前回のブログ で、約2カ月間にわたる私のメンタルの

浄化のお話をさせていだきましたが、

浄化する前と後での『感謝』に対する私の感覚が変わりました。


今回私が私なりに感じた『感謝』の意味、ちょっと書いてみようかな。



心の中にあるいろんなものをそぎ落とすことによって、

心の真ん中にスペースが生まれ、そこに今までずっと

見過ごしてきてしまって気づけずにいた愛が、

洪水のように流れ込んできました。



そして流れ込んできた愛が心の中で溢れる瞬間、

感謝に変わることを体験しました。



満たされるってこういう感じなんだ、って感動しました。

それはもう、今まで感じていたものとは比にならないくらいに。

まるで至高体験でもしているかのように(笑)、感動的でした。



愛が心の中で溢れたら、条件反射のように勝手に

感謝の気持ちが湧き上がってくる




本当の感謝は自分が満たされている状態で

溢れ出ているもの。



一瞬だったけれど、魂のメカニズム的なものを

ちょっと垣間見たような気持ちにさえなりました。



そしたら、私がこれまで感謝だと思っていたものって

なんだったんだろう・・・


今まで私が多くの場面で感謝だと感じていたのは、



こんな私にこんなことをしていただいて、恐れ多い、恐縮だ

といった思いで、自分にはその好意を受けるに値しないと

自分を蔑む形でそれを感謝だと勘違いしていたに過ぎない。




完全に受け取り拒否(汗)




感謝というよりも、根拠のない『申し訳ない気持ち』



自分で自分をきちんと認めていないから、人からの好意も

素直に受け取ることができずに、申し訳ない気持ちになる。


そしてそれを感謝と勘違いをする。




私は多分、物心ついた頃からこれをずっと

やってきていたんだと思います。



とかく日本の文化は謙遜が美徳とされていて、

それで良しとする風潮もあるかもしれないけれど、

それ以上に謙遜を通り越して自分自身を認められていない

状態での感謝は、やっぱり受け取り下手以外の

何者でもないような気がしてしまいます。



でもこれが勘違いだなんて、誰も教えてくれないもんね。
世の中の理のほとんどは自分の経験から気づかないと

分からないことばかり。


気づきは魂の目醒め。


もっと早くにこれに気づいていたら、いつもいつも

心の中が温かい気持ちで溢れていられたのにな、と

ちょっと悔しい気もしつつ、今ここで気付けてよかった

とホッとしている自分もいます。




日頃何の疑いもなく『感謝』と思っているその気持ち。

それがどこからやってくるものか、たまにちょこっと

見つめ直してみるのもいいかもしれません。