郷愁と人情の味 【Brussels】 5月27日
プラットホームでルクセンブルク行きの列車を待っている時だった。
唐突に、コインが転がる音がして、足元には50セント硬貨が一枚転がっている。
誰かが落としたのだろうか。
何気なしに拾い上げ、周囲の人に声を掛けて、落とし主を探す。
しかしながら、いくら周囲に声を掛けてもいっこうに落とし主は見つからないのである。
どうしたものかと思いながら、ふと自分の荷物に目をやると、バックパックの横にあったはずの手荷物かばんが消えている。
「やられた」と思った瞬間、その中にはラップトップ、カメラ、パスポート、現金…
ありとあらゆる貴重品が入っていたのを思い出した。
顔面が蒼褪めていくのが分かるほどの冷静さの一方で、ひけていく血流をどうすることもできず、とにかく呆然とプラットホームに立ち尽くした。
僕はアントワープから ブリュッセル北駅に到着した。
ホステルにチェックインしようとしていたそのロビーで、一人の日本人の男の子が僕に声を掛けてきた。
「日本人ですか?」というその問いには何か鬼気迫るような勢いがあって僕は少し身構えてしまうほどだった。
彼は日本人に会えたことで少しばかり安堵したらしく、彼の身に降りかかった冒頭の『災難』の顛末を僕に語ったのである。
ルクセンブルグに向かうつもりで居た彼は、パスポートを失った為に、前日泊まったこのホステルにしょげ返って戻ってきたところであった。
ベルギーの首都、ブリュッセルの治安があまりよくないことは聞き知っていたけれど、到着してすぐこの手の話を聞かされると、本当に背筋が凍る思いだった。
彼の注意の過不足は別にして、いつどこでどんな手口で降りかかってくるかわからないのである。
『明日は我が身』と震え上がる僕の横で、この逆境で開き直ったように笑える彼の『若さ』がせめてもの救いだと思った。
幸い、その後日本領事館に行った彼は、数日で新しいパスポートの再発行を受けられたらしかった。
(2日ばかりで再発行してくれたらしく、そのことはとても意外だった。手数料は決して安くは無いけれど)
彼は翌日、知人を当てにすると言ってパリへと発った。
もし仮に、僕の身に同じような状況が降りかかったら、旅を続けられるだろうか。
彼は笑うしかないと言っていたけれど、僕にはその逆境を笑える自信はなかった。
たぶんそのときは、僕の旅は終わりを迎えるに違いなかった。
そう意識したとき、また背中でひとつ身震いを覚えた。
僕が選んだブリュッセルのホステル『2GO4 Hostel』には、何故だか日本人が多かった。
エイトベッドのドミトリーに、一人の日本人の女の子が新しくやってきた。
彼女は、スウェーデンにピアノ留学をしているそうで、今回ここにはエリザベス女王の名を冠にしたピアノコンクールを見に来たそうだった。
萌という名の彼女が話す関西弁は、耳にとても懐かしく響いた。
僕の持っているクラッシクの知識は、たぶん両手にすっぽり収まる程度のものしか持って居なかったけれど、彼女と一緒にコンクールを見に行ってみたくなった。
ブリュッセルの国立博物館など多くの歴史的建物が連立するエリアに、大層立派なオペラホールがあった。
会場内に入ると、ヨーロッパにおけるクラッシクの位置づけを物語るような内装の豪華さと、そして熱気に包まれた人々を目にした。
僕の購入した7ユーロの当日券は、1階席の舞台から向かって左寄りの席で、グランドピアノから10mと離れていない席だった。
彼女曰く、僕が当たったその席は前売りで購入するなら、10倍以上の金額がする席だと教えてくれた。
演奏が始まる段になると、先ほどまで熱気に包まれていた観客席からは物音ひとつ聞こえない静けさとなり、舞台からは透き通るようなピアノの音がまっすぐに耳に届く。
彼女の説明によると、このコンクールは1週間ほどの日程の中で、ファイナリスト6人が演奏を行うそうだ。
1日に2人ずつ演奏を行い、演奏曲は課題曲と選択曲から構成されているので、最初に演奏される課題曲は同一なので、演奏者の特徴を比べて聴くことができるようになっている。
一人目の演奏者はオランダの青年で、力強いリズムが印象的だった。
バックで演奏する大オーケストラがまさしく『脇役』と映るほどのピアノの主張とプライドが耳に残った。
演奏終了後、彼は大粒の汗を額に光らせていた。
僕の持っていたクラッシクのイメージにそうした激しさはなかったので、それはとても意外に思えた。
「ステージ上ではスポットライトが終始、たった一つのピアノを照らしているから」と萌ちゃんが教えてくれた。
でもそうした理屈よりも、あの大粒の輝くばかりの汗こそが、あの情熱的な演奏を象徴していることに思えてならなかった。
二人目の演奏者はまったく予期していなかったことに、日本人の青年だった。
演奏前に「タカシ・サトウ」と紹介された彼は、青年といっても僕よりは幾分か年上だろうか。
眼鏡に短く刈り上げられた黒髪の彼は、日本人らしい落ち着きを醸し出していた。
サトウ氏の演奏は、一人目の演奏者に比べると、丁寧にひとつひとつのキーを優しく触り、メロディーを創っているみたいだった。
先ほどと同じオーケストラが演奏しているのに、随分と印象が違って聴こえる。
舞台上に並ぶ多種多様の音が、グランドピアノの音によって統べられていくようで、見事な『調和』が耳に優しかった。
それを『日本人』らしいと形容するのが適切かどうか分からないけれど、力強さが印象的だったオランダ人青年の演奏と比較して、僕にはとても心地よく、『郷愁』に似た感情を思い起こさせた。
予期していなかった出来事に巡りあい、予期していなかった感情に出会えた偶然は、何だかとても僕の心を暖かくした。
翌日の朝、目を覚ますと彼女はもう居なかった。
昨晩から早朝発ってスウェーデン行きの飛行機を捕まえるとは聞いていたけれど、いまだ眠気まなこの僕には、昨夜のことが夢だったのかと錯覚するほど、彼女は綺麗に消えていた。
ベッドの上にすっかりと畳まれたブランケットなんかを見ると、やはり日本人らしいなどと考えていると、そこには一つの置手紙が残されていた。
彼女が残したメッセージは、やはり日本人らしいどこか心暖まる優しさに満ちていた。
最初の一文は、早朝に発った為にチェックアウトができず、シーツと鍵をフロントに返す手続きを僕に依頼することを詫びる言葉が並んでいた。
しかし、それが日本語によくある種類の言い回しであることが手紙を読み進めていくうちに分かった。
次の一文には、鍵の返却で戻るデポジットを僕の薬代に当てて欲しいと記されていたからだった。
オランダで引きかけた小さな風邪を3週間以上もひきずって、度々咳き込む僕を彼女は気に掛けてくれていたことを思い出す…。
その瞬間、僕の頭を棍棒で一撃したような閃光が走り、眠気などはどこか遠くに走り去り、
記憶の断片がひとつずつ鮮明に浮かび上がってくる。
薬はあるのかと問いかける彼女に、確か僕は能天気に「たいしたことないさ」と笑ったのではなかったか。
正直、手持ちの薬はワルシャワの風邪にほとんど使い切っていたのだった。
彼女はその一部始終のやり取りを覚えていたに違いなかった。
能天気な僕の脳味噌には、少しも残ってはいなかったけれど。
デポジットの返金が必要ないのであれば手紙なんて残さなくても、枕元にそっと鍵を置いて発てばいいだけの話であって、それを敢えて僕に託したのは、彼女からの意図したメッセージがあるからに違いなかった。
「たいしたことないさ」が3週間も続いている能天気な僕に、決定的な何かを知らせる為の。
彼女は『親切』を押し売ることなく、僕に受け取らせたのだった。
彼女が残した日本語は僕にはとても美しいものに感じられて、眼から零れる雫を止めることができなかった。
咳止めのシロップは、日本で飲んだそれと同じような甘さなのに、鼻の奥ではつんと塩辛さと苦さが残る。
それでも不思議と嫌な感じはしないのは、それが『人情の味』と呼ぶべきものだからなのかもしれないと、僕はその時思った。
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ベルギーの建物は、ドイツやオランダの建物と比べ、
豪華絢爛な装飾が印象的。
パリの影響を文化的・歴史的にも存分に受けているのかもしれない。
天気がイマイチだったのが残念だけど。
僕がブリュッセルで一番好きな場所。
立体駐車場の屋上からは、タダの景色が広がっている。
高校生たちが放課後の大事な時間を、
この秘密の溜まり場で過ごしているみたいだった。
僕の好きな画家の一人。マグリット。
彼は空間を切り取ったり、貼り付けたり、できる。
想像力の跳躍が見て取れる。その度に感嘆の息が漏れる。
絵は、タッチや色だけじゃないんだ。
僕の愛したベルギービール。
シメイもいいけど、コニンクが一番。
アントワープのサラが教えてくれた地ビール。
ベルギービールは、しっかりした味が特徴。
苦味と甘みがほどよい。
そうして、アルコール度数10%を越えるから、
パンチもきちんと効いてくれるのです。
唐突に、コインが転がる音がして、足元には50セント硬貨が一枚転がっている。
誰かが落としたのだろうか。
何気なしに拾い上げ、周囲の人に声を掛けて、落とし主を探す。
しかしながら、いくら周囲に声を掛けてもいっこうに落とし主は見つからないのである。
どうしたものかと思いながら、ふと自分の荷物に目をやると、バックパックの横にあったはずの手荷物かばんが消えている。
「やられた」と思った瞬間、その中にはラップトップ、カメラ、パスポート、現金…
ありとあらゆる貴重品が入っていたのを思い出した。
顔面が蒼褪めていくのが分かるほどの冷静さの一方で、ひけていく血流をどうすることもできず、とにかく呆然とプラットホームに立ち尽くした。
僕はアントワープから ブリュッセル北駅に到着した。
ホステルにチェックインしようとしていたそのロビーで、一人の日本人の男の子が僕に声を掛けてきた。
「日本人ですか?」というその問いには何か鬼気迫るような勢いがあって僕は少し身構えてしまうほどだった。
彼は日本人に会えたことで少しばかり安堵したらしく、彼の身に降りかかった冒頭の『災難』の顛末を僕に語ったのである。
ルクセンブルグに向かうつもりで居た彼は、パスポートを失った為に、前日泊まったこのホステルにしょげ返って戻ってきたところであった。
ベルギーの首都、ブリュッセルの治安があまりよくないことは聞き知っていたけれど、到着してすぐこの手の話を聞かされると、本当に背筋が凍る思いだった。
彼の注意の過不足は別にして、いつどこでどんな手口で降りかかってくるかわからないのである。
『明日は我が身』と震え上がる僕の横で、この逆境で開き直ったように笑える彼の『若さ』がせめてもの救いだと思った。
幸い、その後日本領事館に行った彼は、数日で新しいパスポートの再発行を受けられたらしかった。
(2日ばかりで再発行してくれたらしく、そのことはとても意外だった。手数料は決して安くは無いけれど)
彼は翌日、知人を当てにすると言ってパリへと発った。
もし仮に、僕の身に同じような状況が降りかかったら、旅を続けられるだろうか。
彼は笑うしかないと言っていたけれど、僕にはその逆境を笑える自信はなかった。
たぶんそのときは、僕の旅は終わりを迎えるに違いなかった。
そう意識したとき、また背中でひとつ身震いを覚えた。
僕が選んだブリュッセルのホステル『2GO4 Hostel』には、何故だか日本人が多かった。
エイトベッドのドミトリーに、一人の日本人の女の子が新しくやってきた。
彼女は、スウェーデンにピアノ留学をしているそうで、今回ここにはエリザベス女王の名を冠にしたピアノコンクールを見に来たそうだった。
萌という名の彼女が話す関西弁は、耳にとても懐かしく響いた。
僕の持っているクラッシクの知識は、たぶん両手にすっぽり収まる程度のものしか持って居なかったけれど、彼女と一緒にコンクールを見に行ってみたくなった。
ブリュッセルの国立博物館など多くの歴史的建物が連立するエリアに、大層立派なオペラホールがあった。
会場内に入ると、ヨーロッパにおけるクラッシクの位置づけを物語るような内装の豪華さと、そして熱気に包まれた人々を目にした。
僕の購入した7ユーロの当日券は、1階席の舞台から向かって左寄りの席で、グランドピアノから10mと離れていない席だった。
彼女曰く、僕が当たったその席は前売りで購入するなら、10倍以上の金額がする席だと教えてくれた。
演奏が始まる段になると、先ほどまで熱気に包まれていた観客席からは物音ひとつ聞こえない静けさとなり、舞台からは透き通るようなピアノの音がまっすぐに耳に届く。
彼女の説明によると、このコンクールは1週間ほどの日程の中で、ファイナリスト6人が演奏を行うそうだ。
1日に2人ずつ演奏を行い、演奏曲は課題曲と選択曲から構成されているので、最初に演奏される課題曲は同一なので、演奏者の特徴を比べて聴くことができるようになっている。
一人目の演奏者はオランダの青年で、力強いリズムが印象的だった。
バックで演奏する大オーケストラがまさしく『脇役』と映るほどのピアノの主張とプライドが耳に残った。
演奏終了後、彼は大粒の汗を額に光らせていた。
僕の持っていたクラッシクのイメージにそうした激しさはなかったので、それはとても意外に思えた。
「ステージ上ではスポットライトが終始、たった一つのピアノを照らしているから」と萌ちゃんが教えてくれた。
でもそうした理屈よりも、あの大粒の輝くばかりの汗こそが、あの情熱的な演奏を象徴していることに思えてならなかった。
二人目の演奏者はまったく予期していなかったことに、日本人の青年だった。
演奏前に「タカシ・サトウ」と紹介された彼は、青年といっても僕よりは幾分か年上だろうか。
眼鏡に短く刈り上げられた黒髪の彼は、日本人らしい落ち着きを醸し出していた。
サトウ氏の演奏は、一人目の演奏者に比べると、丁寧にひとつひとつのキーを優しく触り、メロディーを創っているみたいだった。
先ほどと同じオーケストラが演奏しているのに、随分と印象が違って聴こえる。
舞台上に並ぶ多種多様の音が、グランドピアノの音によって統べられていくようで、見事な『調和』が耳に優しかった。
それを『日本人』らしいと形容するのが適切かどうか分からないけれど、力強さが印象的だったオランダ人青年の演奏と比較して、僕にはとても心地よく、『郷愁』に似た感情を思い起こさせた。
予期していなかった出来事に巡りあい、予期していなかった感情に出会えた偶然は、何だかとても僕の心を暖かくした。
翌日の朝、目を覚ますと彼女はもう居なかった。
昨晩から早朝発ってスウェーデン行きの飛行機を捕まえるとは聞いていたけれど、いまだ眠気まなこの僕には、昨夜のことが夢だったのかと錯覚するほど、彼女は綺麗に消えていた。
ベッドの上にすっかりと畳まれたブランケットなんかを見ると、やはり日本人らしいなどと考えていると、そこには一つの置手紙が残されていた。
彼女が残したメッセージは、やはり日本人らしいどこか心暖まる優しさに満ちていた。
最初の一文は、早朝に発った為にチェックアウトができず、シーツと鍵をフロントに返す手続きを僕に依頼することを詫びる言葉が並んでいた。
しかし、それが日本語によくある種類の言い回しであることが手紙を読み進めていくうちに分かった。
次の一文には、鍵の返却で戻るデポジットを僕の薬代に当てて欲しいと記されていたからだった。
オランダで引きかけた小さな風邪を3週間以上もひきずって、度々咳き込む僕を彼女は気に掛けてくれていたことを思い出す…。
その瞬間、僕の頭を棍棒で一撃したような閃光が走り、眠気などはどこか遠くに走り去り、
記憶の断片がひとつずつ鮮明に浮かび上がってくる。
薬はあるのかと問いかける彼女に、確か僕は能天気に「たいしたことないさ」と笑ったのではなかったか。
正直、手持ちの薬はワルシャワの風邪にほとんど使い切っていたのだった。
彼女はその一部始終のやり取りを覚えていたに違いなかった。
能天気な僕の脳味噌には、少しも残ってはいなかったけれど。
デポジットの返金が必要ないのであれば手紙なんて残さなくても、枕元にそっと鍵を置いて発てばいいだけの話であって、それを敢えて僕に託したのは、彼女からの意図したメッセージがあるからに違いなかった。
「たいしたことないさ」が3週間も続いている能天気な僕に、決定的な何かを知らせる為の。
彼女は『親切』を押し売ることなく、僕に受け取らせたのだった。
彼女が残した日本語は僕にはとても美しいものに感じられて、眼から零れる雫を止めることができなかった。
咳止めのシロップは、日本で飲んだそれと同じような甘さなのに、鼻の奥ではつんと塩辛さと苦さが残る。
それでも不思議と嫌な感じはしないのは、それが『人情の味』と呼ぶべきものだからなのかもしれないと、僕はその時思った。
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ベルギーの建物は、ドイツやオランダの建物と比べ、豪華絢爛な装飾が印象的。
パリの影響を文化的・歴史的にも存分に受けているのかもしれない。
天気がイマイチだったのが残念だけど。僕がブリュッセルで一番好きな場所。
立体駐車場の屋上からは、タダの景色が広がっている。
高校生たちが放課後の大事な時間を、
この秘密の溜まり場で過ごしているみたいだった。
僕の好きな画家の一人。マグリット。彼は空間を切り取ったり、貼り付けたり、できる。
想像力の跳躍が見て取れる。その度に感嘆の息が漏れる。
絵は、タッチや色だけじゃないんだ。
僕の愛したベルギービール。シメイもいいけど、コニンクが一番。
アントワープのサラが教えてくれた地ビール。
ベルギービールは、しっかりした味が特徴。
苦味と甘みがほどよい。
そうして、アルコール度数10%を越えるから、
パンチもきちんと効いてくれるのです。
明日を照らす太陽 【Antwerp 2】 5月25日
ヨーロッパに住む人々は、随分と陽射しを愛する文化を持っているようだ。
中央広場からランゲ・ニーウ通りというショッピングストリートを抜けるとスタッドパークにたどり着く。
バドミントンやフットボールを楽しんだり、幸せそうに笑うカップル。
芝生にビキニで寝転ぶ女性たちの姿。
各々が生き生きとこの陽射しを楽しむ姿が僕の眼には楽しく映った。
日焼けを好まない日本の女性からは理解し難い光景かもしれない。
僕はここに野うさぎを見に来たはずだけれど、公園のあちこちでそれぞれに日向ぼっこを楽しんでいる人々の姿を見て、あっさりと太陽とうたた寝の誘惑に負けてしまった。
上空には、夏の象徴、絵の具の水色をすぅっときれいに伸ばしたような青空が広がっている。
思えば、アムステルダムからずっと1週間以上も好天に恵まれている。
『晴れ男』か『雨男』かといった分類で言えば、僕は前者に当てはまると自分では思っている。
イベントごとで雨に降られたことは少ないし、天気予報をひっくり返した天気に恵まれることだってあった。
とは言いながらも、僕は多分雨でもそれを楽しむ(凍えるような寒さでなければ)ポジティブさを持っているし、たぶん記憶や思い出なんてものは、都合よく書き換えられるものだ。
結局のところ何の根拠もないけれど、そんな風に『天気の気まぐれ』を気まぐれに楽しむ文化は、なんとなく僕には愛らしく思える。
そんな文化を持っているのは日本人だけらしく、いくら「晴れ男なんだ」と言ったところで、西洋人はおろか、韓国人にさえ信じてもらえなかったけれど。
そんなことを考えていると、ふとベルリンで会ったマルチリンガルのティーンエイジャー、カイルが持っていた日本語の教科書を思い出す。
文法集の例文のひとつに、日本人の特性を表わしたものがあった。
なるほど、これで文法と日本人について学べるわけで、『一石二鳥』のしゃれた例文なのであった。
「頑張る」というのは、強いて訳すとすれば「Do your best」であるが、日本人にとって「頑張る」というのは、必ずしもベストを尽くすというものではない。時には結果がベストでなくても、努力した過程こそが美しいと美化する彼らにとっては、「頑張る」といった努力することこそが重要なのである。
といったような例文だったと記憶している。その時、僕は確かに深く頷いたのだ。
「頑張って」と言いたい時、いくら適切な英語を探しても見つからなかった。
「Do your best」というのは何か強すぎる響きがするし、「good luck」というのも軽すぎるような気がする。
とにかくしっくりこないのだ。
言語の違いというよりも、それは文化の違いと言えるのかもしれなかった。
日本人は、良くも悪くもそうして美化して歴史を築いてきたのかもしれない。
そうして例外なく僕もその歴史と文化の中で生きてきたのだ。
そう思った時、誇るでも、恥じるでもなく、脈々と流れ受け継がれていく『文化』というものを見たような気がした。
文化-。それは、間違いなく人々のバックボーンを映し出す鏡なのだ。
『思考』や『意思』は『言語』を介して共有できても、『文化』そのものが持つ長大な奥深さは『言語』だけでは共有しきれないものがあるのだろう。
僕は2時間以上も眠っていたらしかった。時計の短針は『6』から既に『7』に向かいかけているところで、僕の肩もすっかり気持ちよさそうに赤く焼け始めていた。
帰りはメトロに乗って帰るつもりで居た僕は、しかしながら最寄の駅が分からなかった。
メトロと言っても、街の中心以外はトラム(路面電車)として走るから、半メトロといったような規模だけれど、公園が大きすぎて、駅に向かう道を見つけるのが困難だったのだ。
ふと隣で、日向ぼっこを楽しんでいた女性が立ち上がったところだった。
僕は無意識のまま、彼女に帰り道を尋ねたのだった。
彼女はとても親切で、方面が同じだからと駅まで僕を送ってくれると申し出てくれた。
サラというその女性は、話してみると整った顔の中にまだあどけない面影が残る21歳の女の子だった。
駅までの道のり、僕らはたくさんのことを語りながら歩き、そして僕はたくさんのことに驚かされた。
「彼女」というよりも、「ベルギー」という国に住む人々に対して。
ベルギーでは公用語が3つに分かれている。
首都ブリュッセルを境に、ベルギー北部のフランドル地方ではオランダ語、南部のワロン地方ではフランス語、一部の地方ではドイツ語を話す。
サラの話では、幼少期から学校でこの3言語を学ぶそうだ。
日本という島国に生まれ、日本語だけを公用語として使い、ほとんど『民族』という概念を持たない日本人にとって、それは少し想像し難いことかもしれない。
国語の授業は3つの言語で行われるのだろうかとどうしようもない空想を巡らせていると、(というくらい僕には想像が難しかった。)
彼女はこれらの言語の他に、スペイン語も話すそうで、もうどうしようもない空想を巡らせても無駄だということに気がついた。
(こんな話をしているのは、もちろん「英語」であるから、彼女は5カ国語を話す才女だった。)
オランダ滞在中には、すっかり慣れてしまっていたけれど、オランダでは公用語が英語なんじゃないかと思うくらい、誰もが達者な英語を話すことに驚かされた。
オランダではテレビ番組のほとんどは英語で、字幕がオランダ語で表示される。
子供向けのアニメでさえも例外なく英語で放送されるから、ほとんど違和感なく英語と触れ合うのだと、ロザリーは教えてくれた。
オランダと国境を接するこのフランドル地方は、地理・歴史・経済においてオランダと密接に関わっているらしく、教育の水準もベルギーの中でも取り分け高いらしいことは容易に想像できた。
もう僕にはこれ以上脱帽するべき帽子が一つも残ってはいなかったけれど、彼女はもう一つ興味深い話をしてくれた。
「フランダースに住む人たちは、直接的にNoということを避けるの。例えば何か難しい頼みごとをされた時、えーっととか言ってお茶を濁すのよ」
例え話の中で、茶目っ気たっぷりに「Let me see」と言ったときの彼女の横顔は、大人の女性のようにも、可憐な少女のようにも見えて、なんだかセクシーで、キュートだった。
思いがけない『日本人』との共通点に小さな嬉しさを覚える。
僕には、お茶を濁したほろ苦い心当たりがいくつもあった。
その心当たりの数だけ、共感が深まるよう気がした。
駅に着いた時、僕は「コーヒーでもどう?」と茶目っ気たっぷりに聞いてみた。
彼女がNoとは言わないという小さな確信めいたものが僕にはあった。
「Yes」というのが難しい問いだったかどうか僕には分からないけれど、彼女もまた茶目っ気たっぷりな表情で笑った。
部屋に帰る前に、もう少しだけ街を歩きたくなった。
それは先ほどまで燦燦とすべてを照らしていた太陽が日没前の最後の輝きを見せていたからだった。
旧市街すぐ脇を流れるスヘルデ川まで太陽に誘われるままに歩いた。
川面に映る夕陽は思わず息を呑んでしまうほど美しかった。
太陽の最後の一瞬、その透き通るような朱色は、この世の何処にも存在しない色に違いない。
それを同じだけの光と色で映し出す水鏡。
僕はその太陽が沈みゆく一寸を、感謝を込めて見送った。
今日という素晴らしい一日を照らしてくれたことに。
そして、この沈みゆく太陽はあと2時間もすれば、日本の明日を照らすのだ。
科学的に考えれば何の驚きもないことかもしれないけれど、僕には何とも不思議なことに思えた。
同じ3次元空間に生きているのに、時間軸が違うのだ。
僕の目の前で今にも沈もうとしている太陽は、日本の東の空で今にも昇ろうとしているのだ。
日本に住む家族や友達、大好きな人たち。
全ての僕の大切な人のよき一日を、僕は沈みながら昇る太陽に祈った。
太陽を日本に受け渡すような、そんな少しばかり尊大な気持ちで。
そして、アントワープは静かな暗闇に包まれた。
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原作のフランダースの犬では、パトラッシュはこんな犬だったそうな。あの白と茶色(と記憶しているけれど)のパトラッシュは、
日本人に馴染みやすいようにデザインされたそうだ。
いずれにしても賢くて優しげな横顔は、
僕の知ってるパトラッシュに重なるものがあった。
豪華な装飾が印象的だったアントワープ駅。ベルギーの首都、ブリュッセルへ。
2ユーロ硬貨の思いで 【Antwerp1】 5月24日
ここからの眺めは最高だった。
今夜の宿はずいぶんと静かで、16人共同のドミトリーに、今夜はたった一人で眠れるようだ。
あてが外れたように寂しげなたくさんの2段ベッドたち。
久しぶりの一人の夜には、部屋中に染み渡る静けさが心地いい。
僕は部屋の一番奥、小さなバルコニーの扉に近いベッドを陣取る。
そのバルコニーからの眺めが、この街で一番好きな眺めなのだ。
夜は缶ビールを、朝はインスタントコーヒーを片手に。
一人また旅を始めた僕は、アントワープという新しい街をよく歩いた。
それでもここからの眺めに勝る場所を見つけることは難しかった。
アムステルダムを発つことを決めてから、僕はドイツに戻るつもりで居た予定を変更した。
ハノーファーを訪れたあと、ハンブルグに住む友達を訪ねるつもりでいた僕が選んだ次の目的地は、オランダのホロニゲンだった。
その理由は、その時ハンブルグの彼女が忙しかった事と、ジェスパーたちと『旅は道連れ』という言葉を信じてみたかったからだった。
『ちょっと寄り道』のつもりで寄ったホロニゲンから、『何かの拍子で』アムステルダムへ行き、僕はすっかり時間を浪費してしまっていた。
そのことが分かっていながら、ドイツに戻るべき僕が向かったのは、ベルギーというさらに西に位置する国だった。
ハンブルグの彼女を訪ねることは、僕にとっては大きな楽しみであった。
2年半ほどぶりの再会になるのだ。
だからこそ、アムステルダムでもう一度一人になる必要を悟った僕には、ドイツに戻るべき時だとは思えなかった。
久しぶりに一人街を歩くのは、楽しかった。
アントワープという街は、アムステルダムに比べようもなく小さく、そして愛らしかった。
僕の部屋から見えた教会は、Onze Lieve Vrouwkathdraalというゴシック様式の大聖堂でランドマークとしての存在感は郡を抜いている。
日本語では『ノートルダム聖堂』と呼ばれるこの建物には、ルーベンスの絵が飾られている。
日本人には『ネロとパトラッシュ』が最期に眠りについた場所といった方が分かりやすいかもしれない。
教会の前の広場には、たくさんの観光客が人垣を作っている。
その人垣を作らせていたのは、たった一人の男だった。
僕が思わず見入ってしまったのは、彼のアーティストとしてのプライドだった。
200以上の目玉を釘付けにする程の大道芸のテクニックだけでなく、
英語とオランダ語を巧みに使い分け、『ただの開けた広場』を『舞台』に変える力に驚いた。
大道芸の観客たちは、いつも決まってある一定の距離をとろうとするものだ。
それは得体の知れない大道芸に巻き込まれることを恐れるのかもしれないし、また法外なチップを要求されない為の防御手段かもしれない。
また、周囲の観客同士も近づきすぎず、各々のスペースを確保したがる為かもしれない。
それは、ある種の反射条件のようなもので、誰しもが無意識に設ける距離に違いない。
彼は突然、『ただの開けた広場』に白いチョークで半円を描く。
さも得意げな顔で「これが俺の舞台だ」と宣言する。
観客はやはり半信半疑で、その宣言に困惑している様子だった。
それでも彼はそのことに一切構う素振りを見せず、ゆらりとショーの準備をマイペースに進めるだけだ。
観客たちは、なかなか始まらないショーに焦らされていくようだった。
それを待っていたかのように、彼はチョークに沿って並ぶよう観客に促す。
その態度は、「彼の言葉に従わなければショーを始める気はない」というような、憮然とした響きさえ持っていた。
しかしながら、烏合の衆のように点々と散らばっていた観客は、渋々といった様子ながらも、彼の『舞台』の座席に付いていくのである。
彼がそこに、『空間』を作り出した瞬間だった。
彼の作り出した空間は、膨張し、やがて躍動した。
ディアボロ(中国ごま)、ナイフでお手玉、巨大一輪車…
実に多彩な彼の大道芸たち。
そして、観客の視線を独り占めにする為のウィットも忘れない。
次第に彼の『舞台』が熱を帯びていくのが、じわじわと肌を伝わってくる。
彼の技というよりも、彼の創造力に魅了され、僕もまたいつしか彼の『空間』に居た。
ディアボロを天高く投げる時、彼は群集に向かって「カシードラより高いのが見たいかい?」と問いかけた。
誰しもが「YES」と叫んだそのあとに、「そんなの無理!」と笑いを誘う。
それでもその後、彼は今まで見たこともない程天高く、こまを投げ上げ、観客は一同にどよめいた。
巨大一輪車の上で、3本の松明でお手玉を披露しようとしたその時。
「ライター持ってる人はいるかい」という彼の問いに、一人の観客の男が手を挙げる。
ライターを受け取った彼は観客の男に、「ついでに煙草ある?」と一言。
観客の男は驚きながらも渋々箱を取り出す。
すると、彼は箱の中から一本だけ煙草を抜き取り、そして、それだけを観客の男に返して、残りをポケットにしまってしまった。
観客の男が笑ったのは、合法的に煙草を盗むその手口があまりにスマートすぎたからだろう。
ショーの終わり際、彼はチップの話をした。
他の大道芸人がするように、ショーの最中に空き缶を置くということは、彼はしなかった。
変わりに彼は、「無料のショーだ」と人々を魅了し、そして「もし満足したならティップをくれ」と言っただけのことだった。
「もし仮に5ユーロくれるならハッピーになる。10ユーロなら、今日のビールがうまくなる。
100ユーロくれたら…そうだな。僕はあなたと一生一緒に暮らします。今日は本当にありがとう」
鮮やかに締めくくられた彼の空間は、アーティストとしての創造力とプライドに溢れていた。
僕は2ユーロ硬貨をひとつ握り締め、それを彼の帽子に落とした。
決して、彼のショーの値が2ユーロだったわけではなかった。
その時、僕に出来た最大限の小さな行為だった。
たとえ小さくても何か一つ形にして、この感動をひそやかに噛み締めたかったのだ。
彼のプライドに、僕は小さな小さなこだわりで答えたかった。
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『キリスト降架』by ルーベンス。
ネロとパトラッシュが最期に見た絵。
帽子をかぶったMr.アントンは若干6歳。
観客の中から、大道芸人によって舞台に上げられた彼。
堂々と一芸を披露し、観客を虜にした。
大道芸人が観客の心を掴むことに成功したのは、
アントン少年のおかげかもしれない。
今夜の宿はずいぶんと静かで、16人共同のドミトリーに、今夜はたった一人で眠れるようだ。
あてが外れたように寂しげなたくさんの2段ベッドたち。
久しぶりの一人の夜には、部屋中に染み渡る静けさが心地いい。
僕は部屋の一番奥、小さなバルコニーの扉に近いベッドを陣取る。
そのバルコニーからの眺めが、この街で一番好きな眺めなのだ。
夜は缶ビールを、朝はインスタントコーヒーを片手に。
一人また旅を始めた僕は、アントワープという新しい街をよく歩いた。
それでもここからの眺めに勝る場所を見つけることは難しかった。
アムステルダムを発つことを決めてから、僕はドイツに戻るつもりで居た予定を変更した。
(from EUROPA EUROPE by Michelin Travel House Media)
ハノーファーを訪れたあと、ハンブルグに住む友達を訪ねるつもりでいた僕が選んだ次の目的地は、オランダのホロニゲンだった。
その理由は、その時ハンブルグの彼女が忙しかった事と、ジェスパーたちと『旅は道連れ』という言葉を信じてみたかったからだった。
『ちょっと寄り道』のつもりで寄ったホロニゲンから、『何かの拍子で』アムステルダムへ行き、僕はすっかり時間を浪費してしまっていた。
そのことが分かっていながら、ドイツに戻るべき僕が向かったのは、ベルギーというさらに西に位置する国だった。
ハンブルグの彼女を訪ねることは、僕にとっては大きな楽しみであった。
2年半ほどぶりの再会になるのだ。
だからこそ、アムステルダムでもう一度一人になる必要を悟った僕には、ドイツに戻るべき時だとは思えなかった。
久しぶりに一人街を歩くのは、楽しかった。
アントワープという街は、アムステルダムに比べようもなく小さく、そして愛らしかった。
僕の部屋から見えた教会は、Onze Lieve Vrouwkathdraalというゴシック様式の大聖堂でランドマークとしての存在感は郡を抜いている。
日本語では『ノートルダム聖堂』と呼ばれるこの建物には、ルーベンスの絵が飾られている。
日本人には『ネロとパトラッシュ』が最期に眠りについた場所といった方が分かりやすいかもしれない。
教会の前の広場には、たくさんの観光客が人垣を作っている。
その人垣を作らせていたのは、たった一人の男だった。
僕が思わず見入ってしまったのは、彼のアーティストとしてのプライドだった。
200以上の目玉を釘付けにする程の大道芸のテクニックだけでなく、
英語とオランダ語を巧みに使い分け、『ただの開けた広場』を『舞台』に変える力に驚いた。
大道芸の観客たちは、いつも決まってある一定の距離をとろうとするものだ。
それは得体の知れない大道芸に巻き込まれることを恐れるのかもしれないし、また法外なチップを要求されない為の防御手段かもしれない。
また、周囲の観客同士も近づきすぎず、各々のスペースを確保したがる為かもしれない。
それは、ある種の反射条件のようなもので、誰しもが無意識に設ける距離に違いない。
彼は突然、『ただの開けた広場』に白いチョークで半円を描く。
さも得意げな顔で「これが俺の舞台だ」と宣言する。
観客はやはり半信半疑で、その宣言に困惑している様子だった。
それでも彼はそのことに一切構う素振りを見せず、ゆらりとショーの準備をマイペースに進めるだけだ。
観客たちは、なかなか始まらないショーに焦らされていくようだった。
それを待っていたかのように、彼はチョークに沿って並ぶよう観客に促す。
その態度は、「彼の言葉に従わなければショーを始める気はない」というような、憮然とした響きさえ持っていた。
しかしながら、烏合の衆のように点々と散らばっていた観客は、渋々といった様子ながらも、彼の『舞台』の座席に付いていくのである。
彼がそこに、『空間』を作り出した瞬間だった。
彼の作り出した空間は、膨張し、やがて躍動した。
ディアボロ(中国ごま)、ナイフでお手玉、巨大一輪車…
実に多彩な彼の大道芸たち。
そして、観客の視線を独り占めにする為のウィットも忘れない。
次第に彼の『舞台』が熱を帯びていくのが、じわじわと肌を伝わってくる。
彼の技というよりも、彼の創造力に魅了され、僕もまたいつしか彼の『空間』に居た。
ディアボロを天高く投げる時、彼は群集に向かって「カシードラより高いのが見たいかい?」と問いかけた。
誰しもが「YES」と叫んだそのあとに、「そんなの無理!」と笑いを誘う。
それでもその後、彼は今まで見たこともない程天高く、こまを投げ上げ、観客は一同にどよめいた。
巨大一輪車の上で、3本の松明でお手玉を披露しようとしたその時。
「ライター持ってる人はいるかい」という彼の問いに、一人の観客の男が手を挙げる。
ライターを受け取った彼は観客の男に、「ついでに煙草ある?」と一言。
観客の男は驚きながらも渋々箱を取り出す。
すると、彼は箱の中から一本だけ煙草を抜き取り、そして、それだけを観客の男に返して、残りをポケットにしまってしまった。
観客の男が笑ったのは、合法的に煙草を盗むその手口があまりにスマートすぎたからだろう。
ショーの終わり際、彼はチップの話をした。
他の大道芸人がするように、ショーの最中に空き缶を置くということは、彼はしなかった。
変わりに彼は、「無料のショーだ」と人々を魅了し、そして「もし満足したならティップをくれ」と言っただけのことだった。
「もし仮に5ユーロくれるならハッピーになる。10ユーロなら、今日のビールがうまくなる。
100ユーロくれたら…そうだな。僕はあなたと一生一緒に暮らします。今日は本当にありがとう」
鮮やかに締めくくられた彼の空間は、アーティストとしての創造力とプライドに溢れていた。
僕は2ユーロ硬貨をひとつ握り締め、それを彼の帽子に落とした。
決して、彼のショーの値が2ユーロだったわけではなかった。
その時、僕に出来た最大限の小さな行為だった。
たとえ小さくても何か一つ形にして、この感動をひそやかに噛み締めたかったのだ。
彼のプライドに、僕は小さな小さなこだわりで答えたかった。
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『キリスト降架』by ルーベンス。ネロとパトラッシュが最期に見た絵。
帽子をかぶったMr.アントンは若干6歳。観客の中から、大道芸人によって舞台に上げられた彼。
堂々と一芸を披露し、観客を虜にした。
大道芸人が観客の心を掴むことに成功したのは、
アントン少年のおかげかもしれない。











