The winding road~Rising Sunの冒頭だけ読む読書のススメ~

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CLANNADは面白いか?

今見てるんですけど、これ面白いですかね。
確かに声優さんは熱演してるのもわかりますし、「AIR」などで有名なkeyブランドの作品なのもわかります。
でも如何せん、話の作りが古いというか、時代に乗れてないというか。今時他校との抗争だとか不良とかって死語じゃないですかね。

実はこういう「時代」というのは、今日の5の2を見た時にも感じたんですよね。あの作品は小学校を舞台にしているんですけど、あの主人公達の学校生活って、今の小学生が見て共感出来るものなんでしょうか。確かに私みたいな大人は「ああ、小学生の頃こんな感じだったな」と思えるんです。でも、実際の子供が見てどう思うのか。最近の子は昔に比べて大人しいと聞きますし、見た時に「こんな子いないよ」みたいな反応が返ってくることもありえます。

ちょっと話がずれました。CLANNADの話に戻りますが、あの作品を見てもう一つ思ったのは、声優さんが被りがちかなということですね。元々キャラ自体がいわゆるエロゲ絵ということもあり、どれも似通っていたりするんですけど、加えてこの作品は声の判別がしづらかったりする。逆に声の判別がし易かったのは「らき☆すた」でしたね。あれも登場人物が物凄く多くてキャラ的にも被りがちだったんですけど、でも声の判別はすぐに出来た。らき☆すたもCLANNADも音監は同じ鶴岡さんなんですけど、どういう基準で選んでるんでしょうか。

まあこんな感じです。やっぱりKEYはAIR見た時にも思ったんですけど、話が軽いんですよね。リアリティを追及せずにノリで、つまり「こういうキャラとストーリーがあったら客泣くんじゃね?」みたいな気持ちでやっちゃうから、どうしてもうわべだけをなぞった作品になってしまう。まあこれはエロゲメーカーだから仕方ないのかもしれないですけどね。殺人的なスケジュールに追われる中、ロケハンや取材なんて出来ないですからね。

かんなぎ。

かんなぎ面白いですねえ。登場人物の味付けにストーリー、オタクを惹きつける演出、仕掛け。ヤマカンさんの趣味嗜好が相当反映されているんでしょうけど、戸松さんや下野さんの熱演も合わせて、名作と呼ばれそうな雰囲気を漂わせていますよね。

やっぱり漫画原作って凄いなと思いますね。多分編集と打ち合わせを念入りにしているからでしょうけど、ストーリーの流れとか笑わせるタイミングとかが、絶妙に出来ていますよね。

それに比べて小説家はこれからどうすればいいんだろう。こんな良いもの面白いものが小説の数分の一で売られている現在、文学に振り向いてもらうためには、一体何をすればいいんだろう。幸い、今は小説>漫画にかろうじてなれている。でもそれは小説が優れているからでも面白いからでもなく、PTAや教育委員会と言った、強力なバックアップがあるからだ。もし将来一般庶民の作家に対しての憧憬という名のメッキが剥がれて、「小説家って偉そうにしてるけど、実際はたいしたこないんだぜ~」とか、「こんな小説さ、俺だって書けるわ。小説なんてやめて漫画しよ~ぜ~」みたいな風潮になったとしたら、きっと小説家という商売は成り立たなくなる。死んでしまう。

だからその前に僕達は、小説にしか出来ない事を追及する必要がある。文字だけの世界という一見してデメリットにしか思えないことを逆手にとって、文字そのものを芸術の域にまで高めていく。深い描写、心理、人間の洞察、そういったものを言葉にして思いにして、大人や子供達に、文学の素晴らしさを教えるきっかけを作ってあげる必要がある。

でも、今の文学界にそれが出来るだろうか。ケータイ小説の選考会の時の秋元康みたいに

これぞ、「ケータイ小説」だと思いました。作者と読者の壁がなく、セリフのリアリティに圧倒されました。日常の中に物語はあるんですよね。主人公のキャラク ターがよく描けていると思いますが、できれば、口調だけは、最後まで強がっているというか、しらけた感じでいて欲しかったなと思いました。深夜、この原稿 を読みながら、泣きましたよ。映画にしたいです。 (第3回日本ケータイ小説大賞受賞作「あたし彼女」選評より)

と堂々と語る人が、文学界にはリアルにいる。瀬戸内寂聴のようにもっとケータイ小説を読みましょうと本気で言う人がいる。まあ瀬戸内さんはご高齢なので、 正常なご判断が出来ないのかもしれませんけれどもw、でもこういう人がのさばっている以上は、文学界のマトモなハッテンもとい発展はないですよね。こういう大衆迎合的な姿勢は、長いものに巻かれる的な姿勢は、結局は自分達の、文筆家としての存在意義を自ら貶めているということに、そろそろ気づかないといけないんではないでしょうかね。

まあこんな感じです。ちなみにちょっとショックだったんですが、このかんなぎ、今私が書いてるラノベ風の小説と、結構被ってる部分があるんですよねw ……お蔵入りしないといけないのかなあ。

谷村志穂著「冷たい水と、砂の記憶」を読む。

あまりアニメの話ばっかりしていると、二次元の世界から帰れなくなりそうなのでw、久しぶりに書評してみます。
今回は谷村志穂氏の「冷たい水と、砂の記憶」です。なになに、作者は1962年生まれで札幌生まれ。出版社勤務を経て小説家になり、島清恋愛文学賞なる賞を受賞と、まあ典型的なコネでのしあがってきたような小説家なんですが、さあ実力の程はいかほどなんでありましょうか。さっそく文章を読んでみましょうね。

立ち読みなさりたい方はこちら へどうぞ

ということで読んでみたんですが、まあ一読してわかったのは、素人の域を出ていないということですね。冒頭部分、8ページの最初から読んでいただきたいのですが、

引用開始

 化粧水のボトルやタムカム・パウダーのたくさん収まった引き出しを一年ぶりに整理すると、奥深いところから、髪の毛の切れ端やヘアピンやクリップ、砂粒や、虫の死骸までが見つかった。
 一年、いやこの白いチェストは引越し前もそのままだったから、どさくさに紛れてもう幾年も掃除らしい掃除はしていない。
 いやだ、という声が思わず漏れる。
 半透明のゴミ袋を用意すると、容器の中身だけは洗面台のシンクに流し、外側は次々放り込んでいった。

引用終了

この部分、何か変ではないでしょうか。「引越し前もそのままだったから」って何? とか「どさくさに紛れて」って何? といった細かい疑問は勿論湧いてくるんですが、もっとおかしいのは、文章の論点の問題です。
これはどういうことかと言いますと、この文章、冒頭で引き出しを整理してたら髪の毛やら虫の死骸が見つかったと書いているんですけど、次の文章を見ると、半透明のゴミ袋を用意して容器の中身や外側を片付けたとなっている。つまり、何故か片付けの対象がズレているんですね。

わからない方は問題形式にしてみると、ご理解できるかと思いますね。

問題 以下の問に答えよ。

 化粧水のボトルの入った引き出しを整理していると、奥深いところから髪の毛や虫の死骸が見つかった。
 引っ越す前からある白のチェストは、幾年も掃除らしい掃除はしたことがない。いやだ、という声を私は思わず漏
                                                   A 
らしていた。
 半透明のゴミ袋を用意すると、私は( B )。

問1 下線部Aについて、理由を簡潔に書け。
問2 空欄Bについて、適切と思われる語句を以下の中から選べ。

1 化粧水のボトルを捨てた 2 買い物に行った 3 髪の毛や虫の死骸をピンセットでつまみ、捨てた

わからない方はこの問題を解いてみてください。この作者が、どれだけ意味不明なことを書いているかがわかりますから。

アニメの売上について。

さて、今年4月あたりから放送されたアニメの、DVD売上本数が出揃いましたね。
結構売れたところと言えばコードギアス、夏目友人帳、マクロスFあたりですか。実は私は3作ともほとんど見ていなかったんですけどw、ただ夏目に関しては 劇中の音楽をわざと消して、静けさと魑魅魍魎巣食う怖さとを表現しているところが、演出上は当然であるにしても良いなあと思っていたので、この成功は嬉し いですね。

他にはTo LOVEる、XXXHOLICのような漫画原作もの、
一 騎当千、ひだまりスケッチ365のような続編もの、乃木坂春香の秘密のような、大きいお友達狙い撃ちの作品の健闘も目立ちましたね。乃木坂は明らかに脚本 も甘いし、テーマ自体も甘いと感じたのですが、やっぱり能登さん効果なんですかね。能登かわいいよ能登。このことにつきましては、全く異論はございません w

逆に、全くと言って売上がふるわない作品も目立つようになりました。例えばドルアーガ。GONZOは脚本が糞だなどといわれて久しいですが、ドルアーガと いい、ブラスレイターといい、改めてそれを実証してしまった形となりましたね。だから主人公が塔に上がっていくストーリーにすると、話の厚みがなくなるか らやめとけってあれほど私が言ったんですけどねえ。

あとは狂乱家族日記やアンジェリーク、我が家のお稲荷さま。などもダメでしたねえ。狂乱家族日記は明らかに時間帯が合ってないでしょう。DVDを買っても らわないと成り立たないビジネスモデルのはずなのに、夜中に大きいお友達が見ないような、子供向けの作品を堂々と出してきてしまっては、そりゃ売れません わな。

まあ一応講評はこんな感じです。データを眺めてみて思ったのは、アニメファンは物凄い目が肥えてるということですかね。原作やストーリーなどは勿論のこと、作画や声優さんの演技、演出等の細かい部分もよく見ている。作品の質を高める努力をしないと、いけないと思います。

北詰渚さんについて。

ほんと、毎日更新していたあの日々は何だったんだというような放置っぷりですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

やっぱりね、書くことが尽きちゃってるんですよね。書評にせよ、アニメにせよ、評論できる本数は限られちゃってますからネタ切れになりがちですしし、かと言って他に話題があるわけでもないですし。まあニュースとか近況とか書いちゃってもいいんですけど、あんまり書評から外れるのもアレだし、何より頭の中でまとめるのは時間がかかるので、ちょっと書く気がなれないと言いますか、やる気が起きない。

ということなんですが、久しぶりに作家でごはん行ってみたところ、北詰渚さんが何か賞を獲られたそうな。なになに、第6回北日本児童文学賞、最優秀は賞金50万と盾、優秀賞は10万と盾ですか。438作の中からの受賞ということで、それはそれはおめでとうございます。

北詰さんとの出会いはもう何年になりますかね。私が作家でごはんで批評していたときに、毎回決まったように2週間毎に作品を投稿してくるような人だったのが印象にありまして、もうちょっと時間をかけろ、小説は早書き競争じゃねえと怒ったこともあるんですけどw、あれから数年、作品の完成度というものは高まったりしたんですかね。

確かに彼女は感性は良いものを持ってはいるんです。世界観というものも悪くはないし、作品から作者の性格というものが滲み出していて、良い味を出してもいるんです。
でも、如何せん文章が不味いんですよね。地の分が軟らかすぎるので読者に対してのイメージが良くないし、話のテンポの悪さとか、技術的な拙さとか、目に付く場所が多すぎて、それがマイナスに作用してしまう。

だから、今回の北日本児童文学賞のような上限30枚の賞に出したのは、正解だったのかなと思います。そして逆に言うならば、長編を書いて勝負できるかが、今後の課題となるんだと思いますね。基本的に作家は長編書けないと仕事にならないはずなので。

とまあこんな感じですね。それにしても北詰さんは40歳ですか。ネットで仕入れた情報によると、北詰さんは20代でモデル体型だと書かれていたように思うのですが、ほんと、ネットってアテにならないですよねw

小説が書き終わらないなあ。

小説を書いているものの、相変わらず終わらない。
ちなみに今は、アースリーヴェーダとは別の長編小説(しかもラノベ風)を書いておりまして、「瞼を閉じれば光景が思い浮かぶ」をコンセプトに日夜頑張っているわけですけれども、そりゃ毎日五枚ぐらいじゃ、すぐに終わるわけはないですよね。基本的に私は長編書きですし、しかも800枚は超えそうな感じの作品なんですし。

でも自分の中にあるのは絶望的なことだけではないです。むしろ希望的な明るいものの比重が圧倒的に多いです。最近色んな刺激のおかげで、自分の書く世界が広がった気がします。文学フリマに行ったこと、アニメやニコ動、You Tubeの動画を沢山みたこと、アキバの通り魔事件があったことなどなど、目にしたことのないものが触れたことが、自分の大きな糧になっている。ちなみに文学フリマについてですが、思った通り盛り上がりは今ひとつでしたね。確かにお客さんはある程度は来ていましたし、「漫画をめくる冒険」なる本(ちなみに私も購入しました)を出していたサークルには行列が出来ていたのも事実なんですけれども、他は本当に閑散としておりまして(特に一階が酷かった)、お客さんが立ち読みコーナーだけに群がっているような状態でした。あの、5冊以上売れたサークルって、3つもなかったんではないですかね。

まあとにかく、そういう色んな経験を積んだ上で執筆に励んでいるよってことなんですけどね。アニメにも負けない面白さを、立ち読みだけではなくてお財布からお金を出してお買い上げいただけるだけの魅力的な商品を、人間についての深い洞察を表現して、読者に物事に関して考えるきっかけを与えられるものを、頑張って作っていこうと思います。ということで、アースリーヴェーダは今のところは保留です。既に400枚以上書きあがっているんですけど、仕方ないですね。

そういえば鍛錬場ラウンジに意見を書き込もうと思ってたんですけど、送信ボタン押してもエラー表示が出るんですけど、あれはどうなってるんですかね。コメントが禁止されてるってことなんでしょうか。

「乃木坂春香」の秘密を見る。

小説の批評だったはずなのに、最近何故か重心がアニメに傾きつつある当ブログですがw、まあアニメも小説も「ストーリー」という点で共通しているからいいですよね。
ということで今回は、四月からスタートのアニメ「乃木坂春香の秘密」を批評してみたいと思います。

まず大まかなストーリーを説明します。

私立白城学園高校に通う主人公・綾瀬裕人のクラスメイトである乃木坂春香は容姿端麗・才色兼備な深窓の令嬢であり、「白銀の星屑(ニュイ・エトワーレ)」・ 「鍵盤上の姫君(ルミエール・ドゥ・クラヴィエ)」など数多くの美称を持つ学園のアイドルである。だがある日、裕人が親友・朝倉信長の代わりに図書室に本 を返却しに行った際に彼女の秘密(アキバ系であること)を知ってしまう。それがきっかけで裕人と春香の「秘密」の関係が始まる。

はい、とまあwikiからの引用なわけですがw、この番組、一番の見所はキャストの豪華さですかね。あの「耳レイプ」などと言われるウイスパーボイスを持つ能登さんに、演技力、歌唱力が評価される生天目さん、癒し声が特徴の佐藤利奈と、主役を張れそうな声優が何人もキャスティングされており、そこからスタッフの熱の入れようも容易に窺われるわけです。だから、さぞかし本編は面白いのだろうと、私は大変期待してもいたのですが……

何だよ、これ。

1話見た時の、私の感想でした。これ、あまりにもメリハリがなくないですかね。どういうことかと言いますと、この話は「才色兼備で、お嬢様の典型のような乃木坂春香が、実はアキバ系だった」というギャップが見所なので、本来ならばそれが際立つように、キャラクターの設定を作っていかないといけないんですけど、本編はそれが出来ていないんですよね。

具体的に問題点を指摘するならば、登場人物に「アキバ系が多い」ということが挙げられます。試しに、1話に出てきた登場人物を、簡単に色分けしてみましょうか。

綾瀬裕人 ライトなヲタ
朝倉信長 ヲタ
乃木坂春香 ヲタ
綾瀬ルコ 中立?
上代 由香里 中立?
三馬鹿 中立?

こう書き出してみるとわかるんですけど、みんなアキバ系かそれに対して寛容な人ばかりで、ヲタを毛嫌いしたり軽蔑したりする登場人物(便宜上アンチヲタと表記することにします)がいないでしょう? だから、乃木坂春香の「異常趣味を持っている」という設定が生きてこないんですよね。これ、もし登場人物にアンチヲタがいたら、全然ストーリーの締まり方が違ってきますよ。例えば綾瀬や朝倉信長をアンチヲタにし、「あの乃木坂さんどんな生活を送ってるのかな」みたいな会話を織り交ぜていって、高校全体に「アキバ=キモイ」という空気を漂わせてあげる。そうすると乃木坂春香の狼狽ぶりが際立つから、自然とストーリーにも面白みが出てくるんですけど、本編は完全に失敗ですね。これでは単に乃木坂さんが、一人でビビッてるだけになってしまいます。

それにシリーズ構成もミスじゃないですかね。本来はこれ、乃木坂さんが本を借りに行った時に綾瀬と遭遇、本棚が倒れたところぐらいまでを一話にするべきなんじゃないでしょうか。ちょっとこれは、1話に中身を凝縮しすぎというか、あまりにも展開が駆け足過ぎていて、どこぞのアニメで言われるところの「上級者アニメ」の雰囲気が、プンプンと漂ってきてしまいます。

とまあこんな感じですかねえ。シリーズ構成のミス、キャラ設定のミスに脚本のミス。声優の豪華さとは裏腹に、酷い出来だなあという印象を持ってしまいました。それに思うんですけど、アキバ系って、そんなに隠さないといけない趣味なんですかね。まあ確かに「ヲタバレ」なんて言葉で語られるように、まだまだ「アニメ=恥ずかしい趣味」といった認識が一般的でもあるのは事実ですよ。でもだからって、なんで自分の趣味を隠したりコソコソしたりするんですかね。アニメも立派な文化でもあり産業なのだから、もっと堂々としてれば良いと思うのですが。

権利者と利用者、そして文化の育成保護のために。

前日の続きになります。
利用者と権利者はどのような付き合いをしていけば良いのだろう。確かにMADは著作権の侵害だから、権利者が本気を出せば削除や法的措置を取ったりするのは本当に簡単なことだし、もしかしたらそれが、権利者の当然の姿なのかもしれない。
でも、それでは前日のように本来守るべき古き良き(といってもグレーゾーンの文化なのだけど)が死んでしまうし、何より権利者と利用者の関係がこじれてしまう。利用者というのは、権利者の敵として対峙るものではなく、権利者の下に従えるものでもなく、あくまでも「お客様」という名で権利者の上位に存在する、神様に等しい存在のはずだ。にも関わらずそんな神聖な存在に鉄槌を食らわしてしまったら、どうなるだろうか。百害あれど一利はなく、近い将来売上減や製作陣への不信という形で天罰が下るに違いない。

ではどうすれば良いのか。この点、権利者がMADを審査して、良いと思うものを積極的に許可、公認していけば良いのではないかという考えがある。
実際、ニコ動では一部の動画でこのような措置が取られているようだ。確か私が見たのはハルヒの画像にリトルバスターズ(略してリトバス)のOPを組み込んだものだったけれど、そこには角川に管理権が委譲された旨が、赤字で書かれていた。なるほど、そのように権利者が納得すれば、法的にはクリアできるから、削除されたりすることは起きないかもしれない。

だけど、それではいけないと私は思う。だってMADって、「製作者が見てないだろう」と心のどこかで思えるから、面白い発想が湧いてくるし、作ろうと思うわけだから。
例えばこんな例を思い浮かべるといい。城下町で一人のコメディアンが、今の世の中を面白おかしく言って笑いを取りたいとするとき、どこに行くだろうか。まず考えられるのは酒場だろう。お酒が入ってて気分がハイな人が多いし、気持ちの大きくなった人からおひねりも期待できるから。次に考えられるのは大きな広場かもしれない。なぜなら人が沢山いるから。買い物帰りの親子連れや、通りすがりの人たちを相手に大道芸の感覚でやれば、きっと振り向いてくれる人は出てくるに違いない。

反面、兵士の見ているところでやったり、ましてや宮殿に入って王様の中で笑わせる勇気のあるコメディアンは、きっといないと思う。なぜなら捕まるから。火あぶりにされたり首を切られたりするから。勿論受けることだってあるかもしれない。王様にこりゃおかしいと手を叩かれて、ご褒美に金貨をもらったり、城の重臣に取り立てられることもあるかもしれない。でも、普通は命が惜しいからそんなことはしないし、出来ない。

つまり、MADにも同じことが言えるんじゃないだろうか。面白いものって、権力者が監視しているところでは、絶対に発展はしない。たとえ権力者に様子が筒抜けで、本人が知らずに笑わせているだけだとしても、「王様は見ていないよね」と心のどこかで思えるから、製作者は自由なものが作れるし、笑いを取ったりすることが出来る。多分こんな権利者監視の状態が当たり前になってしまったら、MADを作る気力自体が失せてしまうのではないだろうか。常に監視されているのではないかと怯えてしまい、作りたいものが作れなくなる。それに権利者が秀逸なMADを公認したら、製作者のプライドにも傷がつくのではないだろうか。だって、「誰にも制約されず、単に人に楽しんでもらおう」と思って作っているだけなのに、権利者公認のお墨付きを得る事で作者が「権利者の犬、手先」のレッテルを貼られてしまうわけだから。「お前のために作ってんじゃねーよ!」と思ったとしても不思議はないと思う。

思うに、権利者って「見てみないフリ」をするのが、あるべき立ち位置なんじゃないだろうか。基本的に彼らの二次創作は黙って見過ごしておいて、本当に問題があると思った時だけちょこっと出てきて指導して、また元の立ち位置に戻っていく。確かにこれでは違法動画の野放しと同義であり、権利者として取るべきではないという考えもあるかもしれない。でも、それで上手く今までやってきたのもまた事実で、実際コミケみたいなイベントは、そうすることで世界最大のイベントへと成長を遂げたという側面もある。だから、ちょっと今は握った拳を振り上げたいのを少し我慢して、そっとポケットにしまっていただきたいと、思う次第である。今回のMAD削除で、コミケのような紙媒体の二次創作に大きな影響が出ないことを望む。

とまあこんな感じですかね。実際MAD削除したからって、DVD売上が増えるってわけでもあないと思うんですけどね。正にドルアーガが良い例(相当権利者が厳しく巡回していた)でしょう。オリコンで売上本数出てたんですけど、あんだけ豪華な声優陣(ほっちゃん、石田彰他)使って、バンナムがいくら丼キャンペーンをはじめ強烈にプッシュしていたのにも関わらず、売れたのはたった2700本ですよ。制作費回収できるんですかね、これ。amazonとか見てると、工作員と見られる人達が相当5つ星をつけてるように思うんですけどw、あんまり効果はなかったみたいですねえ。

ニコニコのMAD削除について一言。

最近、ニコニコ動画でこんなニュースがありましたね。

ニコ動、MADを含む既存・新規著作権侵害動画を削除することで権利団体と合意

正直ここまでするか……、というのが、記事を見た時の率直な感想でしたね。
まあ確かに人の動画、映像を勝手に使ってるんだから、違法といえば違法ですよ。MADってそんなに権利者にとっては実害はないでしょう。使われる映像はごく一部だし、本編を知らない人にとってはアニメを知る良い機会にもなるから、宣伝効果も望めますし。

それに、MADを違法って言ってしまうと、日本の古き良き同人文化の否定になってしまう。
ご存知の通り、同人文化ってファンの人やサークルが本編の2次創作を勝手に作り、権利者がそのようなサークル、作品を黙認、もしくは見ない振りをすることで、文化として成り立ち、大きくなってきたという側面を持っています。
でも、今回権利者が記事にあるような厳しい態度で接する事で、その灯が消えてしまう。ファンやクリエイターの卵達の芽が摘まれてしまう、そんな気がしてなりませ。今回一番かわいそうなのは、手書きでMAD製作してる人だと思います。折角何ヶ月もかけて一枚一枚製作して、ようやく作品として完成させたのに、アップするやいなやクリック一つで消されてしまう。彼らの悲しみはいかほどかと思いますね。

だから、何とかならないかと思うんですけどね。何度も言いますが、私はMADが著作権侵害行為であることは否定はしませんし、削除するしないが権利者の一存で決まることも、重々承知しています。ですが、前述の通り日本には「権利者が大目に見る」ことで成り立ってきた文化もあるわけで、権利者はその辺の歴史を認識していただきたいと思います。

ネット社会との付き合い方。


既報の通り、秋葉原で悲しい事件が起きましたね。
犯人は25歳だそうですね。アキバ好きのオタクしかも劣等感の塊なんだそうで、ネットの掲示板で怒りを募らせ犯行に及んだみたいなことが連日連夜報道されてますけど、ああいうのを見てると現代の社会の病巣というか、インターネット社会の現実が垣間見えたような気がしますね。

私はインターネットが張り巡らされた現代の最大の特徴は、「人と人との距離が近くなった」ことであり、「一般人として静かに生きることが出来なくなった」ということだと思っています。まず前者から説明しますが、今までは離れた人と会話するには相手の電話番号や住所を知って連絡を取るか、飛行機や新幹線を駆使して会いに行かないといけなかったわけですけど、インターネットの登場によって、それがいらなくなったということなんです。つまり自分で情報(動画、写真、掲示板も含みます)をアップするなり他人の情報を見るなりして、双方向的でなしに一方的に連絡を取ることが出来るようになったんですね。

だから言い換えるならば、以前に比べて有名になることがとっても簡単になった。例えば歌手になりたいのであれば、オーディションを受けたりテープを送ったりしなくても、自分の歌った動画をアップして、ニコニコやようつべにアップすればいい。実際ニコ動の歌い手さんがランティスさんからアルバム出しましたけど、ああいうのは正にインターネット社会だからこそなせる業と言えると思います。

しかしそんな社会は、同時に色んな弊害を生むことになってしまいました。まずインターネットという道具を得て誰もが表現者になってしまった結果、本来一般人と位置づけられる人までもが、芸能人並の公人として扱われるようになりました。まあこれは私が典型例ですよね、私は今のところは一応一般人なわけですけど、こういう風に意見や書評を一般の立場として書くと、「しかしこれだけは断言できます。Rising Sunはプロの小説家には絶対になれません。」とか、「細かいところばかりをつついていないで、早く小説をアップしなさい」と、まるで政治家や芸能人に対してお茶の間が浴びせるような批判を受けてしまう。つまり単なる一般人のはずなのに、ネットという不特定多数が存在する社会を介することで、プロのジャーナリストや小説家、その他批評家と同じ立場に祭り上げられてしまうということなんです。

そして上述と関連があることなのですが、ネットという社会は普通に生きている人からもプライバシーを奪ってしまった。これは学校裏サイトなどが典型的なんですけど、今まではAくんを苛めてやろうという時には上履きに画鋲を入れるとか仲間外れにするなど、せいぜい「中学校の敵」にしかならなかったのが、ネットという全世界共通の言語を用いられる事でAくんが「日本の、いや全世界の敵」として扱われることになってしまうということなんですね。

しかももっとキツイのは、Aくんがいつどこで悪として祭り上げられるかわからないということです。どんなに良く振舞っていても、不特定の誰かに目をつけられて一度ネットに名前が乗ってしまえば、全世界中にその名前が知れ渡り、「悪」のレッテルを貼られてしまう。はっきり言って、これは正直しんどいです。勿論Aくんがパソコンを持っているかどうかは関係ありません。叩かれたくないと思ってひっそりと暮らしていても、目に見えないところからパンチが飛んできて、私生活が脅かされてしまう可能性があります。

まあ私が思うインターネットの社会の特徴は、こんな感じです。そこで次回はそれらを踏まえた上で、今回の事件について考えてみたいと思います。
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