前の記事の続きです。

 

 

 

まず、疑問に思っているだろうこと答えちゃうと、私は、現在のところはトランスジェンダーではありません。

 

 

 

え?って思ったあなた。説明します。

 

 

 

まず私の考えとしては、みんなが持っている・持とうとしている「絶対的なる性別」とか「性の志向」って全然 ”絶対”ではない。というのが前提です。(基本的に、絶対って何?と思って生きています)

 

 

 

私は世間様から見れば、男としか付き合った経験がない、男としかちちくりあったことない、体も心も女の、いわゆる「ストレート」という部類にカテゴライズされるのでしょう。

 

 

 

でも、そのカテゴリーについて、すごく反発する。

 

 

 

「え?私が次に好きになる人は誰だかわからないじゃないですか。」

 

 

 

ということなのです。

 

 

 

次の人も男かもしれない、今度は女かもしれない、トランスかもしれない。年上かもしれないし犯罪ギリギリの年下かもしれない。(苦笑)でも、それってなんか問題になることありますかね?その人に出会ったら、出会うんですよ。

 

 

 

愛があればどーでもよくないですか?

 

 

 

で、いきなり私が「やっぱ男だった」ってなったら、それが私の事実なんだからそれはそれでいいじゃないですか。

 

 

 

現に、私の友達に、ずっといわゆる「ストレートの女子」だった子がいますが、現在、素敵な女性と素晴らしい恋愛中です。

 

 

 

それを見た共通の友人が「驚くよね」って好奇心満々で言ってましたが、それって驚くんですか?

 

 

 

個人的には「ずっと8センチヒールしか履かなかった子が、スニーカー履くようになった。」くらいの事なのですが。。。

 

 

 

特に面白いと思うのは、私を「あの子はストレート」とカテゴリー分けを率先してするのがいわゆるLGBTの方々という所なのです。

 

 

 

いろいろな出来事がありましたが、一番、疎外感を味わったのは、ある雑誌のカバーストリー撮影で、私意外は全員LGBTの方々(15人ほど)という現場でお仕事した時のこと。ここで、「あなたはストレートだから」という暗黙の線が引かれてしまいました。悪気がないのはわかっている。でも、とってもとっても悲しかった。

 

 

 

 

仲は良いのですよ。私たちには壁はない。でも線があったのです。

 

 

 

「貴方にはわからないわよね?私・僕の気持ちなんて」

 

 

 

言葉にするわけではなかったけど、現場でこんなエネルギーを背中に感じていました。繰り返しますが、みんなには悪気はなかった。

 

 

 

この撮影当時(約3ヶ月前)、まだ、この「性別とかもう、関係ないじゃん!」という考え方がまとまっていなかったので、うまく気持ちを言葉にすることができず。。。実際、この出来事をきっかけに「ストレートだから」というマジョリティーがマイノリティーになる気持ちについて考えるきっかけとなりました。

 

 

 

 

また長くなってきましたので、続けます。