60すぎてわかること…

正確には62歳4ヶ月だが(笑)、この年になってわかることは、けっこう多い。老いを感じることも多いが、そういう発見があれば生きていて楽しいとも思える。

 

たとえば、絵画。

若い頃からゴッホは、まあ好きな画家だった。

 

もう30年も昔、フランスで彼の足跡を訪ね、南仏や北仏にも足をのばした。

 

 

やや傾いたようなフォルムの絵で知られる、オーヴェルの教会も見た。教会の現物もうねったように見え、意外と写実的な絵だったとわかった。いかにもゴッホな、ごつごつした南仏アルピーユの山々も、絵のとおりだった。うねうねの糸杉もあのとおりだった。

 

デフォルメ好きなゴッホ、というイメージがすこし変わった。

とはいえ、「過剰で荒々しい」画風が身上なのは疑いない。

 

この年ともなれば、この「過剰で荒々しい」言いかえれば「若さ」がまぶしく、また好ましい。

 

細部のていねいな仕上がりを大事にした芸術家や職人にすれば、「これで絵かよ」と嘆きたくもなろうし、私も若い頃は「もっとていねいに描けよ」とも思った。

 

ゴッホは言いたいことはハッキリ言い、余計なことは言わない画家だった。心にダイレクトに触れた印象をそのままキャンパスに殴り描いたような絵。

 

そういう絵が、歳を重ね、余計なことが面倒になった今の自分と響きあう。

 

37歳で没したゴッホに、余計なことが面倒になった老年はなかった。あるいは生まれながらにして、余計なものと無縁だったのか。


永遠の天才青年画家を思えば、わたしは随分とまわり道な人生にも思われる。