義理の両親との同居から

はじまった

新婚生活




わたしが30代の終わりに


義父の介護を引き受けたとき




子育て真っ最中でもあった






すでに義母が他界しており



旦那さんや義姉さんから


頼まれたわけでもないのに




「わたしがみるから」と申し出た








介護も終わり


義父も他界している いま






あの意識が


小手先で考えて申し出たものではなく



魂からの願いだったと感じる







もちろん



当時は、そんなこと


これっぽっちもわからなかったけど…










義父の在宅介護


できない理由なんて


いまなら、たくさん思いつく







義父が元気だった頃


義父と私たち夫婦との関係性は


決して 良いものではなかった





「お前らにだけは、世話にならん!」


そう言っていた義父









さらに


義母が亡くなった 翌年


新築一軒家

そうです 


家を建てて

「ワシは、自由にさせてもらう」


同居していた家を出ていった





その数年後に


通い介護がはじまり


ひたすら

ふたつの家の家事をこなし

合間に 会社で仕事をして

食事や入浴…

オムツを替えるなどの介護…

子どものこと…



何かを振り返ることもなく


時間に追われる毎日だった








義父を  日々口説いて 口説いて

お願いをして



私たちが住む 元の家へと

帰ってきてもらって



ようやく

通い介護から

在宅介護となったのだった





一日に何度も往復する

通い介護の大変さを先に経験したことで




在宅介護が

とても有り難く感じた

「余裕」とすら感じていた




それでも

当時
わたしだけの「隠語」があって




義父を「殿様」

わたしを「奴隷」




と呼んでいたほど




なかなかに辛い 関係性の中の


在宅介護だった






だけど




家族が ひとつ屋根の下に


再び 揃った




という喜びや安心感が大きくて



一生懸命 


自分がしたいと思うことをしていった





そのひとつに


家族揃って食事をすること




介護ベッドから 車椅子に乗せて


家族が囲む食卓へ行き


いっしょに食事をとる





酸素吸入を24時間していた


義父のために




酸素吸入チューブは 


いちばん長いものを


お願いして





食後



車椅子を押しながら


チューブを巻き取りながら


食卓から介護部屋に戻る




自分がしたいこと

【家族揃って食事をする】のために



いろいろ工夫するのが


またひとつの喜びだった






いま、こうして書きながら


やはり

いまの穏やかな感情になっていくのだけど




当時は

殿様と奴隷の関係性


(と感じていたわたしなので)


かなり強い口調で

怒られながらの介護



言いたいことは山ほどあった






それに耐えて


何を言われても


ひたすらじぶんを抑える





「わたしは介護することを自分で選んだのだ」

「途中で投げ出すなんて、有り得ないのだ」






そして、ついには


義父を恨むことになった


わたしが居なければ

生きていけないくせに!!!!







我慢の限界だった









こんなに大切にしているのに


こんなにやさしくしているのに


こんなに丁寧にしているのに




なぜ、そんな言い方をするのか







義父を恨んだ



ちゃんと、義父を恨んだ


ちゃんと、義父を嫌った











そう


わたしができていなかったことは




ちゃんと、恨んだり

ちゃんと、嫌ったり

ちゃんと、怒ること




友だちとケンカをする経験を

避けてきた わたしは

誰とでも仲良くして



その奥に じぶんの「我慢」があることに

気づかないまま過ごし


怒るという単位が欠落したまま

大人になったのだった






当時は

じぶんが自分に

怒りを我慢をさせているから

目の前に「わたしを怒らせる人が来る」

だなんて知りもしない



だから

どんな人が来ても

自分が大人な対応をしているつもりの

高飛車な女だった





あの時


自分が怒っていることを

自分に許可できていたら


また違ったのかもしれない





「いま、怒ってるよね」

「怒りたいよね」

「怒っていいよ」

「出していいよ」


そうやって、自分に言ってあげて


言葉に発音してあげたら


どれだけ楽になっただろう




「ふざけんな!」

「バカヤロー!」



自分が発音して

じぶんの腹にあるものを

自分の耳に聞かせてあげられたら


どれだけ楽になっただろう






それができるようになったのは


ずっと ずっと後になってからだけど





殿様と奴隷だと感じていた関係性の

義父から




下の世話をしていた時に



はじめて


「ありがとう」と言われたときのこと







ありがとうだなんて


一度も言ったことのない

義父が


間違いなく


「ありがとう」と言ったのです





「うんうん、こちらこそありがとう」


と、わたしも言ったものの






義父が


「ありがとう」と

何度も何度も繰り返すのです





わたしの涙が止まらなくなって


「もう、いいから」


「一回言ってくれたら、もういいから」



「もう、言わなくていいから」











その日から


誰かにやさしい言葉をかけてもらうと


それだけで


涙があふれたり





じぶんに「ありがとう」をいう度に


涙があふれたりして






そして


じぶんにムチをうつような

わたしだったこと



奴隷のように

じぶんを扱っていたことを


じぶんに「いままでごめんね」と

謝りました






そこから


義父との関係性がガラリと変わって


介護を…というよりは

義父が家族の中に居ることを

心から楽しんでいる

わたしがいたのでした




怖かった義父の表情が

やわらかくなって


まわりの人たちからも

その変化に

「ありがとう」と言ってもらい


たくさんの愛を受け取った感覚でした

義父=じいちゃん ありがとね♡



みんなそれぞれに

いろいろな経験がありますね









冒頭に書いた


あの意識が


小手先で考えて申し出たものではなく



魂からの願いだったと感じる







【自分を愛すること】

それを

介護を通して
心とからだで感じることが

魂の願いだった




そう感じる  いま、があります






【自分を愛すること】
それは制限なくひろがる♡


ここから、またひとつずつ

進んでいきます






・・・・・・・・・・・・・・・・♡

あなたの魂の願いは何ですか?



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本日2月5日(月)までに

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トリニティ数秘術セッション
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ありがとうございました



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ありがとうございました





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ありがとうございます

トリニティ数秘術認定カウンセラー
山本登志子