これまでの人生


どんなことがあったとしても


それらは

オセロがひっくり返るように



ある日

気づきと共に

感謝に変わった






ありがとう…って…

感謝があふれ


涙が流れた



いくつも


そんな尊い経験をしてきた






でも




それで終わりじゃなかった…





そのさらに先があったことを知った


タイ  チェンマイ






必ず また来るよ


それまで、またね




チェンマイを離れる夜






飛行機の窓から見た景色に


いろいろな感情が宿っていた











チェンマイから日本に帰国して


数日経ちました





なかなか


ブログを書こうという気持ちにならなくて




外側で起きていることに


意識がまわらないほど




ただひたすら


内側に集中してきた



数日間でした










6年前に

胸をかきむしるような苦しさの中

チェンマイで

毎日マザーアースに祈りを捧げ

瞑想をつづけ

ヒーリングを受け




マザーアースの

果てしなく大きな愛につつまれ

平穏なこころ安らかな感覚を

思い出すことができたのでした




今回のチェンマイ渡航は

マザーアースに

御礼をお伝えしたくて


決めたものでした






出国前のオリエンテーションでも


そんな話をしながら



出発を楽しみにしていたのです









各地域から

現地に集まった方々と



お話したり 瞑想をしたり

食事をしたり


はじめまして

とは思えないほど



人生における深い話をして


涙したり… 笑ったり…




毎日手を合わせ


お祈りをして


















鐘を鳴らしては


お祈りを…






そして


とあるお寺に3日間通い


そこで目にしたことや

わたしの身に起きたことが




こころとからだに


揺らぎをもたらすことになったのでした






冒頭に書いたように




そう


どんなことも


ある日 気づきと共に感謝に変わる…


という経験をしてきたのだけど






それで終わりじゃなかった…




そのさらに先があったことを知った


タイ  チェンマイ










2日目の


こちらの儀式の前には


手のひらにのせた

あるものの香りを嗅いだ途端

涙がとめどなく流れて


生まれてきた時に

一度 すべてを忘れた記憶と


繋がったような感覚の中にいて




もう、いまとなっては


言葉で説明するのが難しい…








さらに


3日目…





質問をひとつだけできる


ということで



質問をあれこれ考えていたのだけど




わたしの順番が来て


前に座ったら




わたしの口が動いたのが


母のことだった





母との関係性は


たしかにいろいろあった





それでもね

母と向き合って


こういうことがイヤだった

なぜ、お母さんはそうしたの?

お母さん、わたしに こう言って欲しい


そして

「産んでくれてありがとう」


そう母に伝えて


涙を流したこともあった これまでの歴史







赦す


母をゆるす じぶんを

ゆるす



受けいれ みとめ ゆるし 愛する





母へのありがとうは

~された  


ではなく



どんなカタチであっても


わたしは

母の特別でいたかったんだなぁ


わたしだけ ~された

という被害者意識から抜け出し



母の娘として生まれてきたことに

感謝があふれ


「産んでくれてありがとう」と

涙ながらに伝えた日があった




そこで


わたしと母との物語が完結していたのでした








3日目の質問をするまでは…











質問した答えをもらって



だとしたら…

いままでの人生の点と点が繋がる




もう


だとしたら…

何のズレもないじゃん…


涙が溢れた




でも、辛すぎる…






ズレがないことが


こんなに辛いと、はじめて知った






腑におちる


という経験はいくつもしてきたけれど






それとは


また次元が違うのだ




わたしの目をしっかりと見て

「お母さんに会いに行ってください」



その言葉からはじまった


お話を受け取りながら


涙がとまらない






天を仰ぎ


隣で通訳してくれていた

みーちょるに抱きつく…





母は いきている


半身不自由ではあるけれど



いきている






間に合ったんだ…




間に合ったんだよ…





そして

教えてもらったことを

いま、できるのは



わたししかいない…





やらない選択もある






その上で


母もわたしもいきている

この状況の中


後回しにするのか





まだ間に合うのだ


母はいきている







でも…






葛藤が起きた








帰国してからも


ずっと 瞑想をつづけ

お祈りをして





母に会いに行く気になれない

こころと



いま、母の命があることの感謝





わたしにしかできないという

この使命の意味を感じ



これまでの人生を



いままでに感じたことのない感覚で


受け入れていることにも


気づいて




涙があふれる日々












そして


その日は突然やってきた





毎日、保育園に孫を迎えに行くのが


ばぁば(←わたし)のルーティンなのだが




パパが会社を一日休むから

明日はお迎えはパパが行くので大丈夫です…


長男のお嫁さんからの連絡だった





そんなこと、ある??


なぜ、急に??





これは、明日 母に会いに行きなさい

というサイン??



いや、母はデイサービスに…



ん?


デイサービスに行かない曜日だ…





いや、介護してくれている

義姉の予定もあるだろうし…



と、連絡をしてみると



「気をつけて来てください」

「お待ちしています」






もう、行かない理由がない…






こういう時、決まって体調を崩す

わたしなのだけど




体調も万全…






ただ、母に会いに行っても


教えてもらったことと

わたしのこころが

一致する気がしなくて



まだモヤモヤ…





当日出かける準備をはじめるものの


何時に行きますという連絡が出来ずにいた





すると


義姉から

午前中にお越しですか?  午後ですか?と…



その時点で10:20



いま出ないと午前には到着出来ない…

「いま出るところです」


と返信をして


実家へ向かった




何とか午前ギリギリに到着して


母の部屋へ…





「誰かわかる?」と声をかけると


母は笑顔で静かにうなずいた



「本当?わかる?」って笑って聞いてみると


かすれた小さな声で

「登志子」と言った




そして、母の隣にしゃがみ

「今日は、お母さんに謝りに来たの」


と言った わたし


その言葉と同時に涙があふれる







「お母さん、ごめんね」


「本当にごめんね」




「ごめんなさい…」







母のからだをさすりながら



わたしの口から出てくるのは


「ごめんなさい」




涙がとまらない…





わたしの「ごめんなさい」に

合わせるように


コクリコクリと頷きながら


母も泣きはじめ



ふたりで


時空を越えた







わたしの記憶にあるのは


母を大切にしてきた

じぶんの姿



母を守ってきた

じぶんの姿




母を困らせないようにしてきた

じぶんの姿




母をおもい

丁寧に生きてきたつもり



正直なところ



母に謝る理由がみつからない


何なら謝って欲しいことはたくさんあって



その謝って欲しいことは

わたしの中で

わたしが望んだことだったと捉えられたとき


ゆるす


というところに行き着いて


「お母さん、産んでくれてありがとう」

と完結していた



なんなら終わった話だったのだ






それでも


お寺で教えてもらったのは


「お母さんに会いに行ってください」

「お母さんにごめんなさいと」

「心から謝ってください」






「ありがとう」は思ってるし

感じていたから言えたの




でも


「お母さんごめんなさい」の意味が

わたしの記憶では一致しなくて

わからなくて



本当に苦しかった







それでも


母を目の前にしたら


涙ながらに心からごめんなさいを言ってた






お寺で教えてもらったことの中には



母とわたしの

魂に刻まれた話があって




これを溶かすことができるのは

今世では

わたしなんだと…










母といつ振りだろう


ふたりで過ごしたじかん




今世のわたしの記憶にある

「産んでくれてありがとう」


さらにその先にあった




今世のわたしの記憶にはない

魂に刻まれた

「お母さんごめんなさい」




しずかに溶けていった












最後になりましたが

みーちょる&ジャン主催
チェンマイ ドラゴン瞑想リトリート



心からの感謝をこめて♡











ありがとうございます

トリニティ数秘術認定カウンセラー
山本登志子