理不尽さへの怒りの続き

中学生の頃には
「人は愛し愛されても、幸せな人生とは限らない」
という信条(?)があった気がする
「愛すること、愛されること」は大事だと思っていたけどね

だから、愛に頼らず、
自律して生きていくこと、
生きていく力をつけて自由に好奇心を満たしていくことが
幸せや安心を得ることだと
信じていたらしい

家庭はしがらみやらで理不尽なところだけど
社会は実力や実績次第で
フェアーなところに行けるかもという期待があったんだな
多分

でも、社会はアンフェアー
自分にも「理不尽さ」はというおまけがついて回った

おっきなおまけさん
きつい1年だったけど
いろいろ吐き出させてくれてありがとう
好機についてきた、いらない、おっきなおまけ

これまで、理不尽さへの怒りをくすぶらせてきたから
表現する機会を与えられたんだな
きっと

親は愛情たっぷりに精いっぱい育ててくれた
だけど、私の本質を理解していなかった
だから、理不尽な思いを寄せられて
それに応えられない申し訳なさと怒りとがあった

義理の関係が入った家族の中では
他にも理不尽な思いが多かった
本能的に家族を成り立たせるために抑えてきたんだな

親の年齢が上がるにつれて身体も弱って
本音で話し合う機会も逸して
親を寂しい気持ちのまま逝かせたのかもと
後悔も残った

結局、理不尽さに怒る気持ちを抑え
その機会を逃した

これが原体験かも
ここ15年程、駆け抜けた
願いはほとんどかなってきた
でも、思いがけなく、きつ~いおまけが付いてくる

願いがかなって役割も収入も大きくなるにつれて
おまけも大きくなる
特に昨年は公私ともに特大級
身体にも影響した

危機は脱したが
なぜ?が大きくなる
次に進むとより大きいおまけがつきそうな気がしてしまう

かといって
安全なだけの道を選択すると思うと
気が楽になるどころが
生きていく気がしない

で、おまけの性質を振り返ってみた
共通しているのは「理不尽」

理不尽さを許せない
それに対する怒りがくすぶっていたから
あえてそんな人や出来事が次々与えられてきた
今回は、表だって怒りを表現していい機会を与えられたってこと

う~ん
理不尽さにこだわるわけも心あたりある