この恒等式の内訳のどれか一つでも変化すれば、必ず他の項目にも影響が及びます。

Eichengreen教授は、グローバル・インバランスを説明する諸説の違いは、S、I、S*、I*のいずれの変化に強調を置くかの違いであると明解な整理を行っています。


1. 米国主因説

まず、米国の貯蓄の大幅な低下や、米国の投資の大幅な増加が引き金となって、米国の経常収支赤字と米国以外の国々の経常収支黒字が拡大する場合が考えられます。

1.1. 米国の財政赤字仮説(S↓)

これは、米国の政府部門の支出拡大が経済全体の貯蓄率を大幅に低下させ、これが米国の経常収支赤字を大幅に拡大させたことをインバランスの原因と捉える説です。

Sの低下ですね。

この説は、1980年代に言われたような財政赤字と経常収支赤字の「双子の赤字」論と同種のものですが、これを2000年代以降のグローバル・インバランスに当てはめるこの仮説の最大の泣き所は、

・ 米国の貯蓄不足が原因であるとすれば、米国の利子率が極端に低下していることの説明が難しくなる

という点です。

1.2. ニューエコノミー仮説(I↑)

これに対し、1990年代の力強い生産性上昇率の高まりを背景とする「ニュー・エコノミー」が、世界の他の国々と比較して米国をより魅力的な投資先とし、世界中から資金を引き付けて米国の投資が拡大したことを原因とみる説があります。

この説の難しいところは、

・ IT関連産業など一部の生産性上昇率は目覚ましいものがあったが、米国経済全体で見た場合に、対GDP比での経常収支赤字の拡大を説明できるほどの生産性格差が高度成長を遂げているアジア諸国を始めとする他国との間で発生したとは言い難い


2.海外経済主因説

これに対し、米国以外の国々の貯蓄の増加又は投資の低下に原因を求める説があります。「過剰貯蓄論」はこの系統ですね。

2.1. 海外の過剰貯蓄説(S*↑)

アジア諸国や産油国の経常収支黒字の拡大を、これらの国々の貯蓄率の上昇の結果として、これをインバランスの原因と捉える説です。

Eichengreen教授の分類では、この説が依拠する各国の貯蓄率の上昇は

・ 若年世代の人口増加率が高齢世代の人口増加率を上回っている国々での経済全体で見た貯蓄率の上昇

・ 金融市場の未発達による金融仲介機能の非効率性に起因する余剰貯蓄の必要性

といった、かなり構造的な要因を背景とするものであり、Bernanke教授の言うような通貨政策・金融政策に起因する輸出の拡大による各国の経常収支黒字の拡大は次の「海外の過小投資説」に分類されるものだと思われます。

このように、もしグローバル・インバランスが途上国の人口動態や金融市場の発展度合を要因とするものであれば、目先の人為的な政策でただちに解消することは難しいでしょうが、これらの国々が高齢化社会へと向かうと同時に、金融市場の発展が進行するにつれ、徐々に解消に向かっていくことが期待されます。

2.2. アジア通貨危機後の過小投資説(I*↓)

これは、アジア通貨危機という大きなショックを受け、アジア諸国が先進国からの資本流入をテコに投資を拡大させ、経済成長を図るという政策を修正し、可能な限り内需の過熱を抑え、輸出主導による経済成長を図る方向に政策転換したことを原因と見る説です。

多くのアジア諸国の中央銀行が自国通貨を安く抑えるために積極的な為替介入を行い巨額のドル資産を外貨準備として蓄積している、ということがその証拠として挙げられることが多いです。

なお、この説とは若干方向性を異にするものですが、こうした通貨安と外貨準備蓄積を軸とした政策転換を要因とする説として、米国・中国の相互依存仮説というものがあります。

これは、自国の金融仲介システムが非効率であるという現状の下で中国が経済成長に必要な投資資金を賄うために、アメリカの金融仲介機能を借りている、しかしタダでそれを行うことは不可能なので、政府証券など短期のドル資産を大量に買い、これを担保とすることにより、直接投資など長期の資金を呼び込んでいるのだ、という説明です。

ストーリーとしては面白いのですが、

・ 中国が急速な経済成長を開始した時期(1990年代)と、外貨準備を急速に増加させた時期(2000年代初頭)が一致しない

という泣き所がありますし、果たして政府の発行した証券を中国が保有していることを、米国の民間企業が自分たちの投資に対する「担保」と考えるのか?という根本的な疑問があります。

実際、直接投資に影響を及ぼす他の要因をコントロールした上で、米国からの直接投資の増加がアジア諸国の外貨準備の増加を説明する力をもつかどうかを実証的に分析した研究では、両者の相関は見せかけのものに過ぎない可能性を報告しているようです。



このように、グローバル・インバランスは、米国に起因するもの、その他の国々に起因するもの、政策に起因するもの、人口動態や経済構造に起因するものなど、様々な要因が入り混じった結果として発生している可能性があります。

Eichengreen教授はこの論文を書いた2006年の時点で、早晩インバランスの調整が必要となるであろうが、それはソフトランディングとなる可能性もあるし、ハードランディングとなる可能性もあるとして、それぞれの展望を示しています。

2008年から2009年の大不況を「グローバル・インバランス」の調整過程と見る場合、それはハードランディングであったと言えるかも知れませんが、その過程で起きた現象は、この論文で書かれているようなシナリオとは少し違っているように思います。

非常に良く整理された論文ですので、興味のある方はぜひご覧ください。