一陽来復のお札
一陽来復のお札を壁に張れる日は、冬至・大晦日・節分しかないのである。今年は節分に貼った、というのは前のブログの通り。ところが、そのお札、ブログアップ後十数分後かに落ちてしまったのだ。やばい。ものすごくやばい。ここ何年か頼りにしていたものがなくなるのは気分的に落ち込む。どうやら両面テープが古くて弱かったようだ。ということにしておこう。でも気になることがある。このお札を買った時、わたしはお参りしなかったのだ。頭を下げなかったのだ。ものすごくルール違反とはしているが、壁に張れないので台紙に貼って磁石ではかった正しい方向に向けて壁にかけた。でも、やっぱり、うんともすんともないのだ。やばい。ということでお参りに行った。お酒を買ってである。まごころは物で表わすのがわかりやすいのである。カップ酒のふたを取って、拝殿前のおける所において失礼をわび、どうぞ我が家に来てください、とお願いした。邪魔にならないようにはしっこで頭を下げていたが「長いわね」と声が聞こえてきた。いいのである。信仰だから、お参りは長くていいのである。謝罪だからどうしても長くてなってしまうのである。ごめんなさい、ごめんなさい。ひとり一回ね、と思う人はその人の思い込みに過ぎない。ど真ん中でやっているならともかく、端っこなんだからいいのである。やがて他の人が次々と後ろからやってきて鈴を鳴らして二拍手していった。お酒は下げてからすこしなめたが、おいしかった。(昼酒である)ふたをして帰宅した。さて、その後である。一陽来復のお守りを背にしていると、風が吹くのだ。そよそよとした空気の動きを感じるのだ。気のせいかとなんど振り返ったことか。やはり、空気の動きを感じるのだ。夜だけならまだ分かるのだが(窓側から冷えた空気が下に降りてこちらに向かってくるから)昼もなんである。ずーっとなんである。窓も開けていないし、換気扇も回していない。不思議だ。。。神様がいらっしゃってくれたがどうかはわたしにはわからない。わたしは見えないのだ。でも、来てくれたように思う。そういうことにしよう。一年守られないと考えるより、一年守られていると信じている方が幸せだからだ。来年はもっと前前から準備して、決められた時間を厳守することにしよう。